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津村喬「鏡の国のゴダール——イタリアへの旅あるいは〈黒画面〉試論」を読む

前回に引き続き、次は津村喬「鏡の国のゴダール——イタリアへの旅あるいは〈黒画面〉試論」(『映画批評』1970年3月号、新泉社)を読んでみることにしたい。特集上映「ゴダールマニフェスト」に関連して、主に『イタリアにおける論争』について書かれた論考で、足立正生や蓮實重彥らとの間で議論された「黒画面」論争の発端となったことでも知られている。

三つの次元における旅

 津村喬は1970年10月から始まった特集上映「ゴダールマニフェスト」を取り上げ、同特集によって、1960年代から70年代にかけてのゴダールの歩みを「変貌」や「飛躍」として語るのではなく、ある程度一貫した概念を以て語ることができるようになったと評価する。そして、そのゴダールの歩みを三つの次元における「旅」として論じようとする。

 第一の旅は、ゴダール自身の「〈故郷〉からの〈旅〉」である。すなわち、ブルジョワ階級の家に生まれたゴダールが、如何にしてその環境に拘束された思考や構造から逃れ出ようとしたのかを問うこと。だが、ゴダール自身が出自を積極的に語ることはないので、自伝的あるいは伝記的なスタイルでこの問いを探究することは難しい(コリン・マッケイブによる伝記『ゴダール伝』が刊行されるのは2003年のことである)。あくまでゴダールが具体的にとった行動や言説、監督した映画作品を見ることから考察を進めるしか道はない。

 そこで津村は、第二の旅となる「映像(イマージュ)とことば(パロール)の不確定性の旅」について語る。ゴダールは、フランシス・ポンジュが言うところの「観客の世代」——映画を愛好する世代——に属しており、その特徴は映画を物として扱う態度にある。『勝手にしやがれ』(1960)を嚆矢とする60年代の諸作品は、既存の映画を物とみなすことで、それらを自在に引用し、「映画の映画」あるいは「映画についての映画」として構成されている。

 美学者の浅沼圭司は、映像が氾濫して世界を覆い尽くすことで、たんなる模像ではなく現実そのものとなり、逆に実体験による狭い現実が虚像化しつつあると述べ、ゴダールの引用による映画制作はそのような現代の状況を反映しているのだと論じた。これに対して津村は、浅沼の状況認識に一定の賛同を示しつつも、その先のゴダールの苦悩が見落とされていると批判する。

 哲学者ブリス・パランが現実と言語の間にどうしても生じてしまう距離やズレについて思考したように、若き日にパランに影響を受けたゴダールもまた、現実と映像の間にある距離やズレを自らの映画に組み込もうとした。そして、そのための手段が「引用」だった。引用が作品に異化効果をもたらすことで、古典的な物語映画の虚構性を暴き、観客に現実を認識するよう促すことができるはずだった。だが、その試みさえも「映画についての映画」という一つの作品として完結し、自閉的な映像的世界を作り上げてしまうなら、外部性は失われ、現実を把握する契機も得られなくなってしまうだろう。

 この問題に直面したとき、ゴダールが見出した活路が「音声(サウンド)」だった。「東風は西風を圧倒する」(『映画批評』創刊号、新泉社、1970年10月)ですでに論じられたように、映像と音声、「見る」ことと「聞く」こと、あるいはエクリチュールとパロールを対決させることで、後者が前者を絶えず反省=解体し続ける映画、言い換えれば「映画の解体についての映画」「今まさに解体されつつある映画」へと向かうのだ。

 そして映像と音声の対決は——『東風』(1970)がそうであるように——アメリカ的なものと第三世界的なものの対立とも結びつく。津村の整理によれば、アメリカ的なものとは、あらゆるものを対象化し、世界を表象(イメージ)として捉えて「世界像」(マルティン・ハイデッガー)を構築し、それを支配・制御しようとするものである。対する第三世界的なものとは、対象化し尽くすことのできない「無限の余白すなわち距離」であり、それゆえ近代的な世界像を解体し、そこから人間を解き放つものである。ゴダールにとって、こうした「余白への政治の確立」と「音声」の発見は同一の過程であると津村は論じている。

『イタリアにおける論争』の「黒画面」

 60年代のゴダールはあくまで映画による映画の分析に留まっていた。だが1968年、パリ五月革命に接したゴダールは、これまでの自身の不徹底さを痛感し、映画による現実の生活の分析がなされねばならないと考える。そうした問題意識のもとに結成されたのがジガ・ヴェルトフ集団であった。ジガ・ヴェルトフ集団では、「政治映画を撮るのではなく、映画を政治的に作ること」が試みられた。単に政治を題材にした映画を撮るのではなく、映画の制作すること自体がそのプロセスも含めて政治の実践であるようなあり方を模索したのである。

 ところが日本の映画人は、ゴダールの「映画の解体」という問題意識を理解しなかった。例えば足立正生は、中平卓馬との対談「「作品」の解体と崩壊」(『日本読書新聞』第1575号・1576号、1970年)において、『イタリアにおける闘争』の黒画面を「映画をやめる」ことと捉え、「ゴダールはむしろ映画をきっぱりやめて政治をやるべきだ」と批判した(ただし津村は足立の発言を誤読しており、後に自身の誤りを認めている)。だがゴダールは映画をやめるなどと宣明したことはないし、むしろ世界革命における映画固有の任務——「世界像の時代」の解体——を発見したのではないかと津村は言う。『イタリアにおける闘争』の黒画面は、「映画をやめる」ことではなく、映画を「救出」するための重大な試みとして受け取るべきなのだ。

 ここから津村は、「空白」「〈かき曇った鏡〉あるいは〈壁〉」「イデオロギー」「土地の精霊」と様々な概念を検討することを通じて黒画面の役割を描き出し、『イタリアにおける闘争』の具体的な分析を進めていく。以下では、『イタリアにおける闘争』の四部構成に沿わせるかたちでこれらの概念を整理し、それぞれ確認してみたい。

第一部:日常生活の対象化

 第一部では、マルクス主義者として革命運動に身を投じる学生パオラの日常生活が、「闘争」「大学」「社会」「家庭」「セックス」の部門に分けて映し出される。それらの映像は随所に黒画面が挟み込まれることで断片化されており、そこに本来あるべき映像が欠落しているという印象を与える。津村が第一に規定しているように「黒画面は空白である」。

 空白とは、端的に物(映像)が不在の状態、黒色以外の何も映し出されていない状態を指す。空白があることで、観客は「見る」ことを一旦停止し、流れてくる音声を「聞く」ことに集中するよう促される。ゴダールが仕掛けたこの映像と音声の対立構造の中で、観客は映し出された映像が「現実」ではなく「反映」であることを告げられるだろう。ここで言う「反映」とは、現実をありのままに映し出したイメージではなく、何かしらの力によって歪められたイメージが、あたかも現実であるかのように映し出されているということだ。

第二部:イデオロギーの発見

 第二部では、第一部で示されたパオラの日常生活が反省的に分析される。パオラは階級闘争をより深く理解するため、労働者と対話してみたり、工場で働いてみたりと試行錯誤を続けるが、却って自身が大衆と遊離していることを痛感させられる。マルクスの史的唯物論によれば、人間の思想は、個々人が自由に決められるものではなく、社会との関わりによって規定されている。革命運動に励むパオラでさえも、実はその生活や行動は、彼女が生きる社会の中で資本主義的に組織されていることが明らかになる。

 加えて第二部では、そのようなパオラの生活を成り立たせている条件が巧みに隠蔽されていることも指摘される。すなわち、「黒画面はイデオロギーである」。『イタリアにおける闘争』第一部において、そこに映し出される映像がイデオロギーによって歪められたイメージであること——「現実」ではなく「反映」であること——を隠蔽する役割を担っていた黒画面は、第二部では、そのように不可視化されたイデオロギーがあることを指し示すものとして機能するのだ。

 なお、ここで津村はその名を挙げていないが、『イタリアにおける闘争』の理論的背景には、マルクス主義哲学者ルイ・アルチュセールが提唱した「国家のイデオロギー装置」という概念がある。軍隊や警察、政府や行政機関など「国家の抑圧装置」が主に「暴力」によって機能するのに対し、教会や学校、家族やメディアなどの「国家のイデオロギー装置」は主に「イデオロギー」によって機能する。また前者がおおよそ公的機関によって担われるのに対し、後者は多様で、私的な領域に拡散・浸透して機能するのも重要な相違である。松田政男が提起した風景論になぞえらえて言えば、「国家のイデオロギー装置」は我々を取り囲む不可視の権力なのであり、それゆえ『イタリアにおける闘争』のような、個々人の日常生活や行動に対する詳細な分析が必要になるのだ。

第三部:イデオロギーの闘争

 第三部では、上記の反省を踏まえ、第一部と第二部にあった黒画面が別の映像で埋められていく。例えばパオラが洋服店で試着をするショットの前後にあった黒画面は、「生産関係」を意味する工場のショットに差し替えられる。「生産関係」とは、生産が行われる上で人間相互が取り結ぶ関係のことだ。ここでは、生産手段(工場)を持つ資本家と生産手段を持たない労働者の関係ということになる。

 黒画面を映像で埋めるのは、「映像の解体」と逆行する行為と感じられるかもしれない。だが津村は、あらゆる「反映」を否定してイデオロギーが介在しない「現実」を求めるのは、空虚なラディカリズムに過ぎないと言う。『イタリアにおける闘争』の作中でも語られているように、「現実」か「反映」かではなく、どのようなイデオロギーから生まれた「反映」なのかを問題にすべきだ。より具体的には、世界が現状のままであることを望むブルジョワ・イデオロギーと、世界の変革を望む革命的イデオロギーとの闘争を問題とせねばならない。

 ただしそれは、例えば黒画面を赤い画面に替えれば革命的な映像になるといった単純な話ではない。ここまで見てきたように、ブルジョワ・イデオロギーが生み出す「反映」としての映像と、その映像を外部から反省的に語る音声の対立構造を作り出すことによって、隠蔽された「ブルジョワ政治=戦略」——人々が無自覚のうちにブルジョワ・イデオロギーを内面化していくメカニズム——を発見すること。そして、『イタリアにおける闘争』の観客自身がこの戦略を一つの「闘争方針プログラム(綱領)」とし、自らの日常生活の分析に応用・活用できるようにすることが目指されている。

第四部:戦略とスタイルの獲得

 第四部では、パオラが国営テレビに出演している俳優として自らの労働と闘争について語る。ゴダールは活動家の学生パオラを主人公とする「政治物語」を撮ることで満足するのではなく、『イタリアにおける闘争』という作品自体の成立条件——イタリアのテレビ局RAI(イタリア放送協会)のために製作されたが、結局放映は拒否された——をも批判の俎上に上げた。まさに「映画を政治的に作ること」を実践しようとしたのである。

 だが津村は、『イタリアにおける闘争』で示された「空白」の解消だけでは不十分であり、むしろこの作品自体を一つのイデオロギー、あるいは黒画面として捉えるべきだと言う。『イタリアにおける闘争』には撮られていないゴダールの日常性についても、検討が為されなければならないと。

 取り上げる順番は前後するが、津村は「黒画面は空白である」とした後に、続けて「黒画面は〈かき曇った鏡〉あるいは〈壁〉である」とも述べていた。空白は、不在であることによって何も意味しないのではなく、むしろどこまでも汲み尽くすことのできない無限の意味が収斂する場とも考えられる。西洋はアジアやアフリカを鏡として自らのアイデンティティを確認してきたが、この鏡はただ光を反射するのみでなく、西洋的な思考や言語の外部にある「不可視の暗黒の光」を照射する「かき曇った鏡」でもあった。それは西洋に対する鏡の復讐である。またその鏡は、現代の文学的表現において、西洋的イデオロギーの限界や行き詰まりを象徴する「」として見出されることにもなるだろう。

 要するに津村は、黒画面を、他者の姿を通じて自己の姿や限界を浮かび上がらせると共に、その限界を突破する手がかりを与えてもくれるものでもあると捉えている。黒画面を分析して空白を埋めていくことは、無限に終わりのない作業だが、だからと言って、それは単に壁を見ているだけではない。本稿のタイトル「鏡の国のゴダール」が、鏡=壁の前で立ち止まるのではなく、それでもなお前に進もうとするゴダールを「鏡の国」を旅するアリスになぞらえたものだということを思い起こそう。観客は『イタリアにおける闘争』およびゴダールの活動を批判的に検討することを通じて、自分自身の日常に闘争を持ち込むための様々な戦略とスタイルをゴダールから学ぶことができるのだ。

「土地の精霊」の声を聴く——ゴダールの第三の旅

 では、『イタリアにおける闘争』には撮られていないゴダールの日常性の検討は、いかなるかたちで行われるのだろうか。津村は冒頭で挙げたゴダールの三つの次元における旅のうち「第三の旅」として、「シカゴやプラハやエジプトやイタリアへの〈旅〉」を取り上げる。五月革命以降、各地を旅しながら映画制作を続けるゴダールの、「定住者」ではなく「遊行者」としてのありように注目し、「黒画面は土地の精霊である」と新たな概念が提出される。

 「土地の精霊」という言葉は、山崎昌夫『旅の思想——〈いのちの増大〉に関する小さな試論』(高校生新書、1969年)で紹介されているミシェル・ビュトールのエッセイ『土地の精霊』(1958)から採られている。ビュトールはフランス語の教師としてエジプトに赴き、その地に約8ヶ月滞在することになった。山崎昌夫によれば、ビュトールはヨーロッパとは異質な風土とそこで頑健な文化を作り上げている定住者たちの姿に圧倒され、近な世界が異質な世界に陵辱されているような感覚を味わう。そして彼は「両世界の仲裁を前提としない抗争の全体を解読」するために、ハシーシュ(大麻)の服用によってもたらされる映像の爽やかさを飲みながら「土地の精霊」の声に耳を傾けた。一度解体されてしまった世界の全体性を取り戻すことは不可能だと知りつつ、それでもなお全体性を志向する中で、かろうじて判読可能な領域を構成していこうと試みだった。

 津村はそこに、「かき曇った鏡」あるいは「壁」へと向かうゴダールとの共通項を見出す。『イタリアにおける闘争』を撮るために、ゴダールは安易に「政治映画」の素材や題材になるようなものを探すことはしなかった。黒画面に向き合い、無数のパオラが呪縛されているであろう「土地の精霊」の声を聴くことで、イタリアにおける資本主義、ブルジョワ・イデオロギーと対決しようとしたのだ。

 この論考が執筆された時点では、ゴダールはパレスチナで『勝利の日まで——パレスティナ革命の思想方法と工作方法』と題したフィルムを編集中であるとの情報が日本にも伝わっていた。津村はゴダールの「第三の旅」を全面的に問題にできるのは同作の完成以降になるだろうとしつつ、各々が自分自身の「土地の精霊」の声を聴くよう呼びかける。それはゴダールから学んだ戦略とスタイルを以て、それぞれの戦線で、ゴダールと共に革命的な闘争に身を投じることである。

(追記)黒板としてのスクリーン

「黒画面」論争全体については、また別の場で詳しく書けたらと思う。なお、『ユリイカ2023年1月臨時増刊号 総特集=ジャン=リュック・ゴダール』に寄稿した「黒板としてのスクリーン——ジガ・ヴェルトフ集団のオンデマンド授業動画映画」では、「黒画面」論争における津村喬・足立正生・蓮實重彥三者の立場の違いを、教師ゴダールに対する授業態度の違いとして簡潔にまとめた。ゴダールを模範教師として認め、その学びを自らの日常でも実践しようとしたのが津村喬。そもそもゴダールを教師と認めず、早々に授業をボイコットしたのが足立正生。一見従順に授業を受けるふりをしながら、教師自身の方法を以て授業崩壊を引き起こそうとしたのが蓮實重彥、というように。


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