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時には心を殺すことも必要か

本当に必要なこと

これをやるには心を殺す必要があるかもしれない。

僕は思うがままに生きたい。そのためには、あんまりやりたくないこともやる瞬間は必ず来る。じゃないと自分という人間が大きくならない。

ストレスがかからないからだ。ストレスっていうのは苦痛というより、負荷だ。筋トレだ、サウナだ。

快には時に負荷が必要なのだ。それは同時に精神にも負荷がかかる。だからやりたくない。逃げる。

でも必要だ。ずっと水風呂に浸かっていても気持ちよくならない。全てがあるから美しい。サウナはアップ(交代浴)の段階で決まっている。

いや、嘘だ。行く前の気持ちの時点でもう決まっている。まるで遠足のように、お菓子を買って次の日が楽しみで寝られない小学生のようにワクワクしている自分がいるか?これでもうサウナの勝負は決まる。

サウナはサウナに集中するからいい。これは間違いない。サウナは、己との対話だ。

対話をより良くするには

対話。全ては対話。これを充実させるにはある程度の負荷が、やはり必要なのだ。

まずは手っ取り早く取り除ける不快を除くべきか?

ここから始めるべきか。体が動かない。ソファーと自分がくっついてしまったようになる。これは取り除けるものから除いていこうよ、というサインなのか。

そのサインはどこから発せられているのか?

単純にフィジカルか?分からない。でも取り除ける負荷を順番に、丁寧に取り除くことで良い負荷をかけられるかもしれない。

そしたら逃げない。もう勝ちだ。はじめてしまえば何とでもなる。

何度も言うが僕はモチベーションを信じていない。

そもそもめちゃくちゃやる気がある時の方が稀中の稀なのだ。宝くじが当選する確率くらいに思っていた方がいい。

それくらい人はモチベーションをアテにしすぎている。モチベーションが関係ない状態=0でもできることを日々散りばめておくことが大事だ。

そしてメンテナンス。その場の治療でどれくらい行動が起こせるか、知っていた方が良いだろう。

とにかく今僕は机に向かっている。これでもう勝ちなのだ。このまでの道のりをどうにか最速にしたい。治療とメンテナンス。うおーー。

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