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やりたいことは使命じゃない、当たり前の中にある

やりたいことの見つけ方

僕はやりたいことがなくてずっと困っていた。何でみんなそんなに思いついて言葉に出せるんだろう。

別にSNSで発信することも、noteを書くのも、まあやりたいと言えばやりたいけど。

論理立てて、こう思うから、こうしたい、みたいなのは特になかった。僕の中でやりたいことを見つけて行動できている人はこんなイメージ↓

でもなんか気がついた。いや、なんか気がついたではない。考えているからふと、言葉にできた、確信に近づいたというところだと思う。僕の中でやりたいことやってる人はこんなイメージに変わった↓

見て欲しいのは表情。自分のやりたいことやっている時はこんな感じなのではないだろうか。

例えば歯磨きにモチベーションはあるのか?という話だ。それと同じようにnoteにやる気もクソもない。感情の起伏はある中で、必ずしも上がってる時に書いているわけじゃない。んー、今は普通。それ以上でも以下でもない。

でも本当に自分がやりたいこと、というより苦痛じゃない、能動的にできること、それは上の画像の表情のようなもの。

別に「俺はこれがやりたい!突っ走る✨」みたいなやりたいことを想像しなくてもいいんだな、と思った。

勿論、そういうタイプのやりたいことが明確にある人、性に合う人はいるんだろう。自分は違うという話だ。皆んなはどうなんだろう?気になる。

良い悪いではないと思う

多分このタイプは良い悪いではないと思う。感情のプラスマイナスは結果。

どちらのタイプだろうが、どんな性質だろうが結局は「思うがままに生きる人生」が達成されれば良いんだと思う。

僕のついやってしまう行動

これは野球をついやってる、とかそういうレベルじゃなくて。例えば、人と接するときは自然とこういうことを気をつけてるだとか、課題を処理するにはAの手順を必ず最初に踏まないと気が済まない、などなど。

こういうことの中にやりたいこと、というより能動的にできることが眠ってる。

僕で言えば、なるべく相手を傷つけないように言葉を選ぶことは無意識にやってる。それが本当に傷つけないかどうかは別として。理由は自分がそういうことに対する耐性が低いから。他人にはしないという選択をなるべくしている。

故に言い切れないことも多いかもしれん。ほら、こういう時だ。

負け癖

負け癖が付いている。クソだ。こんな悔しいまま人生終われないと思った。別に輝かしくキラキラしてることなんてなくていい。

過去の自分は救えないけど同じ立場にある人は救える。それは間接的に過去の自分を救うことにもなる。そうやって生きてる。

とにかくキラキラなんか追いかけなくていい。ついやってる。普通に配慮すること、それができることであり、能動的にもできることだと思う。

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