少しずつおとなになれてるかなと思った話。

社会に出て、年齢を重ねたからといって大人になるわけではないことを知る。社会に出ただれもが必ず一回は感じる事実。それでも大人だなあと感じる人はいて、そういう人に強く憧れを持つし、自分もそうなれるかなと将来の自分に思いをはせたりする。大人な人は意識して大人になろうとしたのか、それとも、もともとの性格なのか。どちらにしよきっとすべての人が大人になるチャンスはあるだろうし自分にもあってほしいと思う。

そんな私が最近大人になってきたのかなと思うことは流行を気にしなくなったこと。流行は服であったり、曲であったり、はたまたSNSの投稿の系統であったりほんとうに様々。今までは流行を知ること、その流行に乗ることが大事であり、安心感につながっていた。周りからみて自分は浮いていないか、その他大勢として、どこにでもいる通行人Aとして馴染めているか。似たような服装をした中での個性を出すなんてのはせいぜいアクセサリーの形が~やら、髪の毛の色が~やら対して変わらない。みんなと同じ服装をしていたいのに、みんなと同じはちょっと…なんて意味わからない背伸びの仕方。その小さな個性はきっと自己満足の範囲で、少しを遠くを見渡せば同じ個性の出し方をしている人なんてうじゃうじゃいて結局それも量産個性。自己満足のそれさえも流行りに左右されて、周りの環境によって変わる個性ってなに?個性ってなに?

そう気づいたのは流行にとらわれなくなったから。いつもでも流行りをおっかける生活には必ず限界がくると思ったから。自分の軸が世の中の流れにのって流されていく。その生活はずっとは続かない。空気じゃ家は建てれない。木があって、鉄があって、コンクリがあって初めて家が建つ。変わらないもの、ぶれないものが人間には必要だと思う。それが自らの軸となる。その軸は自分が迷った時の道しるべになり、時には自分を守ってくれる。


そういうものを持っていたいし、その存在に気づきはじめた私は少し大人に近づいたと思う。

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