囲碁将棋、Breaking Down、笑い/続き

時間が空いたけど、この前の続き。

先日書いた囲碁将棋のことと並んで、最近おもしれ〜と思って見ているのがYouTubeでやっている「Breaking Down」のオーディション。最近芸人たちがこぞって「Breaking Down」のパロディをしていて(さらば青春の光YouTube、空気階段ラジオなど)、元ネタをまったく知らなかったので、どれ見てみるか、と軽い気持ちで見始めたらすぐにハマった。

「Breaking Down」というのは、格闘家の朝倉未来がプロデュースしている格闘技の大会なのだそうだ。そして出場者のほとんどが、「金ネックレス」「刺青」「年少上がり」の不良ビンゴができちゃうような……つまりワルというか、半グレというか、そういった言葉で形容される世界観の方々だ。YouTubeで流されているのは、その大会の出場者を決めるオーディションなのだが(試合よりこちらの方が評判のよう)、次々と登場する候補者たちはとにかくケンカっぱやい。迎え撃つ対戦相手(前大会出場者)に対し、「てめえ、なめてんのか」と煽りまくり、ガンを飛ばし、時には殴りかかったりする。一触即発。喧嘩上等。
その完成度から一部では「台本があるんじゃないか」と噂されていたりもするのだが、一体何がそんなに彼らをオラつかせているのか。わたしにはまったく理解できない。

しかし、これが、なぜか面白い。

そもそもわたしは、そうした世界観がめちゃくちゃ苦手である。地元の中学に入ったら、そこには「きれいでこわい」で有名な女の先輩がいて、その人の彼氏は暴走族らしい、という噂を聞いて震え上がった。その先輩を含むグループが、仲間をリンチして学校に警察が来たりもしていた。同級生も万引きしたり、タバコを吸っていたりした人もいたし、昔とはいえ治安が悪すぎる。
中学にそこはかとなく漂う「ワルいのがカッコいい」というイキリ価値観から脱出したかったから、早く学力別になる高校に行きたい、と思っていた。
わたしはLDHより星野源が好き。ヤンキーよりインテリ。強さより賢さ。「やんちゃ」という言葉で暴力や犯罪行為を片付けたり、褒め言葉として「いかちぃ〜」と連呼する人を見るとゾッとしてしまう。

しかし、「Breaking Down」を見ると不思議と笑っちゃうのはなぜだろう。登場人物はわたしにとって最上級に苦手な人たちばっかりなのに? 囲碁将棋が面白いこと、Breaking Downが面白いこと。何か共通点があるのだろうか。「笑い」ってなんなのか……。


そうしてしばらく考えたのちの、暫定的な結論。「笑い」とは、相手より優位な立場にいられるときに生まれるものではないか。
「笑い」は「かわいい」とちょっと似ている。同じく対象がいて、関係性のなかで生まれる感情の発露である。そのとき必然的に生じる「強い」「弱い」という力関係が、「笑い」の有無に影響しているのじゃないか。

ちょっと前のわたしなら、Breaking Downのこと、絶対に笑えなかった。自分は、厳つさや威圧的な態度、男らしさのようなものに、まったく魅力を感じない。むしろ軽蔑している節がある。でも何組かの芸人がそれをネタとして扱ったことで、それは簡単に「笑ってもいいもの」に価値転換した。いまや、たぎる怒りや暴力的な真剣さはむしろ滑稽に映る。自分は安全な場所にいる観察者だから、不信感はありつつも「どれどれ」と好奇心が勝り、笑う。
「笑い」とは余裕であり、余裕とは優位な立場にいるからこそ生まれるものだ。あるいは、人は笑うことで、ある意味観察者になり、相手より優位な立場になれるのだと思う。

そして漫才をはじめとしたお笑いは、視点をくれる。細部を強調したり、要素を抜き出すことで、「これも笑ってもいいのか」と思わせてくれる。荒唐無稽な設定、類稀なワードセンスなど、ほかにもお笑いの魅力は多々あるけれど、表出していなかったものを「笑い」の対象に変えるその強さがわたしは好きだ。だから、笑いはある意味こわいものであり、その裏返しとして勇気をくれるものでもある。

いろいろ考えていたらもう笑えなくなりそうだ。M-1もいよいよ準決勝(どきどき)。12月18日の決勝の後は、自分なりの感想も書きたいですね。それではまた。


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