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生きるよすがとしての芸術

 他の作家といかに差異化を図るかのゲームに明け暮れたり、インテリだけに伝わる難解な暗号を駆使して誰でも思いつく平凡な社会認識を披露したりしているうちに、むなしく時間は過ぎてゆき、そもそも自分がどこへ行こうとしていたのかさえ忘れてしまっている。

 手段と目的を混同し、制度としての芸術を志向していると勘違いしたまま走り続けるかぎり、本来求めていたものがある場所に辿り着くことはないだろう。

 作品を作ることは、それ以外のすべての方法ではどうすることもできない八方塞がりの状況を突破するための、最後の能動的な手段であり、まだ生きたいと望むとき、天に祈る一歩手前で「人事を尽くす」行為なのだと思っている。

 自力では如何ともしがたい苦境に立たされたとき、初めて、芸術の歴史を身近なものと感じた。人類が積み重ねてきたあらゆる制作の知が、私の背後で身体と心を支えてくれているのを感じた。手を動かしているのは自分1人でも、潜在的には常に総力戦なのだと気づいた。

 すべては「使える」ものとして遺されている。私はそれを本当に必要なことのために、正しいと信じることのために使い、また、次に使う者のために、使える何かを付け加えておかなければならない。

 未来に同じような苦境に立たされる者に向けて、こうすれば突破できるよ、と伝えること。もしくは、こっちに来ちゃ駄目だよ、と伝えること。

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