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幸宏さんについて私が思っている二、三の事柄

初出は「ユリイカ」。『批評王』に収録されているテクストです。

 私は音楽ライター稼業が長かったので、YMOのお三方とは過去何度かお話させていただいたことがある。それぞれのソロ活動にかんして折々の機会にインタビューすることもあったし、YMOとして、あるいはまだそう名乗ることをしていなかった、まだYMOとは名乗れなかった頃に(最初にそう名乗っていた頃には勿論会っていない。私はまだ高校生だった)、三人全員に取材ということもあった。それは比較的最近のことだが(それでも五、六年くらい昔だ)、そのときの話をしたいと思う。でもまずは別のことから始める。
 編集部からの依頼はニューアルバムをきっかけに、ということだった。『LIFE ANEW』だ。とても素敵な作品で、入手してから何度も聴いた。この作品のレコーディングに当たって、幸宏さんは
Yukihiro Takahashi with In Phaseというバンドを組んだ。メンバーは、pupaの一員でもある堀江博久(キーボード)と権藤知彦(ユーフォニウム他)、GREAT3/HONESTY/Curly Giraffeの高桑圭(ベース)、ニューヨークから呼び寄せられた元スマッシング・パンプキンズのジェイムズ・イハ(ギター)。一見ラフな、だがよく聴けば流石に細部へのこだわりが感じられるバンド・サウンドで、遂にYMOで最後に還暦を超えた幸宏さんの達観と童心が同時に溢れている。前後して発表された細野さんの『Heavenly Music』にも言えることだけれど、とにかく「歌うこと」の単純にして深遠なよろこびが端々から感じられるのがいい。そういえばこの二枚は、自分の曲と他人の曲にもはやほとんど区別をつけてない感じも共通している。
 今も音楽の仕事をもう少し続けていたら、たぶんこのアルバムについても幸宏さんにお話を伺う機会はあっただろうと思う。でもそうはならなかった。だが昔はアルバムが出ると大概どこかの媒体でインタビューをしていた。幸宏さんはいつもおおらかで、穏やかで、ダンディで、質問に丁寧に答えてくれた。彼が自らの音楽に向ける視線はきわめて透明で、職人的と言ってもいいようなところがあった。よく聴けば聴くほどに、よく知れば知るほどに三者三様であると思えるYMOが共に備えているのは、彼らと同世代の日本のミュージシャンがおしなべて持ってはいるが、彼らが特に強く帯びていたと言えるすぐれてコンセプチュアルな発想と、しかしけっしてコンセプチュアルなだけではない(時としてコンセプトをポジティヴに裏切ることさえある)センスとテクネーだ。その中でも幸宏さんは、今度はこういう作品を創るのだ、何故かといえば前のアルバムがああだったから、ここに至るまでにこういうような流れがあったから、などといった連続的な論理の感覚、自分のディスゴグラフィを常に(これからの未来に創るだろう作品も含めて)その全体像から眺めているような感じがしっかりとあって、それは表面的には相当サウンドが変わっていたりしても言えることである。それはセオレティカルなようでいて実は情動的なランダムネスの色濃い坂本さん、インスピレーションの人と思われがちだが本当はその進みゆきには直感的な要素がおそらく殆どない細野さんとはやはり違っている。
 『LIFE ANEW』は全体としてアーシーな雰囲気が濃く、pupaやスケッチ・ショウのようなエレクトロニカ的なフレイヴァーは希薄だが、しかしそれはバンド・サウンドへの回帰とか転向とか路線変更とか呼ばれるような事とはちょっと異なっていて、電子音/響に限らず、このアルバムには幸宏さんが過去にやってきた音楽の何もかもが流れ込んでいる。だからといって濃密さや豊饒さとは無縁で、むしろかなりシンプルな仕上がりになっている。 In Phaseのメンバーも作詞作曲を手掛けていることもあって、曲ごとの狙いがクリアで、何はともあれ「高橋幸宏が歌う」という当て書きが成功している。そう、このアルバムの聴きどころは何と言っても、シンガーとしての幸宏さんの魅力だ。
 YMOを他の何でもない「YMO」足らしめた要素は数あれど、高橋幸宏のあの癖の強いヴォーカルは間違いなく必須条件だったと思う。以前から持論があって、それは「ヴィジュアル系ヴォーカルの(贋の)起源としての高橋幸宏」というものなのだが、どういうことかというと、ヴィジュアル系独特のあの粘っこい歌唱スタイルのルーツを辿ってゆくとYMOの高橋幸宏に辿り着くという説であり、もちろんその奥にはデヴィッド・シルヴィアンとかゲイリー・ニューマンとかトム・ヴァーレインとかブライアン・フェリーとかデヴィッド・ボウイ等といった系譜が存在しているわけだが、つまり大まかに言うとグラム・ロックからパンク〜ポスト・パンクを経てニューウェーヴへと展開する流れの中で培われた或る種のシンギング・スタイルを、日本でおそらく最初に意識的にやってのけたひとりが高橋幸宏であり、一方その後に登場したヴィジュアル系はというと、その(主としてイギリス音楽の)流れの一部に好んで派手なメイク(お化粧)をする者が多々居たという事実によって、おそらく音楽性とはまったく別の動機付けから、その流れの歌唱法からも影響を受けてしまったのだったと私は推察している。YMOもお化粧はしていたし、幸宏さんには『NEUROMANTIC』(1981年)というアルバムもある(言うまでもなく「ニューロマンティック」はヴィジュアル系の重要な参照系のひとつである)。これは要するにヴィジュアル系がニッポンのポピュラー音楽史における洋楽の誤訳の一種であるという事実を示しているわけだが、結果としてその多くの人気者のヴォーカルはどこか幸宏さんに似ている。嘘だと思ったら聴き較べてみればいい。けれどもそこには当然だが差異がある。その差異とは、ナルチシズムと客観性の問題にかかわっている。
 ヴィジュアル系とは基本的にナルチシズム、すなわち自己愛と自己陶酔と他者へのその感染の音楽である。悪口を言っているのではない。そのファンはまさにそのナルチシズムにこそ共振し、没入させられる。この感覚は、先の洋楽の流れにもはっきりと刻印されているものだと思う。ボウイもデビシルも明らかにナルシストだ。だけれども、そこには同時にそんなナルな自分を突き放して見ているかのようなクールで客観的な視線も存在している。これがイギリスのポップ/ロック音楽におけるメンタリティの特徴だと思う。日本のヴィジュアル系は、後者を受け継ぐことはなかった。そこにはセルフな美学しかない。繰り返すがそれが悪いと言っているのではなくて、単にそうであると述べているのである。ところで、ならば高橋幸宏(YMOは、と言っても同じことだが)はどうだったか? 明らかにそこにはクールで客観的な視線が備わっている。往年の幸宏さん(とYMO)のメイクとヴォーカルは、多分に戦略的、コンセプチュアルなものであり、ほとんど(オリジナルの英国音楽の流行に対して)分析的でさえある。その代わりそこにはナルチシズムが希薄である。つまりヴィジュアル系とはおよそ真逆な様相になっているのだ。このように考えてみると、テクノポップとヴィジュアル系は、いわばほとんど似ていない兄弟のようなものに思えてくる。
 はじめて『音楽殺人』を聴いた時の興奮は忘れられない。ソロ・デビュー作の『サラヴァ!』は後からだった気がするが、こちらはオンタイムだったと思う。まず何と言ってもタイトルがカッコいい。曲名が「MURDERED BY THE MUSIC」なのにも(直訳だが)痺れた。このアルバムを聴くと、幸宏さんがYMOに持ち込んだポップネスがどれほどのものだったのかよくわかる。細野さんがイエローマジックオーケストラを創るに当たって、他の二人が坂本龍一と高橋幸宏に決まるまでに多少の経緯があったことはよく知られているが、結果としての三人のバランスは絶妙と言うしかない。とりわけドラマーである幸宏さんがヴォーカルも執るという判断は、それ以前から歌い始めてはいたにせよ、YMOのポップな側面を決定づけ(たとえばメイン・ヴォーカルを細野さんがやっていたら、まったく違った感じになっていた筈だ)、とともにシンガー高橋幸宏のチャームを開花させたと言っていい。必ずしも美声とは呼べない。どちらかといえば一種のダミ声でさえある幸宏さんのヴォーカルは、しかし不思議な明朗さを湛えている。いや、それはやはり明るいとまでは言えないが、しかし暗鬱ではない。たとえすこぶる内省的な、ダークだったりブラックだったりする歌詞を歌っていても、声の表情がどこか健やかなのだ。そういえば高橋幸宏はムーンライダーズの鈴木慶一とビートニクスを組んでいるが、慶一氏をはじめライダーズのメンバーのヴォーカルには幸宏さんと同質の雰囲気がある。だが、ムーンライダーズの歌はクラい(もちろんそこが良いということも言うまでもない。それにだからビートニクスの二人の相性は抜群とも言える)。
 肝心のドラマーとしての高橋幸宏は、精確に同じビートをひたすら延々と叩き続けられる、つまり機械(ドラムマシーン)のようなドラマーであり、これは実はなかなか出来ることではない。といってもサディスティック・ミカ・バンドでのプレイはそうとも言えないので、これもやはりYMOへの参加によって導き出されたものだと言えるかもしれない。テクノの流行が一段落ついた頃に、ドラムマシーンやシークエンサーの代わりに生ドラムが入る、いわゆる「人力テクノ」と呼ばれるものが出てきたが(たとえばROVO)、YMOはいわば元祖テクノにして人力テクノだった。しかし後のそれとはベクトルが逆である。人力テクノはマシン・ミュージックの人間化だが、YMOは人間のマシーン化なのだから。幸宏さんはYMO加入時点ですでに豊かなキャリアを有していたわけだが、にもかかわらず、その無機質極まりないドラムは、ほぼ同時期にニューヨークでDNAとしての活動を開始していた「ドラムの叩けないドラマー」ことモリ・イクエにむしろ近い(周知のようにイクエさんは後にドラム・セットを捨ててドラムマシーン奏者となり、現在はコンピュータを使っている)。テクニック的なことを脇に置いて聴いてみるならば、両者に共有されているのは一言でいうなら「非人間性」である。YMOでの幸宏さんのドラムにはニュアンスというものが全くない。それは機械にようにしか聴こえない。そのことがむしろおそろしくラジカルだったのだ。
 と、まあとりとめもなく書き連ねてきたが、この辺で最初に予告しておいた話をしたいと思う。YMOがふたたび三人での活動を少しずつ始めていた頃、2008年の5月19日のことだが、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏は、HAS名義でパシフィコ横浜国立大ホールでライヴを行なった。これは「財団法人がんの子どもを守る会」への支援を行なう「Smile Together Project」の一環としてのチャリティ・ライヴだった。このとき、ライヴ(はもちろん観に行った。素晴らしかった)の前か後かは忘れてしまったが、私は三人へのインタビューを行なった。その席で幸宏さんから伺った話に、私は非常に感銘を受けた。YMOの他の二人には子どもがいるが、高橋幸宏にはいない筈である。だが「Smile Together Project」への参加を言い出したのは幸宏さんだった。そう聞いて私は、彼にそのことを尋ねてみた。すると幸宏さんはおおよそ次のようなことを言ったのだ。
 「僕には子どもがいない。これから自分の子が生まれることもおそらくないだろう。しかしだからといって、僕が子どもたちの病気に無関係ということにはならない。むしろ自分の子どもが存在しないからこそ、この世界のすべての子どもたちを自分の子どもと同等の存在として考えるようになったんだ」。精確にはこんな言葉遣いではなかったかもしれないが、幸宏さんは大体こんなことを語ってくれた。私はこの発言に、ほとんど静かな衝撃と言ってもいいほどに強く揺さぶられた。ともすれば、これは単なる綺麗事に聞こえるのかもしれない。だが、私はそうは思わない。いわゆる博愛主義、べったりとしたヒューマニズムともまるで違う。「子どもがいないので関係ない」でも「子どもがいないのに関係ある」でもなく「子どもがいないからこそ関わろうとする」ということ。私の考えでは、これこそがもっとも純粋で真正な他者愛のかたちだと思う。他者愛とは文字通り自己愛の反転である。思うに、自己の延長線上で他者と出会うひとと、自己から切断された場処で他者を見出すひとがいるのだ。どちらが良いとか悪いとかを言うのではさしあたりない。だが高橋幸宏は明らかに後者であり、だからこそ彼は「がんの子どもを守る」ことにコミットしようと考えた。そしてYMOの他の二人に話して、チャリティ・ライヴを実現させたのだ。
 実をいえば、このエピソードは、私がずっと前から暖めている、いつか書くかもしれないし書かないかもしれない一冊の本、『未知との遭遇』という本の続編となる本、私なりに「正義」と「倫理」について考えてみようとする本の中で重要な役割を演じることになっている。だがここで書いてしまった。まあそれはいい。それにしても、あのとき幸宏さんから聞いたことは、私にとって、高橋幸宏というミュージシャンについて考える際にも、決定的な意味を持つことになった。思えばゼロ年代後半の、あの実に自然きわまりない、まるでふと気づいたら三人でやっていたんだよとでも言いたげなYMOの絶妙な復活劇においても(それはほんとうに1993年の「再生」とはどれほど違っていたことか!)、幸宏さんが果たした役割はすごく大きい。そして2008年の5月19日のパシフィコ横浜でのライヴは、後から振り返ってみれば、間違いなくその幕開けだったのだ。
 『LIFE ANEW』の中で私がいちばん好きな曲は、鈴木慶一が歌詞を提供した「The Old Friends Cottage」だ。とても慶一さんらしい、そこはかとない(だが濃密な)死の薫りに包まれたこの曲は、おそらく故・加藤和彦に捧げられている。
 細野晴臣は1947年生まれ。加藤和彦も1947年生まれ。鈴木慶一は1951年生まれ、坂本龍一は1952年生まれ。高橋幸宏は1952年生まれ。皆、還暦を過ぎた。先に逝った者もいる。それでも高橋幸宏の歌は、今もクールで、ダンディで、そして健やかだ。

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