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雪が降っていると思う

新幹線に乗って青森に帰るとき、雪が降ってるんじゃないかって思う。雪がまだ降らない夏や秋でもそう感じた。これはきっと初めて乗った新幹線が、高校2年生の12月だったからだと思う。修学旅行で大阪から青森に帰ってくると行くときよりも沢山の雪が降っていて、行きたくなかった修学旅行の筈なのに夢から覚めたような清々しさがあった。
それから高校を卒業してすぐに社会人になった僕は横浜で暮らす兄に会いに行った。コロナ禍で中々会えなかったが、久しぶりに会った兄は都会にかぶれていて標準語で僕を見下していた。家から飛び出すように進路を決め何ヶ月もせず簡単にいなくなった。父親からの過保護という圧から生み出された兄は、兄がいない青森の家族の中で一番の人間で問題も話題も掻っ攫っていく。女性問題、借金等話題は事欠かかなかった。僕はそれが羨ましくて仕方なかった。初めて二人でお酒を飲んだ時、兄は酔っ払って「俺が家を出ていって、家の中がごちゃごちゃとおかしくなったかもしれないのは謝るが、悪いとは思わない」そう溢した。頭にきたが仕方ないのだと割り切るしかなかった。あんな家庭から出ていきたい気持ちは僕にだって分かるし、兄にとってはそうせざる負えなかったから。ただ、僕の人生はどうなるのだろう。きっとそれも、僕の中の強すぎる被害者意識から来るもので、僕の感情を苛立って聞く人だっているだろう。進路を決める時、「お前だけは青森に残ってほしい」と告げられた時に僕の未来の相談は意味がなかったのだと思った。(心理療法士やカウンセラーみたいな仕事をしたいと相談していた)もう何年も会っていない兄のために僕の進路は捻じ曲げられてしまったと思わざるを得ない。一人で悶々とした新幹線の中で、きっとずっと僕が帰るのはこの青森という地なのだろうと考えていた。その時も2月の事で、青森に着くと大雪が降っていた。新幹線が停車する駅だというのに周りには派手な建物もなく、暗い夜と街灯と静かな雪だけだった。ひどく蝕む孤独は、学生時代に感じた流行り病みたいなものではなくて、もうどうにもならない末期症状みたいなものだった。
いつまで経っても、新幹線に乗ると悲しい思い出が離れず、青森に帰るたびに雪が降っていると思うのだ。うんざりとした冷たさに青春を感じられる人生でありたかったと、いつまで経っても解決しない後悔に似たようなものが覆いかぶさっている。

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