宗教の違い
前回「お笑いの値段」と言う記事を書きました。
あれ、実は3日くらい悩んで書いた記事なんです。
「この言い方だと伝わり方がアレかなー?」とか「これだと説明足りないかな?」とか、そうやって書いてるうちに「いや、回りくどくて何言ってるかわかんねーわ!」見ないになって書き直したり。
なんでこんなに悩むのかなーと思ったら、価値観が違う人に価値を伝えるってことをテーマにしてるから難しいんだと思いました。
そして、ある結論に達しました。
あ、コレ無理。
価値観が違う人と分かりあうと言うのはコレ無理な話なんですよね。
話し合ってわかるなら苦労しないし戦争もないですよ。
つまり、影響を受けてきたモノや信じてるモノ、育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイわけです。
夏がダメだったりセロリが好きだったりするわけで、、、とにかく!分かり合えないから価値観って言葉があるわけです。
コレはもう宗教の違いですよね。
エンターテイメントって人に影響を与えるジャンルだから、直接価値観に訴えかけるモノなわけです。
そりゃ人によって価値が違いますよね。
実際にあるイベントに参加した時に、そのイベントの実行委員のおじさまがあるロックバンドについて「アイツらよ、遅れて来たのに偉そうにココ車で通してくれとか言って来やがったんだよ。オレらがいねぇと始まらないとでも思ってやがるんだよ」と愚痴を言ってるのを聞いた時があります。
そのロックバンドは僕にとっては神みたいなバンドだったので「はぁああ!?始まらねえだろ実際!!神なんだから!!何が何でも最優先で道開けろよ!!馬鹿かよ!!ひれ伏せよ!!ひれ伏して通せよ!!水溜りでもあろうもんならお前が体で塞いで上を通ってもらえよ!!」と思ったのですが、この人にとってはタダのイベント参加アーティストで年下の若者に過ぎないんだろうなーと思い、静かに「なるほど」と言うしか無かった経験があります。
もし、コレが大御所演歌歌手とかならそのおじさまの対応は違ったのでしょうか?
または、娘や孫が好きなアーティストなら話は違ったのかも知れません。
つまり、そのおじさまの価値観に直接訴えかける事は不可能でも、おじさまの周りの人間に価値のある存在になる事で間接的に価値観を変える事は可能なわけです。
その方法しかないかも知れませんね。価値観を変える方法って。
僕はね。自分達の評価なんて正直二の次でいいんです。
もちろん「ねじ」が人気になったら嬉しいし最高ですけど、それより秋田みたいな地方都市で「お笑い」の評価が低い事が悲しいんです。
と言うか「エンターテイメント」の評価が低いのが嫌なんです。
だから僕が秋田で一番最初にするべきなのは仲間集めだなと思っています。
少なくとも、このnoteに興味を持って、この記事までたどり着いてくれた方の多くは僕の仲間だと思います。
コレはエンターテイメント教お笑い宗派の布教活動です。
うん。一気に胡散臭くなった。
最高。
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