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佐々木八重歯です。澁澤龍彦が大好き。寺山修司は憧れ。あれやこれやと思ったことを書き散らしてます。

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佐々木八重歯です。澁澤龍彦が大好き。寺山修司は憧れ。あれやこれやと思ったことを書き散らしてます。

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自己紹介(2024年版)

《自己紹介》 好きな人は澁澤龍彦。好き愛してる。彼がいなかったら、私はどんなにつまらない人間になるだろう。 二階堂奥歯嬢や寺山修司、中井英夫、南条あや嬢、村崎百郎、鶴見済、青木正明も好き。 村上春樹より村上龍が好き。 『ノルウェーの森』のような沼のように静的なものより「限りなく透明に近いブルー』のような動的なものの方が好き。 つらい時に読むのは澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』や南条あや嬢の『卒業式まで死にません』。 寝る前に読むのは澁澤龍彦の『フローラ逍遙』 唐十郎が

    • 好きな理由は語るべからず

      好きな理由は語ってはならない。 好きな理由を語れば語るほど別のものを好んでもいい理由になってしまう。 例えば、『不思議の国のアリス』のどこが好きなのかと訊かれて、 「大人の女(蝶)として羽ばたく以前の少女(蛹)の話で共感できるから」 と理由を述べれば、別に『不思議の国のアリス』ではなく堤中納言物語の「虫を愛づる姫君」が好きでもよくなってしまう。 「女王が記憶力は過去と未来の2方向に働いていなければならないといい、アリスがまだ起こらないことを思い出すことはできないと答

      • 情死:『少年のアビス』を読んで

        最近あまり漫画を読んでいなかったが、久しぶりに峰浪りょう氏の『少年のアビス』を読んで嵌まった。 あらすじはWikipediaより以下の通り。 (舞台となった情死ヶ淵は『進撃の巨人』の作者諌山創氏の故郷大分県日田市に実在する場所であり、実際に心中事件があったそうである。) さて、この漫画を読んでわたしは以前知人に言われた言葉を思い出した。 その言葉というのが 「好きな人ってのは一緒に死にたいって思える人のことじゃあないの。」 確か、恋人がほしいと言ってる子がいて、それ

        • 澁澤龍彦生誕祭~ざっくばらんに個人的思い出を振り返って

          本日5月8日は澁澤龍彦氏の96回目の生辰である。 本当は今日にあわせて、書いていたnoteを公開したかったのだが、書き終わらなかったので、そちらは8月5日の「ドラコニア忌」、澁澤さんの命日にあわせて出したいと思う。 しかし、せっかくの辰年の5月8日に何も出さないのは、少々惜しい気がするので、昨年と同様にざっくばらんに個人的思い出を振り返ってみることにする。 まず、彼との出逢いは、高校1年の夏に読んだ『フローラ逍遥』である。 このエッセイは1960年代の反省から表だって

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        自己紹介(2024年版)

          前夜祭

          明日5月8日は我らが澁澤龍彦氏がお生まれになった日である。 僕のこの世で最も好きな人。 とうの昔にお亡くなりになり、逢うことの叶わない人。 ニーチェだったか、遠人愛と言ったのは。 プラトニックな気持ちで純粋に憧れておくのが良い。 その意味において、この世に存在しない澁澤龍彦は、永遠の憧れであり、愛しい人。 たとえ何度子供を堕させようとも、僕の彼への愛は変わらない。 たとえどんな掠れ声でも、彼への思慕の念は溢れるばかり。 僕自身が三島由紀夫と同じ誕生日であり、三

          自殺の影響

          先日、話してて久しぶりに昔の友達のことを思い出したので、忘れる前に書いておくことにする。 人間が忘れる順番は「聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚」の順番らしが、僕はすでに彼女の匂いすら忘れてしまった。 でも、まともに、すなおに、胸いっぱいに受け止めた死の痛撃が原因なのか、彼女の最後のことばは脳裏にこびりついている。 「助けを求めるだけ無駄で自らで解決するしかない。誰も信用できないけど、誰かに助けてほしかった。」 強烈な見捨てられ体験、自己の外の対象から見捨てられるというだけ

          自殺の影響

          この世界に因果なんてありはしない。

          「結果には、すべて原因がある」 と言ったのはガリレオ・ガリレイであったか。 因果律といって、あらゆる出来事は何かしらの原因から生じた結果であり、原因なしにはいかなるものも生じない法則のことである。 しかし、私は因果律を信じてはいない。 きっと世界には因果なんてなくて相関しかない それを人間が解釈するだけである。 因果や対比、同値関係なんてきっと世界は定めていない。 例えば、 高校の物理の教科書では気体分子運動論を説明してから熱の理論を説明している 理想気体の

          この世界に因果なんてありはしない。

          衛生観念の変遷

          フランスの衛生観念15世紀中期  貧乏学生「プラッター」の手記より 「一部の下層市民と同じように、学生は学年に関係なく害虫がわくのであるが、その量がどれほどのものであるかは、おわかりいただけまい。~(中略)~特に夏はオーデル川の岸辺でよくシャツを洗ったものである。シャツを木の枝に干して乾くのを待つあいだ、服を掃除して、地面に穴を掘り、山のような害虫の死骸を埋め、土をかけ、十字架をかけた。」 16世紀中期  当時の衛生指導書 「医学的な理由でどうしてもやむを得ない場合をの

          衛生観念の変遷

          人生に目的なんてありはしない。

          人生に目的なんてものがあると信じて疑わない者がある。 声を大にして言いたい。 人生に目的などありはしないのだと。 君は何のために生きているのか? この問いに答えられるのは熱心な宗教家だけさ。 そもそも僕らは自らの意思で生まれてきたのではない。 2018年に話題となったシラノ・ドベルジュラックの言葉を借りれば、 「この今の時代を見たいか、あるいは別の時代まで待つかときみに訊ねただろうか。」 「きみが愚か者の子に生まれても我慢するか、あるいは立派な人物の子に生まれ

          人生に目的なんてありはしない。

          英語で文脈から推測なんてのは時間の無駄。~S.M先生

          以下は一部編集しており、正確な発言ではないことを先に断っておく。 「まぁ、これって、これも言わなきゃいけないんですけど、おおっ、ねっ、っていうわけで、depend onって言ってるんだよね。「かかっている」、日本語だったら、「✕✕にはるかに多くのことがかかっているのだ」。まるまる、まる。それでいいですね。at stakeって、なかなか訳しにくい言葉だけど、それでも正解です。「危ないことにね、危機に瀕しているのだと、危ない目にあっているのだ」、OKです。それでもOKですが、d

          英語で文脈から推測なんてのは時間の無駄。~S.M先生

          「三角関数より金融経済を学ぶべき」「古典は不要」

          これまでのnoteの加筆修正中なので、アクチュアルな事象についてだが、一度書いているから、改めて書き直すことにする。 「三角関数より金融経済を学ぶべき」 という話がTwitterで話題となった。 なるほど三角関数は実生活でほとんど使わないから、それなら直接役に立つ金融経済を学ぶのに時間を割いた方がいいというわけだ。 一見理にかなっているように見えるかもしれないが、 僕には、無駄に終わりそう思えてならない。 というのも、学び方が変わらないかぎり、金融経済を学んでも三

          「三角関数より金融経済を学ぶべき」「古典は不要」

          3.11後の世界を生きる

          80年代後半には「世界の終わりブーム」があった。 五島勉の『ノストラダムスの大予言』が流行り、 前世少女がハルマゲドにそなえて仲間を集めはじめたり、 子供たちの間では暗い噂話が広がっていたりした。 結局、1999年7月に空から恐怖の大魔王は降りてこなかった。 21世紀はちゃんときた。 99年3月30日になくなった南条あや嬢が生きなかった2000年は当たり前かのようにやってきた。 そして2011年3月11日にデカい一発がきてしまった。 信じて疑わなかった安全神話

          3.11後の世界を生きる

          名前なんかいらない

          名前を付けるという行為は、世界を分節化する行為である。 連続体である世界を名前によって分類、整理することで、ヒトは物事を理解しようとする。 ペットや人形に名前を与える人もいる。 確かに、佐々木嬢も「クトゥルーちゃん」や「ホームズ」と名付けていた。 なかには、家電に名前を付ける者もいる。 トースターが「山崎」、冷蔵庫が「芝山」、掃除機が「富永」、机上の読書灯が「森」、テレビが「吉村」、パソコンが「ヒロミ」と命名した者もある。 名前に関して個人的に、特に印象的なものは

          名前なんかいらない

          愛をめぐる断片~澁澤龍彦・三島由紀夫を中心に~

          知人が言うに 「『だから』が恋であり、『だけど』が愛である 限定が恋であり、譲歩が愛である」 彼女の論に則すると、私の澁澤龍彦氏への気持ちは恋であり、愛である。 すなわち、恋愛なのかもしれない。 常に成長し続ける作家である澁澤さんが好きであり、4回も堕胎させた澁澤さんだけど好きなのだから。 彼女との話をきっかけに愛ついて少し思ったことがある。 愛とは何か。 愛を定義することが困難なのは言わずとも知れたことであろう。 生理学者の説く愛と哲学者の説く愛、心理学者

          愛をめぐる断片~澁澤龍彦・三島由紀夫を中心に~

          ご報告

          私がnoteを始めてから2年経ちました。 今年1年はあまり書けずなかったのですが、 私生活もひと段落しましたので、そろそろ書き始めていきたいなぁと思ってます。 つきましては、計120の記事を非公開にして修正あるいは加筆していこうと思います。 今改めて読み返してみると違和感を感ぜざるを得ず、この1年で良くも悪くも文体が変わった気がしてならないのです。 日々思ったことあるいは読んだ本、見た芝居、訪れた場所等について気ままに書いていきたいと思います。 また1年間よろしく

          普段無意識でやっていることを如何に意識的にするか。

           Sigmund Freudが述べるように、意識というのは氷山の一角なのかもしれない。 素人の私がこうして文章を書いているときも、全ての単語を意識的に選んでいるわけではない(本来は全て意識的に選ぶべきなのかもしれないが)。 「感覚」というもので、コロケーションで、結束性で、無意識的に言葉を選んでいる、あるいは選ばされている。 意識的に行っているのは、構成を考えることのみ。まぁ、構成すらも下手なのだが。 では、この意識を如何に拡げていくか。 如何にして、 「普段、無

          普段無意識でやっていることを如何に意識的にするか。