買うことでしか満たされない者へ
まえがき
珍しく酔っ払いながら書いている。1日経てば恥ずかしい記事になるかもしれないが書きたいことを書く、書きたくないことは書かない。そうやって生きていく。今日は買うこと、買い物について。なんとなく思いついたことをつらつら書く。
買うという行為
買う。お金を払う。何を買うのか、どれを買うのか、どっちを買うのか。
人は悩むものだ。服ならどっちが良いか。何を基準にするか。
なぜ悩むのだろう。お金はただの交換手段だ。使ってこそお金だ。
買うことというと、モノに注目するかもしれない。
本当に僕たちはモノを買っているのか。それは何かで代替することはできないか。これは一生止まらないサイクルだ。何か買ってもまた飽きる。そして買う。僕らの欲望はいつまでも満たされることのないまま、ちりとなりそしていずれ死ぬ。
どうしたら満足か、なにか代わりはないのか。
レコードを買うということ
僕はレコードをよく買う。理由はシンプルにレコードで曲聴いている自分をおしゃれだと思うからだ。
たしかに、アナログで聴くのはとんでもなく心地が良い。一生聴いていたくなる。
ただ、本当に買っているのはアナログレコードではなく、アナログレコードを買っている自分が特別でおしゃれでかっこいいという一時の感情、思い込み、体験なのだ。
でもレコードは良い。古臭い。めんどくさい。ときには音が飛んでまともに聞けないパートもある。
正直に言うと「なんでや!」となる。でも良いのかもしれない。それくらいテキトーで全然良いのかもしれない。
たしかにSpotifyとか、AppleMusicとかでそれが起こったらとんでもないことになる。
でもいいじゃないか。曖昧で。そんなゆっくりさ、いい加減さ、音のトビ。これはいくらあっても良い。心の余裕ってやつだと思うから。
他人からの目
他人からの目は大事だ。それは客観的だから。自分で軸を作らなくて良いから。自分が背負う必要がないから。
でもそれは買い物だ。浪費だ。いつまで立っても満たされることはない。
壁を超えたと思えば、次の壁がまた出てくる。
自分の人生の主導権は何なのか。自分の人生は誰ものか
誰が良いと思ってくれるのか。誰が褒めてくれるのか。誰が、後悔なく死ねるのか・・・
自分だ。強烈な自分しかいない。
その買い物は他者のものか。自分のためのものか。
ムダを意図して生むということ
買い物はムダだ。だって現在あるものでも生活はしていけるのだから。
だって、変えなくても死なないのだから。
でもそれがおもろいか、そうでないかで言えば、おもろくないのかもしれない。
買い物は循環だ。ムダだ。だから良い。家に新しい風が吹き荒れる。そんなイメージだ。
やはりムダにコストは掛けたくないのも事実だ。どうやれば代わりの手段が見つかるのか。どうすれば・・・
しばらくはこれが僕の課題だ。わざわざ買い物をしなくても、ムダを、有益なムダを発生させる技術は。
そのために断捨離がある。これは良いムダと悪いムダを見極める作業だ。
そんなミニマリストな人生じゃつまらない。白紙のままだ。少し落書きがほしい。まずは消しゴムで消そう。そしたらどんな落書きが消えないのか分かる。
話はそこからだ。捨てる。そして見つけていくんだ。
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