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『飽くなき予報』のあとがき【あとがき、予備知識】

予報が貴方に意識させる光景は、蓋然性が加わった未来の光景だ。このばあい、蓋然性の大小についてが気にかけられることはあまりない。素朴な、思慮の足りない、短絡的で、愚かなプロセスによって出力された蓋然性であってもかまわない。蓋然性は、あたえられるかどうかの二者択一であってもいい。光景はすでに事後的。筆記が貴方に賜予する光景も事後的に報じられている。命名も改名も襲名も予め排除フォアクロージャーしておいた。寵愛のなかで栄えていたときがほんとうはいつだったのか、はどうでもいい。ああ、いま、時間はおいといて、空間はある感じがする。静かだ。耳は健在かもしれない。胎児について特筆すべきことはないけれども、だからといって、胎児がごく単純であるとは限らない。川が流れているのか、皮膜がたるんでいるのか、区別できたものじゃないような、あいまいな谺があってもいい。土嚢が川を堰き止めることはあるにせよ。というか、それが現実に近い。頭からずっと、現実に近い速さの話をしている。一方で、遅さにおいては、緻密な光景が押し寄せる。準備中 と書かれた透かし模様は消えないまま。河川敷の生い茂った歩道はトラクターのタイヤでめくれていて、祖先みたいな光が向こうに見えたってロード中だ。 まあ、ダウンロードの営みには身分の高低がある。だって、句は偉いんだか ら。偉大さをまとった新しい中毒ができあがってもいい。時間は、ある中毒からべつの中毒への移行だ。時めく中毒のうちを漂流して一日だか百年だかを終える。勘違いのプレフィックスを夢中に書き込んでいる。だが、眠すぎる。 真剣に言えば、この掃滅の作業はエコノミカルな霊園に属している。存続期間は淘汰されて、夢からも追い出されてしまい、またの不幸まで飛ぶ。疾しい良心が、どうしてマラじゃないのかと訊く。いやはや、葛藤葛藤。署名する肉は、とてつもない呪詛の群れで生成されているのだ、という愁訴を、複雑 なしかたで承認してあげてほしい。無理にとは言わないが。

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これは、ササキリユウイチの第二川柳句集『飽くなき予報』の末尾に収録された「あとがき、予備知識」なる散文の掲載です。©︎SASAKIRI YOUICHI

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