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フランク・ザッパの四分三十三秒

*『ex-music』(河出書房新社)および『ex-music(L)』(アルテスパブリッシング)より。フランク・ザッパがジョン・ケージの「4分33秒」をカバーしていた?という話。30年くらい前に書いた文章です。

 レコーディングの日付がどこにもないので、必ずしも正確な話ではないのだが、昨年末惜しくも他界した、「アメリカの音楽」の偉大なるマエストローーフランク・ザッパの生涯で最後の録音は、ひょっとすると、ジョン・ケージの作品の"カヴァー"ということになるのかもしれない。しかも曲目は、あの《四分三十三秒》である。
 ケージの死後、いわゆる「現代音楽」よりも、はるかに幅広い音楽の領域から、追悼もしくはトリピュートの試みが、いくつも行われたが、その内のひとつ、二十組を越える多彩なアーティストが参加した二枚組アルバム『A CHANCE OPERATION the John cage tribute』に、ザッパによる《四分三十三秒》の"演奏"が収録されているのである。もちろん、その正確な四分三十三秒からは、ザッパの独創的なギターも、個性的なヴォーカルも何ひとつ聞こえてこない。ただ明らかに無録音状態ではなく、どこか静かな場所でテープが回っており、時折、遠くでドアが閉まるような音が微かに聞こえたりもする。日付はおろか録音場所も記されていないので、この《四分三十三秒》が、本当にザッパの"演奏"なのかどうか、確かめる術がないのだが、むしろそれゆえにこそ、次のような想像が許されもするのではないか。
すなわち、やはりこれはザッパの病室(いや、彼は自宅で逝ったのだったろうか?)で録られた《四分三十三秒》なのであり、自他ともに認める「録音狂」であった雑葉は、人生最後のレコーデイングを茸翁に捧げたのである……
 繰り返すが、いささかセンチメンタルと言えなくもないこの想像には何の根拠も存在していない。だが、たとえそうでなくとも、この二人の故人の取り合わせには、非常に興味をそそられる。フランク・ザッパとジョン・ケージ。ほとんど異常なコンビというべきではないか。
 あえてカゴテライズするなら、やはり「ロック」の人であろうザッパの「クラシック・コンプレックス」は、よく知られている。彼は本格的なシンフォニーを書き、ブーレーズ指揮によるアルバムを発表し、結果的には存命中最後の作品となった『イエロー・シャーク』も、マウリツィオ・カーゲルからハイナー・ゲッペルスまでをレパートリーとするドイツの先鋭的演奏集団アンサンブル・モルデンをフィーチャーした、純然たる「クラシック」アルバムである。生涯を等してザッパが欲していたのは、「作曲家」というポジションであり、それも誤解を恐れずに言えば、古典的な概念としての「作曲家」であった。それはつまり、優れた音楽を作り出す特権的な才能を持つ者、というほどの意味である。
 ところで、言うまでもないが、このような古い概念を論理的に否定してみせたのが、ほかならぬケージの《四分三十三秒》であった。この点については別の場所で詳しく述べたが(『テクノイズ・マテリアリズム』青土社)、ケージは「音楽」の契機を「聴取」の側に譲渡することで、事実上、「音楽」の殲滅プログラムをスタートさせてしまったのであり、それ以後すべての「作曲家」という存在は、ある明確な欺瞞と背中合わせにならざるを得ない(ではケージ自身はというと、彼は「作曲家」ではなくて「発明家」なのだ−−概念の。ジル・ドゥルースに従えば、これは「哲学者」の定義でもある)。
 ともあれ、我々が知っていたザッパなら、決して《四分三十三秒》を"カヴァー"する筈がないのである。ザッパは死を前にして変わったのだろうか? それとも、何のことはない、これはすべてザッパ御得意の「ジョーク」だったのだろうか? 残念なことに、もはや雑葉本人に真意を問いただすことはできない。
 『A CHANCE OPERATION』のラストにはニューヨークのケージのアパートの外で録音したというアンビエント・ノイズが入っている。これなど少々凝り過ぎと思えなくもないが、さらにこの二枚組は実際の局数とは無関係に、CD1は九十、CD2は八十五のチャプターに分かれている。CDプレイヤーには、曲順を無視してランダムに演奏が続く、「シャッフル」というモードがついているが、このアルバムは「シャッフル」によって、本来の演奏をバラバラに分解し、聞き手の選択によらない無限の組み合わせが生じるようになっているのである。つまりこれが「チャンス・オペレーション」ということなのだろうが、むしろこれこそ−−《四分三十三秒》のCDシングルを出したジャズ・ピアノストや、「四分三十三秒リミックス・ヴァージョン」をアルバムに収録した日本のスティーム・ドラム奏者と同じたぐいの−−いささかタチの悪い「ジョーク」なのではないかと疑ってしまう。もっともこのような稚気は、ケージ自身が持っていたラディカリズムとも、無縁ではないように思うが。
 「ケージ・トリビュート・アルバム」には、他にもいろいろな面白いものがある。イタリアの『SONORA』とカナダの『MUSICWORKS』という二種のCDマガジンのケージ特集号は、どちらもかなり力のこもった仕上がりである。前者には、冒頭にケージのインタビューが置かれ、ロベルト・ファブリチアーニなどイタリア人演奏家による《ウィンター・ミュージック》《竜安寺》《ヴァリエーション1》《アンプリファイされたトイ・ピアノのための音楽》などが収録されている。後者のCDは、BY JOHN CAGEとFOR JOHN CAGEに分かれており、チュードア、オリヴェロス、スポトニック等々による《アトラス・エプリプティカリス》+《ウィンター・ミュージック》や《ユーロペラ5》からの抜粋などのケージ作品五曲と、カナダの新鋭作曲家たちの、すべて初録音による「ケージのための作品」が収められている。変わり種では、ケージが亡くなるちょうど十年前にリリースされた、スウェーデンの作曲家たちによるケージ・トリビュート・アルバムーー『5 SEPTEMBER 7982』というのもある。
 しかし『A CHANCE OPERATION』と並んで、もっとも興味深い試みというべきは、「A Rock/Experimental Homage to John Cage」と銘打たれた『CAGED/UNCAGED』だろう。NYのICAの企画で作られたアルバムで、ジョン・ケールのプロデュースによって集められた面々は、デヴィッド・バーン、アート・リンゼイ、リー・レナルド(ソニック・ユース)等々、アメリカの先端的なミュージシャンばかりであり、それぞれがきわめて自由な発想で、「ケージに捧げる」ユニークな楽曲−演奏を披露している。ことによると、ケージの死をもっともケージ的に受けとめ得たのは、彼らということになるのかもしれない。

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