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弱い人から切り捨てられる

100万人以上の派遣社員が仕事を失い、特に女性の自殺が急増している。

若い頃、職場で2度、リストラの現場に遭遇した。ずっと忘れられない。

1度目は韓国の通貨危機の時。製鉄プラントの営業に移動して1年、100日も韓国に出張し、仕事にも慣れた頃だった。かなり契約がとれて喜んでいたたんだけど、年末に通貨危機が起こり、契約は全部キャンセルになった。当時韓国マーケットは私と子会社から出向してきた2人の先輩が担当していた。そこで、子会社への委託契約をキャンセルして、私が1人でやるようにと課長が言う。確かに評価もしてくれていた。そして、そうやって私たちの高給は維持されるんだ。彼らとなにも変わらないのに。
ちょうど会社も経営問題で揺れてた時代、私は、一晩寝ずに考えて、私が出て行くから、韓国マーケットは子会社に移管すべきだと意見書書いて課長に出した。それから、地球環境室でひとりで本を読んで何日も過ごした。

あの決断をしなかったら、私の人生はどうなっていただろう?想像もつかない。
楽じゃなかったけど、あれで良かったと思う。

それからコンサルタント会社の出向を経て、エコビレッジがつくりたいと思ってデベロッパーに出向した。ちょうど「エンデの遺言」が大きな反響を呼んで、日本各地で地域通貨が生まれた頃のことだ。巨額不良債権のニュータウン、私にとっては魅力の地だったけど、部署の人たちは、みんなここから抜け出したいと思っていた。そして、損切りの販売さえままならず、現地の販売センターが閉じられることになった。販売会社の人たちは仕事を失う。

送別会の光景が忘れられない。ただ白々しい空気が流れ、みな空々しい会話をして時間をやり過ごす。

私が話をする順番がまわってきた。
「本当に申し訳ないことです」涙がこぼれた。
リストラされる人たちは、「その言葉だけで救われます。ありがとうございます」と泣いていう。販売会社の社長は、「まるで俺が悪者じゃないか」と怒ってた。

私は課長の反対を押し切って、地元の地主から土地を買って、今でもここに住んでいる。やがて販売センターは、介護施設になった。

悪い人はいないのにと、いつも思ってきた。

根本から仕組みを変える時なんだよ。
疎外のない社会をつくるのに必要なのは、本当は私たちの合意だけだ。

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