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本当のデモクラシー、世界に広がる参加型予算(Participatory Budgeting)

ブレグマンの「ヒューマンカインド」、最後はデモクラシーについて書いている。

そもそもデモクラシー、民主主義という言葉に希望を感じる人はどれくらいいるだろう?

ブレグマンは、これまでのデモクラシーは、ルソーの言葉を借りて「選挙による貴族政治」だと言っている。そもそも一番古い成文憲法であるアメリカ合衆国憲法でさえ、その時代の政治のデモクラシーの傾向を確認するだけ、権力のバランスを取るだけで、実態は貴族政治の文章。アメリカの建国の父たちは、民衆の政治参加を望んでいなかった。社会の階層、縦の序列は温存され、そこはアンタッチャブルなままで、民衆は貴族の中からせいぜいお気に入りを選らばされるだけだ。なんら権力をもたない民衆は、4年で1日だけ、時の権力の正当化のためのセレモニーに参加させられる。

私が参加型予算に出会ったのは、2018年のローマで開催されたダイレクトデモクラシーのグローバル・フォーラムだった。そこで、マドリードの副市長パブロ・ソトが紹介した彼らの取り組みは衝撃だった。世界のベスト・プラクティスと言えるスイスのダイレクト・デモクラシーとブラジル・ポルトアレグレの参加型予算、それを全部オンラインで行えるように、プログラマー達が結集してオープンソースでボランティアでシステムを構築した。マドリードでは40万人の市民が参加して1億ユーロの市の予算を決めている。そして、そのシステムは世界に無償供給され、導入が広がっている。

彼らのシステム・サポートのページがここだ。

その参加型予算の発祥であるポルトアレグレ。

そもそも長い軍事独裁の時代があったブラジルは、中央集権型の政治体制が残って自治体の権限が弱く、都市開発の権限さえなかった。そのため、ウルグアイに近い人口およそ150万人の南部の港町では、無許可地域に住む人が全人口の3分の1にまで達し、公衆衛生から切り離され、スラム化していた。そんなところに、1989年の市長選挙で労働者党のオリヴィオ・ドゥトラが予算編成に市民を参加させるという公約を掲げて当選した。

公約を果たすために市長は各地で公開集会を開催した。そこで、公務員の人件費など義務的経費を除いた予算全体について、市民みんなで話し合った。当初参加者は少なかったが、やがて急速に増えだす中で仕組みが整備されていく。ポルトアレグレでは、毎年3月になると誰でも気軽に参加できる地区会議が始まる。市役所の職員も同席して、前年の予算執行の反省点を踏まえて、それぞれが意見や希望を話してまとめて行くのと同時に地域フォーラムに参加する評議員を決める。ポルトアレグレには16に分割された地域フォーラムがあるが、そこで毎週のように評議員達が集まって、住民たちの意見を反映しながら協議を続ける。地域割りのフォーラムの他に教育や交通といったテーマ割りのフォーラムもある。それから、それぞれのフォーラムから2名の評議員を選んで市の予算評議会を組織し、数ヶ月間、隔週で集まって、それぞれから持ち込まれた予算案を整理調整して最終決定している。

ブレグマンはいう。

世界中のデモクラシーは少なくとも7つの伝染病に苦しんでいる。病んだ政党、お互いを信んじなくなった市民、除外されたマイノリティ、興味をなくした有権者、汚職に染まる政治家、税金逃れする金持ち、そして、はびこり続ける不平等。

2004年ヴェネズエラ西部にある人口20万人ほどの街トレスでも革命が起こった。市長選挙で、泡沫候補と思われていたフリオ・チャベスは、「市民に権力を譲る」というシンプルな政策を訴えて35%の得票を得て僅差で勝利した。そして、参加型予算を実行、トレスも大きく変化していった。

参加型予算の集会に集まる人びとの多くは、これまでデモクラシーの権利を奪われてきた人たちだ。初めて訪れた人の多くは、どう参加したらよいか戸惑いがちだ。多くの人にとってデモクラシーとは、学位(ディプロマ)デモクラシー。自分は議論に参加する教育を受けていないと感じているし、貧しい人は傍に寄せられがちだ。話合いの内容は簡単ではない。
しかし、集会では、学歴のない人でも居場所がある。新しいデモクラシーは裕福な白人に予約されていない。それを確認すると、人びとは学び始める。そこは市民権の訓練の場となり、やがて人びとは政治を熟知するようになる。そして、少数派や貧しく教育水準の低い人たちの声を代弁する。
2011年、ニューヨーク市でプロジェクトが始まった時には、集会には主にラテン系とアフリカ系の人びとが集まった。ポルトアレグレでは、参加者の30%が最も貧しい20%から来ている。
ポルトアレグレとトレスでは、人口の約20%が市の予算編成に参加している。今や参加者のほとんどは政治家とも知り合いで、政治との断絶を感じていない。議会や市長への信頼度も高く、それは議員や市長にとってもとても望ましい。住民間の信頼関係も増して、さまざまなコミュニティ・グループは1986年の180から2000年の600に増えた。集会に参加する市民は、やがて、同胞、兄弟、同志と互いに呼び合った。
カリフォルニア州ヴァレーホを取材したジャーナリストは、人びとのコミットメント・レベルに驚いた。さまざまなな人たちが、地元のチームがワールドシリーズで戦っているのを見ているように、ルールやプロセスを熟知して熱狂的に取り組んでいると報告している。研究者たちは、ほとんどの人が正式な教育に関係なく、価値ある貢献をしていると繰り返し述べている。
以前のポルトアレグレは、政治家の汚職は日常のことだった。しかし、人びとが市の財政をよく知るようになると、政治家はそれができないようになり、古い政治文化は機能しなくなって消えた。人びとは納めた税金が何に使われるのかを知ると、税とは社会の一員として支払う寄付だと理解するようになり、納税の意思を高め、脱税は減る。人びとは、コミュニティを超えて街全体のことを考えるようになり、やがて税の引き上げさえ求めた。
ポルトアレグレは参加型予算を導入して以来、劇的に変化した。水道へのアクセスは1989年の75%から1996年の95%になり、下水サービスへのアクセスは人口のわずか48%だったのが95%になった。学校に通う子供の数は3倍になり、建設された道路の数は5倍になり、脱税は急減した。世界銀行の調査によると、特に貧しい地域社会で、インフラ、教育、ヘルスケアへの投資が増えていることが分かった。乳幼児死亡率の低下も明らかとなった。

啓蒙主義の時代、デモクラシーは、裕福な特定の人たちが権力を奪い取る時に、正当化のために使った方便だったと言っても間違いじゃない。
でも、人間が素晴らしいのは、そうやって実際は方便として世に放たれた言葉でも、受け取った人たちは、それぞれ独自に解釈し、思想の土台において現実に落とし込もうとする。時間をかけて失敗を繰り返しながら、徐々に意識を共有して、やがて社会に定着して揺るぎないものになっていく。

ポルトアレグレの取り組みはまずはブラジル国内で急速に広まり、それから世界のあちこちで導入され、今ではおよそ1500もの自治体が取り組んでいる。決して大きなニュースとして取り上げられることはないが、とても根源的、革命的な変化だ。

そう、普通の人びとの善性を土台にしている。それが善循環を生み、社会の進化を加速させる。

参加型予算については、日本の財務省のHPで紹介されているくらいで、知っている人は知っている。でも、日本での取り組みはあまりに少額で、その市民参加は行政のアリバイづくりのレベルと言っていい。でも、市民が街の大きな予算の使い道を決められるという本当のデモクラシーが導入されたら、社会は大きく変わるに違いない。

日本でも、トレスのフリオ・チャベスのような人が出て欲しい。未来のチャベスのために、選挙チラシのプロトタイプをつくってみた。参考まで。

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