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する・見る・支える

こんばんは。佐々木です。


新学期が始まりました。

選手として新学期一発目の試合。

活動休止もあって一ヶ月ぶりの試合。

45分出場4-0。
パントキック一本カウンターで得点に繋げられた。



いつも写真ありがとうございます。


さて、今年の夏を振り返ります。


今年のテーマを意識した今夏



今年は夏に入る前に教育と指導をする場が増えました。



【昨年度】
所属:鎌倉インターナショナルFC

○県内高等学校サッカー部監督
○中学校クラブチームGKコーチ



【今年度】
所属:はやぶさイレブン

◉高等学校非常勤講師(家庭科)
◉中学校クラブチームGKコーチ
◉都内某高等学校GKコーチ


そして自分自身がプレーをする場を変えたりと
自分の成長と変化を求めてこの環境を選びました。


自分の中で今年はテーマがあって。


それは

現時点で将来やりたいコトと向き合って
本当に自分がやりたいコトなのかを確かめる。


自分がやりたいコトって

...

家庭科教諭。

家庭科は衣食住と自立がテーマな教科。
人間に必要な要素が詰まっているたしかに魅力的な教科ではあるけれど...
免許は取得したが60歳まで教員人生を家庭科に捧げるのか?
それだけの魅力がある教え甲斐のある教科なのか?

GKコーチ。

GKは勝敗を分けるポジション。
体格差、指の長さ、足の長さ違うゴールキーパーをベストな成長へと導くGKコーチの指導は難しい。
本気でこのポジションに向き合っている子供に無責任な指導は出来ない。
責任が大きいこの職業を責任を持つことを一貫して指導できるのか?

確かめたかった。



そんな心境の中で迎えた今年の夏を振り返る。


馬鹿になって行動した今夏


今年の夏の中で心の中が大きく変化したのは中学クラブの合宿だった。


全体的に選手の意識の高さや変化をあまり見られなかった合宿だったけれど...

自分自身選手よりも食べて、選手より早く起きて朝に走って。


「コーチの方が食べてるぞ走ってるぞ」 

ってそりゃ子供と大人だし比べちゃいけないんだけど...

刺激になればなって子供の意識を引き出そうと
子供たちを煽るために合宿中に頑張ったことが
自分自身の行動の変化。


普段長い時間を共有できない子供達と関わったり話す回数が増えたし(サッカー以外の話も)

自分の人間性を正直に出せた時間がこの合宿では多かった。


平日にトレーニング指導をするだけの指導者から脱却して色んな子と良い距離感を作れたことで質問も増えたし(サッカー以外含む)指導でも役立ったと感じた。


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意識して行動して距離感を縮めたわけじゃなくて
選手と一緒に頑張った結果距離感が縮まった。

そして距離感が縮まって関わり方の幅が広がった。

どうアプローチして縮めるかはそれぞれの人間力だと思うけれど
選手と指導者が良い距離感だと会話が増える。

これって指導するのに大切なことだと思う。




指導をする中で感じた今夏


サッカーや授業を教える中で最近感じることがあって。

指導者で大事なのって目標に対して階段を設定することではなく
正しい階段の登り方を良い距離感でわかりやすく教えること


だなって思う。


指導者を始めてから意識していることは幾つかあって...

その中でも大学の時の監督に教えて頂いた山本五十六の金言

やってみせ、言って聞かせ、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ


は人を指導する時に常に1番に意識していて。

それが最近になってやっと自分なりの言葉と指示に
繋げられてきたっていう感触がある。


でもさっきの話

こんな言葉を意識したところで、わかりやすく教えても正しい階段の登り方を知らなければ無意味で。

それに良い距離感でいないといくら伝えようとしても
指導者が喋ってるだけに見えてしまうのが子供。

っていうのがわかったのが今年の夏だった。


自分自身の選手としての環境を変えて
信頼できる指導者の元で現役でプレーしている今年。

GKの動作一つ一つに対して自分も考えて形を変えて成長できている実感があって。

だからこそ自分自身が指導をする中で
やってみてと言っても教えた動作を簡単にできない子に
寄り添ってあげられていると思っている。

これって平凡以下な才能な自分だからこそ、
選手の頃凡才だった指導者よりも
諦めずにわかりやすく教えたいって思える強みなのかとも思う。


良い距離感で指導っていうのは文章で伝えるには長くなるけれど、

とにかく人間性を隠さず子供と関わることが大切だと思うし、

トレーニング指導するだけの指導者は良い距離感を作れないって思う。

これって当たり前な話ではあるんだけれど、オーラを出す裏表ある指導者沢山いるし意外と難しい。



自分が継続しているコトへの手応え


自分が思う良い指導者は分かりやすい指導の中に理不尽を上手く織り込める指導者

最近、間接的に子供からの自分の評価を聞く。


聞く話が良いことばかりでまだそこに至れてないと思ってる。

でも子供からの直接的な評価ってなにでわかるのか。
自分の中で確立しているモノがあって。

力強い目線


話を聞いている時にふと選手の顔を見た時に
どれだけ柔らかい目をしている子も
鋭く強くやってやろうと感じる眼に変わり
その裏に考えて吸収しようとしている感覚が伝わる目線になる。




これは自分が選手として指導してもらっている時も同じ。

自分がタメになることを話している

この人の言うことなら信用できる

今から何を言うんだろう


指導者からの話を聞く中でこの心境に立った時に自分は自然と強く目を合わせる


他の社会に比べて部活動やクラブチームの指導者は子供が結果を出したところで
ボーナスが出たりインセンティブが出るわけでも無い。

他の教員や指導者と、同じ給料を貰いながらも
その仕事の内容や労働時間には格差があって
それでも頑張るのって"子供達のために"と強く思える人間で。

それを強く思えない頑張らずにのらりくらりやってる
給料泥棒よばわりされる人間が出る。

社会人は
顧客という絶対的な評価をしてくれている人間がいて
数字という絶対的な評価を視覚で認知できる要素がある

教員は?誰が評価するの?

子供でしょう。だから先程の目線は評価に置き換えている。


今から何を言うんだろう


これって目線の大事な要素に含んだけれど同じことばっかり話す指導者にこれを思わせることできない

毎回違うことを言っても内容が薄かったり、
適当なことを言って選手が納得しなければ簡単に見抜かれる


サッカーも授業も指導者がやることは同じで。

常に自分のタメになることを次のページ次のページへと
階段を登るように教科書をめくって新しい知識や視点を提供する。

そして選手は予習と復習の義務があって。

その意識をどうやって強くさせるか。課題を与えられるか。

指導者として至らないところはまだまだあるけれど
あといくつかのピースがハマれば小さなパズルが完成しそうな感覚が芽生えて来た。

そんな中で...

どういう意図でトレーニングをするのか、どうやって関わるか。


大学卒業後三年間指導してきたチャレンジしてきたことが
やっと実になってきたそんな夏でした。

諦めずに信じて継続して来たからこそ、


怒鳴らず怒らず子供と向き合って指導力が無い自分に矢印を向けて

なぜ出来ないのか」を考え続けたからこそ。

あとはもっと寄り添って成長させることが自分の責任。全うする。




現時点で今年のテーマを直視したら


最近スポーツの三つの関わり方を考えている時間が多い。

○スポーツの三つの関わり方

する・見る・支える


する→選手
見る→サポーター(親、恋人、友人)

であるなら

支える→次の時代の主役に技術を継承する指導者

であるんだけれど

今やっている選手から支える立場にシフトチェンジするのっていつがベストなんだろうって思う。

指導者としての少し手応えを感じている今。

選手として頑張る時間を希望あふれる子供たちに使うべきなのでは?と思ってしまう。

勿論、選手として頑張った時間は確実に子供に還元される

だけれど。

"自分のために生きる"から"他人のために生きる"

自分の生き方を変えたい。という気持ちがここ最近強い。


話は振り出しに戻り。

今年のテーマを考えた結果、

テーマ通り長期的な目標は固まってきたものの

3年単位の短期的な目標(長期的な目標のためにするべきタスク)

の設定に迷わされる夏になってしまいました。


人生3回くらい出来ないかな。



それでも人生は1回だからこんなに考えるんだけどさ。


指導者としての手応えと共に

沢山考えさせて悩ませてくれた今年の夏の全ての出来事に感謝。

ひで

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