器のデカい人が嫌い

一般的に、器がデカい人はイイ人って感じがしますよね?

僕は全くそう思わないんです。


そもそも、器がデカいってどういう事でしょうか?

許容範囲が大きいという事ですよね?つまり、他人に対して許せる範囲が大きいって事。だから、滅多な事じゃ怒ったりしない。それが器がデカいという事。

これだけ聞くと、やっぱ「器がデカい=イイ人」じゃん。って感じですよね?

でも逆に、大概の事では怒らないって事は人が何で怒ってるのか理解出来ないって事でもあるわけです。それって優しいでしょうか?

僕は「器がデカい=鈍感」とも言えると思うわけです。

だから僕は器がデカい人が嫌いです。

と、器の小さい自分は思います。


で、ここからは持論なんですが…(いや、ずっと持論なんだけど)、そもそも人の器っていうのは単純なデカい小さいの話じゃないんじゃないか?って思うんです。

器って言うだけあって、それぞれに違う形をしてるものだと思うんです。

だから、人それぞれに溢れるタイミングが違ったり溢れる量が違うと思うんです。

日によって気分の浮き沈みが激しい人は器が浅いから傾きに弱い、とか。

そんな、器の形が似ている人を価値観が合うと言ったりするんじゃないでしょうか。

でも、器の形が似てる二人って言うのは共感する部分が多いから友達としては最高だけど、いっぱいいっぱいになるタイミングも一緒だからパートナーとしてはあまり相性が良くないかも知れないな。とか。

そんな風に思うわけです。


そう考えると「オレってこういう器のカタチかもな」とか「あの人って良い器だな」とか「オレはこんな器の人と相性がいいな」とか思えて来るわけで。だんだん「アイツなんでオレの気持ちが分かんないんだ!」とか思わなくなって来るんですよね。

というか、そう理解するようにしてます。

僕は決して達観してるわけでは無く「ムカつくけど、ムカついてるだけ時間の無駄だな」って感じに思うようにしてます。


そうやって器理論で考えると、自分に対しても「もっと深みのある器にしていきたいな」とか自分を磨くための目安になりますよね。

皆さんはどんな器の人間になりたいでしょうか?

僕はもっぱら、器の底に穴を開けて全部受け流せる人間になりたいなと思ってます。さらにその穴の形を工夫して面白く吐き出せたら最高だなと思ってます。

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