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未来はディストピアかユートピアか

1984

ジョージ・オーウェルが『1984』で描いた世界、知ってるだろうか?

まず、世界は3つの独裁国家に統合され、その大国どうしが、ずっと戦争をしている。3つの国は、オセアニアとユーラシア、そしてイースタシア。今のイギリスはオセアニアの先端にあって、ユーラシアと対峙している。『1984』が執筆された1948年の時点で、やがてEUができてそこからイギリスが離脱すると想像するのは不可能だから、今の状況は偶然に違いないが、とても面白い。イースタシアは、日本、韓国、中国が周辺国ともどもひとつの独裁国家になったものだ。もちろん2021年時点でそうはなっていないが、この先もそうはならないと断言できるだろうか?

オーウェルは、なぜ世界がこうなると考えたのか?

階級社会を維持するには貧困と無知が欠かせない。だから、絶え間ない戦争を口実に人びとを貧困状態におくのだ。つまり、戦争は貧困をつくるための茶番だ。

もし万人が等しく余暇と安定を享受できるなら、普通であれば貧困のせいで麻痺状態に置かれている人口の大多数を占める大衆が、読み書きを習得し、自分で考えることを学ぶようになるだろう。そうなってしまえば、彼らは遅かれ早かれ、少数の特権階級が何の機能も果たしていないことを悟り、そうした階層を速やかに廃止してしまうだろう。(『1984』より)

世界屈指の名門といえるイートン校を卒業したジョージ・オーウェルは、まずイギリスの植民地ビルマで警官になったが、そこでの欺瞞に満ちた支配体質にうんざりして仕事を辞めた。そして、自分に貧困を課すと言ってパリのレストランで皿洗いをしながら、社会の底辺の人びとを描き始めた。その後、1936年、33才の時にスペイン内戦の取材のためにバルセロナに行ったが、そこでファシズムと勇敢に戦う人たちに心を打たれて自らもその戦いに加わり、前線で銃弾が喉を貫通して一命ととりとめた。またバルセロナでは、スターリン主義者による労働者への弾圧が行われだしたため、結局、フランスに逃れた。時を経て第2次世界大戦から東西冷戦に移り変わる中で、自分の経験をもとに未来へ警鐘を鳴らす小説を書いた。独裁者ビッグ・ブラザーはスターリンがモデルだ。『1984』は結核を患いながらの執筆で、オーウェルは出版からほどなく亡くなっている。なんて人生だろう。

ディストピア『1984』では、テレビと監視カメラ両方の機能をもつテレスクリーンという装置がいたるところにあって、人びとは常に監視されながら、プロパガンダのシャワーを浴び続ける。政治体制に対して不穏な言動があると見なされた人間は突然失踪し、まるで最初から存在しなかったように扱われる。子供たちは、小さい頃から「スパイ団」に組み込まれる。不穏分子を摘発するのは、それが自分の親であってもお国のためのよい行いだ。テレスクリーンから流れるニュースは、架空の人物によるありもしないことばかりで、公式の歴史も常に改竄され、資料が丸ごと書き換えられる。そもそもビッグ・ブラザーさえ誰も見た人がいない、実在するかどうかさえわからない。そして、人の考える力をなくすために、辞書から単語が消されていく。一方で、社会共通の敵が設定され、毎日わざわざ時間を設けてそれを憎悪することが強要される。

コロナで社会が大きく変わる中で、私たちの未来がこんなところに向かっているのではと不安を抱いた人は少なくないだろう。テレスクリーンの役割はスマホがしっかりと担っている。2021年、ほとんどの人が文字を読めるようにはなったが、権威筋から垂れ流されるニュースを人びとがスマホで増幅して拡散している。ニュースに批判をのせて拡散しても、ほとんどは、同じ土俵にたってその権威に加担するだけだということに、有識者さえ気づかずに拡散に勤しんでいる。ベッペ・グリッロがいう「マスメディアは大事なことを伝えないために存在する」という視点をもつ人はとても稀だ。そして今や多くの人はウイルスという目に見えないものにただ怯えて権力のいいなりになるだけだ。割り算して被害が自分に起こる確率をはじいて、他の死亡率と比較することさえ誰もしない。洗脳は見事に成功している。

フリードリヒ・ハイエクが『隷属への道(The Road to Serfdom)』を世に出したのは『1984』がでる4年前だ。ハイエクの主張は、当時世界を席巻していたケインズ主義、つまり雇用をまもるために政府が積極的に財政出動して需要をつくって経済をまわすという政策は、全体主義的であり、ファシズムと同じというものだ。serfdomは農奴という意味、経済活動の自由を保障し、すべてを市場にゆだねないと、みんなが奴隷になるとハイエクは警告した。そして、ソ連と共産圏が崩壊した時、やはりハイエクは正しかったと言われ、新自由主義は世界を席巻した。彼らはじっくりと時間をかけて、したたかに準備をした。そして、クーデターや戦争、災害などの危機の時、人びとがショックで判断力をなくした状態を好機として利用し、構造改革だといって、資金力のある人たちが企業や公的機関まで安く買い叩ける仕組みに変えた。そして、世界中で中産階級が破壊され、富と権力の集中が行き着くところまできてしまった今、多くの人たちは理解した。新自由主義こそ隷属への道だった。企業のオーナーは独裁によって自己利益を追求する一方、多くの人が一生低賃金で長い時間拘束される。それは能力がないのだから当然受け入れるべきだとされ、社会で問題視されることもない。新自由主義には、全体主義の「みんなのためが個人のためより優先されるべき」という大義さえ不要だが、実態として何が違うだろう?

今の社会は、一見、オーウェルが危惧したようにはならなかったように見える。でも、そう、テクノロジーが著しく発展して世の中にモノが溢れかえっても、人間の労働時間はほとんど減らなかった。膨大なブルシット・ジョブをつくり、そこに安くない賃金をはらってまでも、長い時間、人を拘束する必要があった。そして、どうでもいい仕事に高い賃金を払うと、人は優越感を育て、支配層の一員になれたと思い込んで、その体制の維持に献身する。

トーマス・モア

ベーシックインカムのルーツとしてトーマス・モアを引き合いに出す人は少なくない。モアがつくった言葉「ユートピア」を知らない人はいないが、およそ500年前に書かれたこの本にはどんな理想郷が描かれていたのかを知っている人は多くないだろう。

モアは私有財産のない社会を描いたので、ユートピアにはそもそもおカネが存在しない。モアはルソーより200年以上前に生まれているが、同じような根源的な問題意識をもっていた。ユートピアでは、食料もすべて共有で、食べる分だけ共同倉庫からもってくればいい。人びとの労働時間は1日6時間と今より短い。でも、驚くことに奴隷がまだ存在する。罪人だけが奴隷になりその待遇はあまり悪くないということになっているが、つまりは、当時のヨーロッパでは奴隷がいない世界を想像できなかったのだ。また学力のある人を選抜して教育して政治にあたらせている。モアはプラトンの影響を強く受けていて、エリート主義もまた不可欠だと考えていた。人間はまるで本能のように理想郷に焦がれるのは、古くはエデンの園や桃源郷から明らかだろうが、思い描くものは、その人の知識や社会背景によってずいぶん違う。
モアの『ユートピア』の中で何より興味深いのは、この本が書かれた時代背景だ。当時のイングランドはエンクロージャーの時代、一握りの富裕な人びとが羊毛で利益を上げるために土地から農民を追い出して牧草地にしてしまう。そして、追い出された人たちは、生きるために泥棒をはたらいただけで死刑になる。こんな社会をモアは厳しく批判している。また、社会に権威主義がはびこる様子をこんな言葉にしている。ユートピアを旅したヒスロディは、その話をイギリスに来て紹介してほしいというモアの依頼に対してこう答える。

他人の考えたことならなんでもけちをつけたがる連中とか、自分の考えたことなら完全無欠と自惚れきっている連中とか、こういう連中の仲間に、かりに誰か一人はいったとしましょう。そしてその人が、いいですか、歴史で読んだ過去のことや、旅をして他の所で実地に見聞したことを何かちょっとでもみんなの前で話をしたとしますと、一体どういうことになるでしょうか。彼らはせっかくの自分たちの賢者の誉れが、忽ち台なしになるとでも思うのか、それとも他人の考えに何か欠点をほじくり出し、けちをつけない限り、阿呆よばわりされるとでも思うのか、そういう時の態度はお話になりません。

今の日本でよく見られる光景が、500年前のイギリスにもあったことに唖然とする。

ベーシックインカムとユートピア

新自由主義は確かに見直される機運が出てきている。海外では、富裕層に課税すべきという意見が増え、富裕な人たちからも自分達に課税しろという声が出てきている。確かに変わる兆しはある。
そして、コロナ危機のおかげで、ベーシックインカムが話題にされることが一気に増えた。その中には、「新自由主義者が唱えるベーシックインカムは危険で、悪いものだ」とか、「ベーシックインカムは管理社会のツールだ」という人までいる。社会福祉を全廃してその資金で一律でわずかな額を給付するという考えは、ユニバーサル・ベーシックインカムの理念とはまったくかけ離れたものであることはいうまでもない。

こういう議論の中では、大きく抜け落ちていることがある。洗脳は想像力を奪う。それは、ユニバーサル・ベーシックインカムが実現すれば、つまり無条件で社会生活を営める金額が支給されれば、人は本当に自由になるということだ。誰かを養うという概念もなくなる。毎日24時間どう過ごすかを自分で決められるし、何を考えどんな発言しても基本問題ない。権力を批判して仕事をなくしても、はははと笑うだけでほとんど痛くも痒くもない。会社で徒党組んで無期限ストライキを起こしてもへっちゃらだし、経営者だって嫌になったら投げ出すのもありだ。生きることになんら不安がなくなった大衆が、貧困の麻痺状態から抜け出し、恐怖心を綺麗に捨てさって、自分で考え自分たちを利する法律の合意の輪を広げていけば、もちろん、不要な特権階級は消えるだろう。デモクラシーはまだまだ骨抜きな部分が多いが、社会原則としてはゆるぎないものになっていて、それを覆すことはほんど不可能だ。オーウェルの時代から着実に進化していることはある。UBIがあれば、考える時間も話し合う時間もいくらでもできる。

そして、圧倒的に過剰な生産力を手にした私たちの社会では、もう、安価で大量な労働力は要らない。現実は、貧困がまだ残っていること自体が異常だ。

そして、もってるものにさらに富が集中する新自由主義じゃなくて、みんなが本当に自由になる本当の自由主義をユニバーサル・ベーシックインカムはもたらす。

そう、未来をディストピアにするのかユートピアにするのかは、私たち次第だ。

こんな時代が来たらいいな!


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