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彼女は何を見ているのかーひとつの濱口竜介論

『この映画を視ているのは誰か?』(作品社、2019年)収録。初稿なので単行本とは若干異同があるかもしれません。

 まぶただけ開いてまだ眠ったままの目が、一瞬、見えた。それからすぐに、目は暗闇を見て、わたしを見た。良介は筋肉の反射反応のように素早く強く目をぎゅっと閉じて、それからまた開けて、わたしの両手に包まれたその顔からわたしを見た。
柴崎友香「寝ても覚めても」 

 したがって、見つめ合う二つの瞳に対して、映画はいつも敗北しつづけるほかはない。
蓮實重彦『監督 小津安二郎』


 濱口竜介監督の映画『寝ても覚めても』には原作がある。そんなことはもちろん知っている、とあなたは言うだろう。ならばすぐさまこう続けよう。この映画の原作は、実は二つあるのだ。より精確に言えば、ひとつはごく真っ当な意味でのいわゆる「原作」だが(しかしその原作と映画との関係は通常のそれとはかなり異なっている)、もうひとつの方は、いわば「反=原作」とでも呼べるようなものになっている。いったいどういうことか、とあなたは訝しむだろう。本論では、まずはこのことを明らかにしたうえで、それが何を意味しているのかを考えてみたいと思う。
 ひとつ目の原作は、言うまでもなく柴崎友香が二〇一〇年に発表した長編小説である。濱口監督の映画の物語は、この小説の設定と展開をかなりの部分まで維持しており、その意味で「原作」と言ってよく、映画の基本情報にもそう記されている。だが、小説『寝ても覚めても』を事前に読み、そこに描かれ/語られた「恋愛」の異常さに震撼させられていた私のような者ならば、あれを映画にしようとする者が必ず直面せざるを得ない極めて厄介な問題をよくわかっていた筈であり、それゆえにこそ、国内外で高い評価を得た五時間十七分の大作『ハッピーアワー』(二〇一五年)以来の濱口監督の長編映画であり、彼にとって初の劇場公開を前提とした商業作品でもある映画『寝ても覚めても』への期待をより一層膨らませることになったのだ。
 小説『寝ても覚めても』は、次のような物語である(以下、『寝ても覚めても』の小説と映画のストーリーに触れますのでご了承ください)。一九九九年四月、OLになったばかりの朝子は、偶然に麦という青年と出会い、一目惚れして恋に落ち、付き合い始める。麦は優しいが少し変わっていて、どこかふわふわしており、ふらっといなくなってしばらく帰ってこなかったりする。そして遂に彼はある日、とつぜん消息を絶つ。朝子はもちろんショックを受けるが、どうすることも出来ない。それから六年が経った二〇〇五年の夏、二年ほど前から朝子は東京に移り住んでいる。ようやく麦の失踪の傷から癒えた彼女は、亮平という男性と知り合う。朝子はひどく驚く。亮平が麦にそっくりだったからだ。やがて朝子と亮平は付き合うことになるが、彼女は麦とのことを亮平には言えない。亮平は麦とは違ってごく普通の青年であり、朝子は彼との恋愛に平凡な、だが確かな幸福を感じるようになってゆく。ところが、それからまた時間が流れた二〇〇九年、麦が注目の新進俳優としてテレビの画面に登場し始める。それどころか麦は朝子の前に再び現れる。そして、なんと朝子は麦のもとに戻ってしまうのだ。だが、もちろんそこで物語は終わらない。亮平も友人たちも捨てて麦と二人で新幹線で移動中、朝子は携帯電話のメールに送られてきた、十年前に撮られた自分と麦の写真を見る。以下、引用する。

 わたしは、見た。懐かしい麦の顔と、それを隣でじっと見つめている自分の顔と。十年前のわたしと今のわたしが、同時に麦を見ていた。うしろの黄色の銀杏は、葉を散らせている途中だった。黄色い葉が、空中で静止していた。
 新幹線の中じゃなくて、他に誰もいなければ、わたしは声を上げていたと思う。
 違う。似ていない。この人、亮平じゃない。
 隣の座席で眠っている麦を見た。
 亮平じゃないやん! この人。
(『寝ても覚めても』)

 衝撃的な場面である。私もここを読んだ時、思わず声を上げそうになった。朝子は、次の駅で麦を残して新幹線を降りる。そして亮平のもとに帰ろうと決意する。そのあとに、この小説のラストシーンが訪れる。
 「異常」というのは、まずこの小説がヒロインである朝子の「わたし」という一人称で書かれていることによる。一人称の性質上、読者は「わたし」を通してしかこの小説の世界を知ることが出来ない。そしてこの「わたし」は、幾つかの、幾つもの意味で明らかに普通ではない。私は前に、この「わたし」の特異性についてやや詳しく述べたことがある(*)。なのでここでは肝心の点だけを述べよう。この小説でもっとも驚くべきは、もちろん右の引用におけるあまりにも唐突な「似ていない」である。朝子は亮平と麦がそっくりだと思っていた。それゆえに苦悩もした。だが、まったくとつぜんに、それは勘違いだったと「わたし」は思うのである。ぜんぜん「似ていない」と。では、ここで問わねばならない。結局のところ、二人の男は、似ていたのか、似ていなかったのか。
 わからない、としか答えようがない。何故ならば、これは小説だからである。小説は見えない。だから読者に与えられるのは、「わたし」が最初は二人をそっくりだと思い、後になって似ていないと思うということだけである。朝子以外にも麦と亮平の両方を知る登場人物はいるのだが、柴崎友香は巧妙にも、その人物には「なんとなーくおんなじ系統」としか言わせていない。つまり、わからないのだ。そして私が思うに、このことこそが、この小説の核心であり、もっとも野心的な試みなのである。ある意味で、二人の男が似ていたのか否か、どの程度似ていたのかは、どうでもいいことなのだ。問題は、そのとき「わたし」の目に、どう見えていたのか、なのだから。小説は見えない、ということを最大限に利用した、究極の恋愛小説、異形の、異常なラブストーリーを、柴崎友香は書いたのだ。
 先に記した「あれを映画にしようとする者が必ず直面せざるを得ない極めて厄介な問題」とはどういうことなのかはすでにおわかりだろう。小説とは違って、映画は見える、見えてしまう。二人の男が似ているのかどうかは、あまりにも一目瞭然なのだ。一人称の小説を映画に変換する際に、「わたし」の持っている特異性は後退せざるを得ない。その異常さは修正されざるを得ない。いや、やろうと思えば「わたし」性を残すこともある程度までなら可能かもしれないが、映画化のニュースが流れた時、最初から「東出昌大が一人二役」と報じられており、その時点で映画が「原作」の小説とは決定的に違ったものになるしかないということは、すでにして明らかだったのだ。
 しかしそれでも、何しろ監督は濱口竜介であり、脚本も彼が書いているからには、「わたし」の特異性とはまた異なる次元に、間違いなく戦略と勝算があるのだろうと、私は確信していた。しかし同時に、ならばしかし、それはいったいどうやってやるつもりなのだろうと、期待と不安が綯い交ぜになった気分で試写を観たのだった。
 では、映画と原作の違いについて述べよう。まず大きな変更点として、物語の時間の移動がある。小説は一九九九年から二〇〇九年までの十年が描かれ/語られていたが、映画では約十年ずらされて、二〇〇八年から二〇一八年までの十年になっている。その結果、後でも触れるように映画の中では「二〇一一年三月十一日」が描かれるし、朝子と亮平が仙台の被災地にボランティアに通うエピソードも語られる。濱口竜介が『なみのおと』(二〇一一年)を始めとする「東北記録映画三部作」の監督であることを思うと、この変更には重要な意味があると言っていい。だが、ひとまずは先に進むことにする。
 すでに述べたように、映画では麦と亮平を東出昌大が一人二役で演じている。従って観客には二人の人物がそっくりであることは歴然としており、「似ていない」はもはや使えない。原作の新幹線のシーンは、映画にはないのだ。では、濱口監督はどうしたか。物語の展開は原作をなぞっている。映画においても朝子は麦に去られ、大阪から東京に移って亮平と出会い、彼が麦にそっくりであることに驚き、亮平と付き合うようになり、麦と再会し、亮平を捨てて麦と行動を共にするが、途中で麦に別れを告げて亮平のところに戻ろうとする。同じである。だが「似ていない」だけがない。似ているのだから当然である。小説でも麦と亮平の両方を知っていた登場人物は、映画でははっきりと二人が似ていると口にする。つまり濱口竜介は柴崎友香の小説の最重要要素を捨てたのだ。この潔さは勇気あるものだと思う。
 では濱口監督は、その上で何をしたのか。それは、この映画が一人称ではない、ということにかかわっている。POV(Point of view)映画でない限り、映画が厳密な意味での具体的な「視点」を持つことはない。言い換えれば、映画は基本的に三人称である。原作では朝子=「わたし」によって語られ/描かれていた物語は、映画ではカメラによって撮られた映像の連鎖と連接によって描かれ/語られることになる。その結果、映画はしかし、もっと曖昧な、それゆえに自由でもある「視点」を獲得する。それはカメラアイに同定される誰かの視点ということではないが、ショットごとの構図や編集などによって観客に与えられる、いわば話法上の「視点人物」である。そして映画『寝ても覚めても』では、この意味での視点人物が二人いるのだ。朝子と亮平。もう少し詳しく言うと、麦との出会いから彼の失踪までは朝子が視点人物であり、舞台が東京に移ってからは亮平の視点になり、麦が再登場してからはまた朝子に戻り、二人の視点が自在に交替しつつ映画は物語られていくのである。
 ここでの「視点人物」とは、要するに(カメラではなく)観客の視点に同定される、映画の物語の進みゆきにおいて、観客に感情移入を促す機能を帯びた人物ということである。濱口監督は一本の映画の中で、それを朝子と亮平の間で巧妙に往復させている。原作の「似ていない」は使えなくなったが、その代わりに、この方針によって、映画『寝ても覚めても』は新たな魅力を纏うことになったのだ。そしてそれは、柴崎友香が小説が小説であることを最大限に利用していたように、映画が映画であるということの特別さを、そしてそのことを濱口竜介がどのように考えているのかを、鮮やかに示している。しかし、このことを詳らかにするためには、次に「視点」ならぬ「視線」について考えてみる必要がある。
 
II
 ここでようやく、映画『寝ても覚めても』の第二の原作、いや「反=原作」の名を記すことが出来る。それは蓮實重彦の『監督 小津安二郎』である。あらかじめ述べてしまえば、濱口竜介は同書における小津映画にかんする蓮實の主張に幾つかの更新を施すことで、『寝ても覚めても』という映画を撮ったのだ。
 蓮實は『監督 小津安二郎』の「立ちどまること」という章で、おもむろに「映画には、可能なことと不可能なことがある」と書きつける。たとえば映画は「風」自体を撮ることは出来ない。また「時間」そのものを画面に定着させることも不可能だ。なぜなら「風」も「時間」も見えないもの、不可視であるからである。だが「あといくらも存在するだろうそうした不可視の対象のなかで、映画そのものにもっとも深いかかわりを持つものは視線である。瞳ならたやすくフィルムにおさめうる映画も、視線に対してはまったくの無力を告白するしかないのだ」。蓮實はこれを「映画がかかえこんだ最大の逆説」と呼び、小津安二郎こそ「ひたすらその逆説にこだわり続けた映画作家である」と述べる。むろん、その論述の詳細には立ち入らない。ここで重要なのは、小津安二郎という特権的な固有名詞を離れた意味での、映画の原理としての「視線」の問題である。

 瞳は可視的な対象だが、見ること、つまり視線というものは絶対にフィルムには写らないのである。そこで、あたかも何かを見ているような視線というものは、画面から消滅せざるを得ない。見ることとは、映画にあっては、納得すべきことがらであり、視覚的な対象ではないのだ。それ故、キャメラは凝視しあう二つの存在に対してはどこまでも無力であり、この現実を物語に置きかえるほかなくなる。つまり、まず、相手を見ている者が示され、それに続いて、その視線の対象でもあり、同時に見返してもいるいま一人の人間の画面を示さざるをえない。もちろん、人物たちの配置を工夫すれば、彼らが見つめあっているという状態を示すことも可能だが、小津は、もっぱら構図=逆構図の切り返しショットによってこの関係を描くことに固執した。そのとき、瞳に対しては瞳だけが対置されるという奇妙な空間が出現するのだ。しかも、その空間では、視線はどうも交わりあっているように見えないのだ。
(『監督 小津安二郎』)

 名高い一節である。続いて蓮實は、小津映画にかんするフランソワ・トリュフォーの発言を引き、右の最後に記された指摘を敷衍してゆく。「瞳は凝視し合っているかにみえて、視線のほうは交わることなく平行に行き違ってしまう」のは、小津がいわゆるイマジナリー・ラインのルールを無視して、切り返しショットのカメラの位置を人物の同軸に置かなかったことによって生じた不具合なのだと蓮實は言う。では、なぜ小津はそんな初歩的なミスとも思われかねないようなことを何度となくやってのけたのか。蓮實は、それは「凝視しあう二つの瞳を同じ一つの固定画面におさめることができないという映画の限界」に根ざす虚構にかかわっていると述べる。

 見つめあう二人の人間を示すには、(中略)視線の中心に置かれたキャメラを一八〇度パンさせるか、あるいは切り返しショットによって二つの画面を連続させるかするしかない。だが、そのいずれにあっても、交錯する視線の空間的な同時性は、時間的な継起性に置きかえられざるをえないのだ。
(同)

 小津が頻繁に用いたあの切り返しとは、つまり「二人の人間が視線を交錯させあっているような印象を安易に助長させる表現手段としての、あの編集という技法の虚構をあばきたてているのだ」というのが、ここでの蓮實の結論である。だが、更に重要なのはこの後だ。小津は、そんな「虚構」の暴露の一方で、他ならぬ「見ること」を介して映画的な叙情をも表現し得ている。蓮實によれば、それは「たがいに見つめあうことでもなく、また視線の対象となったものがまというる心理的象徴性によってでもなく、ただ、同じ一つのものを二人の存在が同時に視界におさめるという身ぶりそのものによってかたちづくられる」。やはり仔細は省くが、この指摘は、いま読んでいる章のひとつ前、その名も「見ること」と題された章で詳細に分析されていた、視線の方向性の問題と繋がっている。
 だが、段階を踏もう。濱口竜介に戻る。濱口監督が「見ること」と「見られること」、そして映画の場合、そこに半ば必然的に潜在する「撮ること」と「撮られること」の問題に極めて意識的な映画作家であることは、カメラマンとその友人と男娼の少年という男性三人の奇妙な三角関係に物語が収斂してゆく『THE DEPTHS』(二〇一〇年)や、十八年前に殺された姉のドキュメンタリーを撮ろうとしている妹が霊感体質の男を通して姉との再会を果たす短編『天国はまだ遠い』(二〇一六年)などを思い出してみればすぐさま首肯出来ることだろうが、もちろんここでまず第一に挙げなくてはならないのは「東北記録映画三部作」、とりわけその第一作『なみのおと』である。この映画は、濱口竜介と酒井耕の共同監督作品(以後の「東北記録映画三部作」も同じ)であり、二〇一一年七月から何度かにわたり、東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸沿岸部のひとびとにインタビューした「オーラル・ヒストリー」の作品である。
 しかし、この映画の「インタビュー」は非常に変わっている(少なくとも変わって見える)。たとえば津波で家が流されたが命だけは助かった夫婦や、相馬市で働く若い姉妹が出てくるのだが、彼らの語りはひとりずつ固定ショットで撮られており、インタビュアーの姿も声もない。というよりも二人はごく普通に「あの日あの時」のことを思い出しながら語り合っているようにしか見えない。つまり、あたかも小津映画のように、互いに見つめ合う二人の人物の切り返しの場面にそれは見えるのである。だが、フィクションならばともかく、ドキュメンタリー映画でそんなことがあり得るだろうか。いったいどうやって撮ったのか?
 私は前に、このカメラワークの特異性について、やや詳しく述べたことがある(**)。なのでここではすぐ種明かしをしよう。二人の人物は、真正面から向かい合うのではなく、左右に一メートルほどずれて相対している。それぞれの前にはカメラが置かれ、撮影が開始されると二人はカメラを見つつ、視界の端に入っている相手と対話をする。その結果、あたかも「切り返し」のようなインタビュー場面が出来上がることになったのだ。
 ほとんどひとつの発明とさえ言ってもいいだろうこの手法の発想には、間違いなく『監督 小津安二郎』における蓮實重彦の先の分析が踏まえられている。確かにそもそも「見つめ合う二つの瞳に対して、映画はいつも敗北しつづけるほかはない」のだし、ドキュメンタリー映画であれば、あの便利な「虚構」も使用不可なのだから尚更のことである筈だ。だが、だからこそ濱口と酒井は敢えてこの手法を考案し実行したのだ。そこにはドキュメンタリーをフィクションのように撮るという方法的野心もあったかもしれないが、それ以上にインタビューイたちの自然な語り=オーラル・ヒストリーを引き出すためのものであったのだろう。そしてその選択は成功している。『なみのおと』は、東日本大震災にかんする多数のドキュメンタリー映画の中でも、比類無く独創的で重要な作品に仕上がっている。『なみのこえ 気仙沼/なみのこえ 新地町』『うたうひと』(いずれも二〇一三年)と続いた「東北記録映画三部作」も同様の手法で撮影されている。
 「切り返し」で撮られたドキュメンタリー映画「東北記録映画三部作」を経て、舞台の準備とその上演という二部構成から成る四時間十五分の群像劇『親密さ』(二〇一二年)を更に一時間上回る長尺で、四人のヒロインの人生の複雑な交錯を描いた『ハッピーアワー』から三年、はじめての本格的な「原作」ものとして製作された『寝ても覚めても』には、濱口竜介が常に敏感であり続けてきた映画における「視線」という問題系と、柴崎友香の原作小説を雛形とする、異常な「恋愛」のドラマツルギーとが、驚くべき大胆さと緊密さで絡み合っている。端的に述べる。『寝ても覚めても』は「視点劇」であり「視線劇」である。正直に言うと、私は最初に観た試写の段階では、このことに気づけなかった。それゆえに「これじゃあ原作とは違う意味でヤバい面食いで恋愛体質の女の話じゃないか」と思ってしまいそうになったのである。だが、それは完全に間違っていた。視点と視線の劇としての『寝ても覚めても』は、小説とは別のことをしているのだ。しかしそれは、第一の「原作」である「小説」に充填されていた感情=エモーションを「映画」へと変換するためには、どうしても必要なことだったのだ。そしてそのために第二の「反=原作」が要請される。濱口竜介は『なみのおと』における『監督 小津安二郎』への応答を、より豊かで複雑なかたちに編み上げるようにして『寝ても覚めても』を撮ったのだ。

III
 映画『寝ても覚めても』は、朝子が写真展を観に行く場面から始まる。それは牛腸茂雄の個展なのだが、この設定は原作とは違っている。展示が開催されているビルへと向かう道すがら、カメラは歩く朝子の後ろ姿しか捉えていない。展示会場に入って、牛腸の写真が横移動で映し出される。それらはいずれも人物写真であり、被写体は皆カメラを見つめている。そこではじめて朝子の顔が真正面から撮られる。つまり牛腸茂雄の写真の人物と彼女が切り返される。いつかどこかで撮られた誰かと、朝子は見つめ合っていたのだ。そこに鼻歌が聞こえてきて、背後に気配を感じた朝子は一瞬身構えるが、鼻歌の主は写真を眺めながら離れていく。この時、顔は写らないが、それは麦である。朝子が写真展を出て歩いていると、前を先ほどの男が歩いている。二人は少し離れて同じ方向に歩く。朝子は男の背中を見ている。行きにもいた少年たちが道端で花火をして遊んでいる。気づくと、大きな音のせいか先を歩いていた男が振り返っている。朝子と麦に挟まれていた少年たちが走り去ると、見ず知らずの二人は立ち止まって互いに見つめ合う。名前を告げた途端にキスをしている。この特異な恋愛劇は、こうして始まる。
 以上の場面は、すでに付き合うようになってからの麦と朝子が居酒屋で友人に馴れ初めを話していた回想場面であったことが、すぐに明かされる。つまりそれは事実だったのかどうかわからない。友人も「そんなんあるかーい」と叫ぶのだが、もちろん重要なのは二人の出会いが視線のやりとりとして描かれていたことだ。そして、そう思ってみると、この映画は全編が視線と視線の複雑で精妙なすれ違いと重なり合いの劇として構築されている。そのことは映画の始まりからほとんどあからさまに予告されている。
 牛腸茂雄の写真を見つめている朝子に麦が背後から近寄るショットは、舞台が東京に移ってから、相手を亮平に変えて反復されることになる。小さなギャラリーで催されている牛腸展を見に来た朝子は、女友達の遅刻のせいで入場時間に間に合わなかった。たまたまそこに居合わせた亮平が機転を利かせてひと芝居打ち、なんとか滑り込みで三人は入れてもらえる。そこで朝子は冒頭と同じ写真に見入り、麦の時とほぼ同じ構図で亮平が後ろから近づく。だが今度は彼の顔ははっきりと写っている。朝子と亮平は暫し同じ写真を見つめる。
 ここでふたたび『監督 小津安二郎』に戻ろう。先に述べておいた「見つめ合う二つの瞳に対して、映画はいつも敗北しつづけるほかはない」という主張が成される「立ちどまること」という章の前章「見ること」には、おおよそ以下のようなことが書かれている。多くの論者から小津は形式にこだわる映画作家だとされているが、その「形式」はしばしば極端なまでに不自然なものである。たとえば『早春』(一九五六年)の冒頭に置かれた出勤シーンは「もっぱら同じ方向へと進む男女の列によって示され」る。

 彼らは一貫して同じ歩調で駅へと急ぐ。そしてプラットホームに立ってからも、一貫して同じ方向に視線を向けている。そのありさまはいささk不気味でさえある。なるほど、朝の出勤時間とhそういうものかと納得する以前に、なによりもまず、不自然さの誇張が見るものを捉えずにはいられない場面だ。(『監督 小津安二郎』)

 視線の等方向性。このような小津の形式的な誇張の(おそらくは無意識的な?)理由のひとつとして、蓮實は「一列に並んで同じ方向に視線を注ぐことなしに映画館という場は成立しえない」という当時の「映画」の一般的な条件を挙げている。それはそもそもいたって不自然な行為なのであり、だから「映画作家とは、誰だって不自然な存在なのである」と。この「不自然」な「視線の等方向性」を蓮實は小津映画の幾つもの部分に見取ってゆく。そうして導き出されるのは、次のようなことである。「小津には、しばしば多くの登場人物が同じ一つの対象を凝視する場合がある。並んで何ものかに視線を投げること、その動作が、見られている対象そのものが持ちうる視覚的象徴性にもまして、濃密な説話論的な機能を演じてしまうのだ」。そして蓮實は、こう述べる。

 小津にあって、生きているものたちは、言葉をかわし合うことよりも、さらには正面から見つめあうことよりも、二人並んで同じ方向に視線を向け、同じ一つの対象を瞳でまさぐることが、より直接的な交感の瞬間をかたちづくるのである。
(同)

 私が『監督 小津安二郎』を映画『寝ても覚めても』の「反=原作」だと考えるのは、以上のような蓮實重彦が小津映画から抽出した卓見を、濱口竜介がさまざまな仕方で「更新」していると思われるからである。たとえば、前にも述べておいたように、この映画は小説から約十年、時間がずらされている。二〇一一年三月十一日、亮平は牛腸茂雄がきっかけで知り合った朝子の友達の女優が出演するイプセンの『野鴨』を観に来ている。暗転するや否や、地震が起こり、客席はパニックとなり、舞台にはシャンデリアが落下してくる。亮平(この時点で映画の「視点」は彼に移動している)は朝子に会えると思って劇場に来たのだが、この時点の彼女は亮平を避けており、チケットを変更してその回には来なかったのだ。劇場を出た亮平は、あの日の多くの人々と同様に「同じ方向へと進む男女の列」の一員となる。そう、小津の『早春』の出勤シーンと同じなのである。だが彼らが同じ方向に歩んでいる理由はまったく違っている。小津映画には存在しなかった場面が、小津映画によく似た画面によって描かれる。これは明らかに意図的な演出である。
 それだけでは終わらない。これもまた冒頭の麦とのシーンの反復なのだが、たくさんの男女と共に歩いていた亮平がふと見ると、ひとびとの等方向の流れに抗うようにして、朝子がこちらを見て立っている。亮平と朝子は見つめ合い、どちらからともなく駆け寄り、抱擁する。こうして二人は付き合うことになるのだ。映画の冒頭の麦との出会いと同じく、ここでは「正面から見つめあうことよりも、二人並んで同じ方向に視線を向け、同じ一つの対象を瞳でまさぐることが、より直接的な交感の瞬間をかたちづくる」という蓮實による小津的人物の交感の原理はあっさりと覆されている。むしろこの映画では「正面から見つめあうこと」こそが唐突な劇的転換を促すのである。しかしそれは、何も知らない映画監督が何も考えずにやってしまうのとは全然違う。「見ること」と「見られること」を映画を通して考え抜いてきた濱口竜介が、蓮實の小津論を十分に理解したうえで、それでも選び取った「凝視しあう二つの瞳」の場面なのである。
 映画でも麦は注目の若手俳優になるのだが、たまたま朝子が友人(女優とは別の、麦とも会ったことのある大阪時代からの女友だち)と居た時、近くで彼がロケをしていることを知る。二人はそこに行ってみるのだが、撮影は終わっており、麦を乗せた車は走り去るところだ。遠ざかっていく車の後ろから、朝子は手を振りながら「麦!」と呼びかける。車のリアウィンドウはスモークドグラスになっていて、朝子からは何も見えない。朝子から見た車とリアウィンドウからの朝子の姿が切り返される。そして後になって、車から麦も彼女を見ていたことがわかる。つまりリアウィンドウ越しの画面は麦の視点ショットだったのだ。これもまた『なみのおと』とは別の意味で蓮實的な小津の「視線」の条件を「更新」した場面だと考えることが出来るだろう。だが、ここでは二人の瞳は交わってはいない。蓮實の説を逆転した、この映画の原理、すなわち「瞳が交わると劇的転換が起こる」に従うならば、ここではいわば半分しか瞳の交差は達成されておらず、だからこそ車は止まることなく走り去るのである。
 麦と亮平が出会う場面が一箇所だけあるのだが(従って合成画面が含まれる)、そこで同じ顔をした二人の男はーー麦はどこか面白がっているように、亮平は憮然としてーー見つめ合う。だが濱口監督は賢明にもそれを正面からの切り返しで撮ることはしていない。そうすると映画の「虚構」に更なる「虚構」を上乗せすることになってしまうからだ。朝子と亮平と友人カップルの食事の席にとつぜんやってきた麦は、朝子よりも前に亮平を見る。亮平も見返す。ここもまた「視線」の劇となっている。この直後に朝子はとつぜん麦の手を引いて亮平たちの前から立ち去るのだが、しかし結局、彼女がその後、またしてもあまりにも唐突に麦と別れ、亮平の許に戻ろうとするのは、あの時に麦が、朝子ではなく亮平と見つめ合ったからなのだ、と言ったら、あまりに出来過ぎだと思われるだろうか?
 では『寝ても覚めても』において、蓮實の言う「二人並んで同じ方向に視線を向け、同じ一つの対象を瞳でまさぐること」、すなわち「視線の等方向性」は、どのように描かれているのか。牛腸茂雄の写真にかんしては述べたが、他にもたとえば、麦と朝子がバイクに二人乗りして事故る場面、被災地ボランティアに向かうために亮平が運転する自動車に朝子が同乗する場面と、この映画における「視線の等方向性」は、乗り物によって生起してもいる。だが、もっと印象的なのは、麦が再登場する前、大阪に戻ることが決まった亮平と一緒に朝子がいったん帰阪して家探しをする場面だろう。土手に面したこじんまりとした家屋の二階の窓から、二人はのんびりと外を眺める。その画面は、蓮實が「二人並んで同じ方向に視線を向け、同じ一つの対象を瞳でまさぐること」の例として挙げている小津映画の幾つかのショットによく似ている。しかしこの後、朝子は麦と逃亡し、失意と絶望と怒りにうち震える亮平は、その家でひとり暮らしを始めることになるのだ。
 ここでもうひとつ、濱口監督がこの映画に導入した極めて重要な要素について述べておかなくてはならない。この映画は「見ること」と「見られること」をめぐる「視線」の劇として構成されている。それは確かだ。だがそこには実は「視線」を即物的に踏み越える行為が何度となく描かれてもいる。それは触ること、触れること、である。濱口竜介は「見ること」の映画作家であると同時に「触れること」の映画作家でもあるのだ。麦と最初に出会った時、彼は朝子の頬に触れ、そのままキスをした。亮平と出会い、彼が麦ではないことがわかってから、朝子はとつぜん彼の頬に触れる。いきなりのことに亮平は驚くが、朝子にしてみれば、目の前に見えているだけでは足りない、時には見つめ合うだけでは不十分なのだ。このひとが実在していることを確かめるには触ってみなくてはならない。「見ること」によってではなく「触れること」ではじめて確認出来ることがある。そして実のところ両者は深く連関している。
 濱口竜介が「触れること」の映画作家でもあるということは、撮影という行為が接触への誘惑に転換してゆく『THE DEPTH』や、ギリギリで触れ合わないダンス(?)の練習や、兄と弟の格闘めいた小競りあい、少年と少女が互いを噛み千切り合うショッキングな場面を含む、タイトルからして示唆的な『不気味なものの肌に触れる』(二〇一三年)、無関係な他人の男の体を介して妹が幽霊の姉と抱擁する『天国はまだ遠い』を思い出してみればすぐさま首肯出来ることだろう。『PASSION』(二〇〇八年)や『親密さ』や『ハッピーアワー』も皆、視線劇であると同時に接触劇でもある。より精確に言えば、「見ること」が或る種の限界に突き当たった時に「触れること」の主題が俄に立ち上がってくるのだ。『寝ても覚めても』において、この「視線」から「接触」への移項は何度となく成される。そしてこのことは、濱口竜介という映画作家の特徴であると共に、実は『寝ても覚めても』という小説にもともと刻印されていたものでもある。「原作」のラストシーンから引用しよう。

 近寄ってみた。亮平は動かなかった。すぐ前まで近づいた。だいじょうぶそうだった。手を触った。しっかりした硬い筋肉の付いた腕、日に焼けていた。どこかに遊びに行ったのかもしれない。八月だから。もう片方の手も触った。触った手を、亮平はじっと見ていた。
(『寝ても覚めても』)

 だが、亮平は「おれは、お前のことを信じてない」と言う。今も、またすぐいなくなると思っていると。「わたしは亮平から離れて、顔を見た。とてもよく知っている顔だった」。この時の朝子には、はっきりと二人の男が別に見えている。小説は、このあとたった一頁で終わる。
 この論考もまもなく終わる。映画に限らず現実世界でもいいのだが、二人の人物の「視線」のありようには、どのようなパターンがあるだろうか。見つめ合う、同じ方向を見る、別々の方向を見る、それから、ひとりが何かを見ていて、もうひとりがそのひとを見ている、ということがある。映画の途中で、朝子の女優の友人は、こんなことを言う。「朝子があさっての方向を向いてる時に朝子を見る良平さんの顔を見るのがすごいキュンとするの」。これもまた「更新」だ。このために濱口竜介は、朝子と亮平の間で「視点」を幾度も移動させたのだ。小説『寝ても覚めても』は、朝子が何を見ているのか、という物語だった。だが映画『寝ても覚めても』は、朝子と亮平が何を見ているのか、を物語っているのだ。
 小説と似ているが、やはり違っている映画のラスト、とつぜん帰ってきた朝子を亮平はいったんは追い返す。雨で増水した川べりで、朝子は亮平に捨てたと言われた飼い猫を探している。亮平の姿が土手の上に見える。朝子は土手に駆け上がり、すると亮平はいきなり走り出す。亮平が前、朝子が後になって、二人は同じ方向に疾走する。二人は等方向を見ている。そのあと、朝子は自分も一緒に住む筈だった家の二階の窓から、外を見ている。亮平が隣にいる。二人は並んでいる。このとき、二人の「視線」の向きがどうなっているのかは、もはや書くまでもないだろう。

(了)

(*)『新しい小説のために』(二〇一七年、講談社)
(**)『シチュエーションズ』(二〇一三年、文藝春秋)

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