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2023年の振り返り


サマリー

1月:復職/双子入園/病児保育
2月:病児保育/双子1歳
3月:病児保育
4月:病児保育
5月:病児保育
6月:病児保育/双子歩く
7月:病児保育
8月:帰省/転職活動
9月:転勤内示
10月:転勤先の家&園探し
11月:転勤/引越し/休職/転職活動中断
12月:復職/関東楽しい

復職・保育園入園

2021年11月から始まった産育休が終わり、今年2023年1月から復職した。双子が保育園に行くようになったのが、今年の出来事であることにびっくり。去年までワンオペ双子育休していたなんて信じられない。自分がすごすぎる。

「もっと育休とりたい。子どもと離れたくない。」4月入園の申し込み時期だからか、最近そういうツイートを見かける。去年の今頃、双子育児で満身創痍だった私としては、保育園には早く預けたかった。4月入園で激戦の1歳児クラス2枠確保は難しいだろうと判断して、0歳児クラスにギリギリ入れるタイミングで園を探し申し込んだ。

内定が出たときは急に寂しくなってしまった。しかし、その日いつも通り双子とワンオペで1日を過ごすと、夜にはやっぱりもう自宅保育無理だ、と正常な判断を取り戻し、生後11ヶ月で入園した。

「もっと一緒にいたい」と思える育児をしたかった、もし双子じゃなかったらそうなっていたのかな、と今でも反芻することもある。けれど、もう走り出してしまったんだから止まらずに駆け抜けるのみ。子どもの「今」を見ることに頭と時間を使うのよ、と鼓舞する。

病児保育の日々

慣らし保育は1ヶ月。その1ヶ月が終わらないうちに発熱。そこから「1ヶ月のうち1-2週間は保育園に行けない」という月が3,4ヶ月は続いた。

幸い家の近くに病児保育室があったため、仕事をほとんど休むことはなかった。仕事を休みたくない/休めない事情もあったけれど、体調不良の双子を自宅保育するなんて到底無理だと正直思っていた。

病児保育室は、徒歩通園圏内で、必ず予約が取れる。病院併設のため通っている間に診察・処方があり病院に行く必要もなく、昼食も出してくれ、本当に本当に助かった。

「病気なのに家で過ごせないなんてかわいそう」とは思わず、自宅でのワンオペと違い大人が複数人いて、急変すればすぐに医療行為が受けられる環境。お迎えコールも絶対ないので、いつもの保育園に通っているときよりも安心して日中過ごせた。


フル共働きwith双子の回し方

「本当に休まずに保育園に行ける日は来るのか」「お迎えコールに怯えない日々は来るのか」「半年から1年経てば落ち着くよ」

いや半年経っても全然落ち着かないし、あと半年もこんな生活なの。と絶望していたけれど、本当に保育園を休まない日々がやってきた。鼻水は出るけど熱は出ない。

いつ夜通し寝てくれるんだろう。いつ4時5時に起きる日が終わるんだろう。いつご飯を床にぽいぽい捨てずに食べてくれるだろう。この先これがずっと続くような気がして暗澹たる気持ちになるけれど、全部終わりが来る。子が生まれて何回も経験してきるけれど、渦中にいるときは客観的に見れないのよね。踊り場みたいな時間はなく、毎日毎日生活が迫ってきてさ。

この生活をいかに回してきたかというと、シッター(兼家事代行)さんに尽きる。シッターさんには精神的にも物理的にも助けられている。そして、国や行政のシッター割引券本当にありがとう。

※与件


- フルタイム(8-17時)
- アルバイト+業務委託で複業
-フルリモート

- フルタイム
- 正社員
- フル出社
- シッターさんがいない日はだいだい19時帰宅
外注
- シッター兼家事代行(2時間/回を週3で利用)
 - 家事:洗濯物畳み/仕舞う、トイレ掃除、ご飯冷凍、食器片付け
 - 育児:食事とお風呂の介助(私との2オペ)
- 夕食は作り置き配送サービス(献立作成・買い物・料理をカット)
- 掃除機がけはお掃除ロボットのみ
- 食洗機あり

食欲と睡眠欲を満たしてればどうにかなった頃とは異なり、自我が出てきた1歳前後なると意思のある泣き方する。双子2人でされると精神的にかなり削られる。このままだと虐待してしまうかも。叫んで泣いたことは何回もある(私が)。誰か監視役がいてほしかった。

シッターさんがいてもWギャン泣きはあるけれど、3人だけの密室空間でされるより、他にその姿を見てくれる人がいることでものすごく楽になる。食べ物をこぼされたって、他に拭いてくれる人がいるから、と思って怒らなくて済む。

話が逸れるが、今もワンオペのときは「ああならないように、ああならないように(大声を出したり泣いちゃダメだ)」とトラウマ。ワンオペの時間は必ずあるので、そんなときは「誰のせいにもせず自分でやり切る、というマインドでいた方が精神的に安定する」と学んだ。

もう少ししたら夫が帰ってくる→時間を過ぎても帰ってこない、とか、大人2人いればこんなことにならないのになんで夫がいないのか。夫に対する「怒り」と子どもの泣き声が融合すると冷静でいられなくなるんだよね。

話を戻すと、シッターさんには「頑張ってやる家事」をお願いしている。頑張ってやる家事とは、双子が寝た後に気合い入れ直してやる冷凍ご飯作りとか、朝早く起きてやる洗濯物畳みとかトイレ掃除。育児が終わった後にゆっくりしたい時間を削ってやる家事。お願いしたい家事は、シッターさんが来るまで溜めて頑張らないようにしている。


転勤引越し

夫の転勤により、関西から関東に引っ越しをした。このタイミングで転勤がなければあと半年から1年は転勤がないだろうね、と聞いていた時期で転勤がなかったので私は転職活動をスタートしたのだが、その1ヶ月半後に転勤になった。

転職活動は一時休止し、転勤先の家探し。我が家には1歳双子がいるので、1歳児2名が保育園に入れるエリアであることが最優先事項。園の空き具合を起点に住まいを探した。

保育園に入ってまだ10ヶ月。子どもも私も先生のことを信頼している。近隣には同い年の双子家族がいて、産まれてすぐからお世話になったドゥーラさんも、週3日お世話になっているシッターさんも、当日でも絶対利用できる病児保育室もあって。そんな方/環境と離れるのが寂しくて正直大泣きした。引っ越し先でまた新たに構築しないといけない大変さを思っても泣いた。

以前住んでいたホーチミンからの転勤が決まったとき、どうせなら実家のある関東がよかったと思っていたし、どうせまた転勤があるのだから仮の住まいと思っていたけれど、こんなにも泣けることに私自身びっくりし、子どもが生まれたおかげでこんなにも思い入れのある土地になったのだなと思った(ホーチミンから転勤になった時も泣いたな)。

と、感慨にふけるのは綺麗だけれど、引っ越し準備も、引っ越しも、引っ越し後に保育園に入るまでも、保育園に慣れるまでも本当に大変だった。もう幼児子連れ引越は絶対にしたくない(しません)。友人に「仕事も育児も引越しも本当に大変だよ。よく頑張ってるよ」と都度都度励ましてもらっていた。

生活が落ち着いたので言えることだけど、土地勘のある場所で育児をするのは楽しい。自分が子どもの頃に行ったあの場所に行こう、と行きたい場所や経験したいことがどんどん出てくる。

おわりに(夫婦喧嘩を通しての気づき)

仕事復帰、保育園入園、怒涛の子の発熱、引越し、再度保活。こんなにイベントがあったのかとびっくり。2023年で全て起こってやりきったとは思えない。こんな怒涛の生活の中で夫と刺し合い(比喩)になるような喧嘩も数回した。

「余裕がないときこそ人の本性が出る」と思っていたから、喧嘩の時に起こった事象を本当に許せなくなっていたけれど、何かで「余裕がないとき他人に優しくなれないのは当然」と見かけた。腑に落ちた。

ワンオペのとき夫に対する怒りで子どもの前で冷静さをなくしてしまう、と書いたように「怒り」って本当に人をおかしくするなと思う。夫に対しても、子どもに対しても「自分はこんなに大変なのに/やってるのに」と思っているときにイライラ(怒り)が湧いている。最近夫に対しては「相手の方が大変なんだ」と思うようにしている。

そうすると、なぜか率先して相手が楽になること、喜ぶことをやっている。それを受けた夫が同じように私に返してくれる。というサイクルでうまくいっている。2024年も継続したい。

それでは!


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