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夏の思い出など

7月24日の投稿を最後にぱったりと更新をやめてから、時間は透明な風のようにとおりすぎ、気がつけば3週間が経ってしまった。東京オリンピックが始まり、そして終わるまでの時間(それ以上)だ。「時間を見つけて毎日何かしら書こう」と思っていた意地も、一度砕けてしまえばあっという間に“やらない”が習慣化してしまう。あの頑なな決意はどこへ消えたのだろうか。

とにもかくにも、この3週間の出来事を久しぶりに綴りたい。またもやご無沙汰しております。

さて、批判的な気持ちを持たれる方もいるかもしれないが、感染者数がうなぎ上っている最中の8月上旬、北海道へ帰省をしてきた。言い訳だが、私は夏と冬に実家に帰ることだけをひとまずの生きがいとしているのだ。

しかし、むさ苦しい暑さから逃れ、涼しい気候の中で心身を癒そうと目論んでいた私を待っていたのは、なぜか連日東京以上の気温を叩き出している、熱波の北の大地だった。おまけにエアコンの設置されていない実家では、窓から入る温い空気を扇風機でかき回すだけ。おそらく、いや確実に、東京の我が家以上に過ごしにくい環境だったように思う。

それでも、北海道の日々はかけがえのない時間だったと言わざるをえない。実家の犬は相変わらず愛おしく、食卓に並ぶ母の手料理の品数に歓喜の声を幾度もあげた。父が育てた採れたて野菜をこれでもかと頬張って、寝ぼけ眼で家族と交わす「おはよう」に心を温めた。

「ここには何もなくていやだ」。18歳の私はそう思って東京に出てきたはずなのに、私が13年前に享受していた”当たり前”は、年々自分の中で輝きを増している気がしている。これは単なる郷愁か。はたまた、心の底から湧き上がる本心か。30歳を越え、今後の自分の人生はどこで過ごすべきなのだろう? 自分はどうやって生きたいのだろう? ずっと心に留まっている結論の出ない問いを、東京に比べればやけに大きい夕焼け空を見ながら、ぼんやりと考えたりした。

東京に戻ってきてからはきらめく日々の反動で、しばらく死んだ魚のように鬱っぽくなり、ようやく通常の生活を取り戻し回復期を迎えたので、またPCに向かって駄文をしたためている。毒にも薬にもならない無益な文章ではあるが、ここは気分屋の自分がせっかく大切に育てあげた場所なのだから、明日からまた投稿も再スタートさせるぞとゆるく決意。はたしてどうなるか。


最後に、自己満足の極みですが帰省の思い出をダダダと貼り付けてみます。改めて振り返ってみても、この日々はあまりにもビビットで豊かだ!

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「おーい、ちょっと来い」。父に呼ばれ庭に出てみると羽化したばかりの「カラスアゲハ」がいた。発光するように輝いて見える翅。その様子をしばらく観察。

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思いつきで海に夕陽を見に行ったり、何もない大地を縫うように車を走らせたりした。薄ピンク、青と緑。色数の少ない果てしなき美しさ。

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滞在中は、父と犬の散歩をするのが日課だった。燃えるような夕焼け。そして、遠くには連なる山々が見えるいつもの光景。

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犬は正義。犬は愛。あいかわらずの愛くるしさで、我が家の癒し。

おしまい

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