メモ:コロナ的な観点からテレワークを考える

 なかなか、このnoteの使い方が難しいなと思いながら放置していたが、こういうパブリックなネタについて自分の考えをメモしておいたりするのには役立つなと感じ始めている。

 今日はテレワークについて考えてみたい。テレワークとは、テレという遠隔を意味する言葉とワークとをくっつけた造語。テレワークというと、どうしても電話で仕事しているようなそういう語感があるのだけれど、そうではないので気を付けて頂きたい。

 このテレワーク、働き方改革の流れの中で注目され始めて、特にも声高に叫ばれ始めたのは去年あたりから、東京オリンピック・パラリンピックに絡んで、首都圏内の混雑解消ということで積極推進が語られるようになったという認識。
 東京オリパラに向けてテレワークを浸透させるためにやっているキャンペーン「テレワークデイズ」にはかなりの企業が参加して、中には、どこの会社か忘れてしまったが、完全テレワークをしましたなんて話が新聞記事になったりしていて、結構、2019年の夏にはテレワークしてみた、的な話を聞いたものだ。
 もちろん、地方の岩手県に住んでいる私たちからすると完全に他国で起きているような話で、まあ、東京の連中がなんかやっとるな、くらいのそういう冷めた目で見ていた訳だけれど、よもやこれらのキャンペーンというか、本気とも、ただのノリとも判別がつかないようなそういう取り組みがこういう新型コロナ対応のいい前哨戦というか演習になったなんて、という感じだ。

https://workstyle.ricoh.co.jp/article/telework-topic.html

 正直、こちらの記事を見てわかる通り、テレワークについては課題が山積みである。確かサイボウズがらみの記事にあった内容でテレワークには、ルールとツールと文化が必要、という話があったが、当にだなと感じる。
 ツールについては正直、腹さえくくれば用意できる。しかし、ルールと文化については、かなりハードルが高いだろう。それはなぜか、というと、そもそも会社という仕組みが人が集まって何かやることを前提としているため、バラバラと人が個別に働いているようなそういうスタイルを大前提として想定していない、ということがある。
 したがって、テレワークをするためには、会社がこれまで築いてきた経験値とは全く別に再度、テレワークの経験を積み上げていく必要があり、加えて、レガシーのルールやカルチャーともマッチさせていかねばならない、という二重のハードルがある。

 しかし、今回に関して言えば、そんなことをいっていられない、つまり従業員の生命、健康という一番、経営としては守っていかなければならない話が脅かされた訳で、それが脅かされるくらいなら、まず、ルールやちょっとのぎこちなさは目を瞑ろうと。そういうコンセンサスがあって何とか実施をしているというような、そういう感じに見えている。

 今後、新型コロナウィルスの抗ウイルス剤ができるまで約1年半から2年と言われている。その間はなんやかんやでリモートワークが絡んでくる、これは東京と多かれ少なかれかかわる商売の人たちも徐々に巻き込まれる流れだろう。それだけ長い間、一つの手段としてリモートワークを使っていると徐々にでも定着していくような気がする。
 それが一歩進めて、不毛な通勤時間などを圧縮したりしていくためにもリモートワークを使おうじゃないか、そういう感じになってくると、また、意味合いも変わってくると思う。かつ、今後、またこのような感染症が世界的に流行した際などはむしろリモートワークが前提となって仕事が進んでいくと考えるのが自然だろう。

 そういう意味では、この新型コロナの感染拡大がリモートワークという手段を現実的に使える手段として世の中に定着させていくのではないか、と感じている。

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