『透明階段の気持ちよさ』 2024/4/29 日記

子供の頃見た、名探偵コナンの映画で、怪盗キッドが高層ビルと高層ビルの間に(はたから見るとまるで空中に浮いているかのように見える)悠然と立っているシーンを今でも覚えている。そのころの私にはあまりにも衝撃的なシーンだった。
今思い返すとその衝撃は主に二つの思いに分解できる。一つは視聴者の視点として、どうして浮いているんだろうという思い。もう一つは己の視点として、どうして怖がらずにいられるのだろうという思い。
もちろん映画を最後まで見てしまえば、一番初めの視聴者の視点は解決してしまうので、今再び映画を見たとしても当時のような衝撃はもたらさないだろう。しかし、この二つ目の視点に関しては今でも色褪せず鮮烈に衝撃を与えるはずだ。それほどまでに怪盗キッドは堂々と空中に浮かんでいる。

話は変わって最近パソコンを新しくした。今まで使用していたパソコンが充電器なしでは生きていけない状態になったためである。
理系という方面にいながら機械に疎い私は、とりあえずなんとか買い換えない方法はないものだろうかと悪あがきから始めた。けれども、もうパソコンの保証期間も修理期間もとっくに過ぎていることが判明した。どうやら悪あがきすらさせてもらえないらしい。
どうしたものか。隣の席に座っている友人に相談したところ、買い換えるしかないですねの一言が返ってきた。それしかないのか。重い腰を必死に上げて、どんなパソコンが良いか調べてみるとこれが思った以上に値段が高い。高性能な機能をふんだんに詰め込んでいるのだから高いのが当たり前だとは思うが、それにしてもこれほどとは。思わずため息が出るくらいには高い。それも友人に伝えると、大半の人は早めに買い換えることで費用を抑えているという。そんなのいつ教わったんだよ。思わず口からやるせない愚痴がこぼれてしまう。対して友人は、結構当たり前ですよと私の常識知らずを軽くなじってきた。
そんなこんなで悩みながらはや一か月は過ぎたころ、ついにパソコンが暗転し始めたので、前々から検討していたものを注文した。注文を終えて肩の荷が下りると別の思いが頭の中に浮かんできた。
新しいパソコン、いったいどういう感じなのだろう。
どういう感じというのは非常にあいまいである。一言で表すなら、今のパソコンと同様に使いこなせるだろうか。ということだ。機械に疎い私にとって、この同様にという部分が非常に重要である。今のパソコンはもう5年も使用しているから、これから来るパソコンとはだいぶ機能が異なる。もちろん、今まで苦戦していた多くのことも難なくできるようになるだろう。しかし、それは私の望んでいることではない。その新しい機能とやらには安心が一切ないのだ。ましてや、今まで愛着を感じていた様々な部分が一掃されてしまう可能性だってある。それをしてまで新しい機能を取り入れることは本当に必要だろうかと考えてしまう。
実際のところ、この考えというのは新しいことに飛び出す恐怖心が生み出した幻想に他ならない。ある種の防衛反応とでも言うのだろうか。新しい世界に飛び出して怖い目に遭うくらいなら今の鎧で身を固めていたほうがよっぽど安全だと脳が指令を出しているのだ。
このような場面は日常生活で頻繁に起こる。新しいメニューを注文してみるとか、ちょっと違う道から帰ってみようとか誰かにとって簡単そうに見えることにも防衛反応が出てしまう。

つい最近映画館を通りかかったら、名探偵コナンの新作ポスターが貼ってあった。今回は怪盗キッドがメインで登場するらしい。怪盗キッド。その単語が頭を廻ったとき、冒頭で話した空中浮遊のシーンを思い出した。
―もしかしたら、怪盗キッドも内心は焦っていたのだろうか。それでも奇抜な仕掛けで世間を驚かせつつ、警察の目を欺かなければならない現状を受け止めて浮遊していたのだろうか。結果、野次馬は大はしゃぎで警察からの闘争も成功。華麗なる泥棒としてみんなの記憶に刻まれることとなった。一仕事終えた後の滑空はさぞ気持ちよかったことだろう。

パソコンが届いて、慣れないながらもセットアップをした。一通り済んだので普段通りに日記を書いてみる。なんだ、意外に書きやすいぞ。いや、このキーボードの反発、めちゃくちゃ心地よい。これは前よりも良いんじゃないか。
という体験を経て、今このnoteを書いている。
自分の知らない未知の世界というのは、案外、思っていた以上にハードルが低く、その上景色が良いのかもしれない。

今日はこのくらいで。
おやすみなさい、さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?