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小沢健二『刹那』レビュー

*ゼロ年代前半に存在していた月刊誌「インビテーション」で連載していたディスクレビューより、小沢健二の(当時の)ベストアルバム『刹那』評。
現在は『ソフトアンドハード』(太田出版・絶版)に再録されています。

 ごく簡単にいって、小山田圭吾が「音」の人だとすれば、小沢健二は「ことば」の人だと思う。それは歌詞を重要視しているといった表面的なことばかりではなくて、小沢健二の音楽が起動する端緒においては、常に何らかの「ことば」の働きが、決定的に関与しているように思える、ということだ。これはコーネリアスがもっぱらリズムとトーンで思考し、およそまったく言語を必要としていないように思えるのとは対照的である。
 さて、そこで「刹那」だ。なぜ、この小沢健二自身の選曲によるアルバム未収録曲集のタイトルとして「刹那」という言葉が選ばれたのか?
 一見したところ、ここに集められたいかにもゴキゲンでお気楽なポップ・ソングたちが醸し出すムードは、この突き放すような漢字二文字とは、あまりにもそぐわない。逆にいえば、要するに小沢健二にとって、九〇年代半ばから現在に至るまでの時間とは、「痛快ウキウキ通り」と歌っていた自分が、その曲も含むコンピレーション・アルバムの題名として「刹那」を選ぶことになるまでの時間だった、ということになるのかもしれない。
 だが、それにしても、なぜ「刹那」なのか?
誤解を承知で敢えて述べてみるなら、小沢健二自身が、あの頃のことを「刹那」として思い起こしている、ということなのではないか。振り返ってみると、九四年から九五年あたりのオザケンのありようは、僕にはいささか異様に映った。異様という言い方がキツければ、不自然と言い換えてもいい。「王子様」とか「子猫チャン」とか歯の浮くような台詞を周囲に漂わせつつ、あからさまなまでに表層的なハッピーさやポジティヴさを身に纏いながら、「愛し愛されて生きるのさ」とか「カローラⅡにのって」とか「強い気持ち・強い愛」などと歌う彼の姿は、しかし完璧なまでに、誰かを演じているように見えたのだ。あれは結局のところ「刹那」だった、そういうことなのか?
 よくわからない。きっと本人がどこかで話すのだろう。まったく思いも寄らぬ意味が隠されているのかもしれない。だが、ひとつ言えることは、このアルバムに収められた楽曲群が、短くない月日を挟んだ今聴いても、あらゆる意味で、まったく古びていない、ということだ。それはしかし、小沢健二の才能が、彼が作り出す音楽に普遍的な魅力を与えているからではなくて、むしろまるで反対に、それが最初から潔く「刹那」としてのみあろうとしていたからなのではないかと、僕には思える。あの頃、既に彼は、すべてに気づいていたのではないか。これも誤解かもしれないが。

*ここでなんとなく触れられている感覚は、同じ時期に「クイックジャパン」で連載していた「METAPOP RGB」にも引き継がれています。

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