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やる気と行動は収支で考える

どーも。長田です。新年1発目のnoteです。今日もサクサク書いていきましょう。

バイト

僕は31日、1日と連続でバイトをした。普段働かないような長い時間働いた。

正直めちゃくちゃ疲れたし何もしたくなくなった。風呂だけには行けたけどね。

その後今日までどうも調子が乗らない。普段ゼロコストで行動できてたものができない。

どうしてしまったんだ。俺はと考えたが、気がついた。バイトだ。バイトでしかないと。

苦痛と快楽

人間誰しも苦痛は逃れたいものだ。というか苦痛はデフォルトであって、快楽は頑張って奪う、掴み取るイメージがある。なんでだろう。どうしてだろう。

本来は快楽な状態がデフォルトで苦痛はたまに起こるものではないか。そうではないのか。

どれだけ楽な仕事、好きな仕事でも普段働く時間より長く働いたら苦痛にもなってくるだろう。

好きなことなら疲れないとか、俺はもっと働いているとか不幸自慢は禁止だ。不幸なんか自慢すんじゃねえよ。純粋に幸せな方向を求めろよ。

苦痛が長く続くと快楽が欲しくなる。その逆で快楽が続くと苦痛が欲しくなる。

ただし、苦痛と快楽は前者と後者で意味が違ってくる。

苦痛がデフォルトとは、つまり不幸がデフォルトということだ。その中で求めて得た快楽は一時的なものに過ぎない。麻薬だ。

対して快楽がデフォルトだと、幸せが当たり前になる。その中で求めた苦痛は、というよりストレスは良いものだ。快楽のレベルアップのための苦痛というものだ。これは結果的に良いものだ。

時間をどっちにかけているか

人間は戻そうとする。理想の状態に。苦痛がデフォルトなのは明らかに人としておかしい状態なのだ。仕事が、家庭が苦痛だ。やりたいこともやれる体力もない。

こんなので普通と呼べるのか。違う。だから様々な快楽を求める。一時の幻想だ。

そりゃあ苦痛の時間が長いと快楽の多い状態に戻そうとするものだ。快楽に走ったり、やる気が出ないとか、そんなの当たり前になる結果だ。

捉え方、見方を変える。

やっぱりこれしかない。まずは見方を変えるんだ。捉え方を変えるんだ。

そして捨てるのだ。今すぐものを捨てる。

レシート1枚捨てただけで大きな進歩だ。凄え。

とにかくそんなこんなで自分の時間を使い方、それは本当に苦痛なのか?もしかしたらかなり幸せなことなのではないか?などと問うていく。

そして収支を確認する。やる気が出ないのは確実に収支が関わっている。まずは使った命が苦痛なのか、快楽なのか、観察することだ。

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