岡和田晃「現代北海道文学研究」

2022年04月21日


 第1回から第4回を読んで、梅原猛の事を書く事にした。
 僕は、1984年に旭川北高校を卒業したが、岡和田氏は、1981年生まれで、2000年頃、同校を卒業したようだ。
 僕は、高校に入った頃、山岸凉子「日出処の天子」で聖徳太子に興味を持った。その関連で、書店で見つけた「隠された十字架」(新潮文庫)で梅原猛を知り、梅原を読むようになった。高校2年の時、梅原を知らない国語教師に、梅原の全集(集英社)を貸したが、高3になると、現国の教科書に梅原の文章が載っていた。平安時代までの日本史の模試で、全国20位だった事もある。
 84年、梅原の影響で哲学科中退でもしようと思ったが、北大文Ⅰに不合格(言い訳を書くと、現国の筒井康隆の出題が不愉快で解答しなかった)。興味のない小樽商科大学に入学した。札幌・定山渓のSF大会に参加し、星雲賞に投票した(大友克洋「童夢」以外、知らなかった)。伊藤典夫氏に、アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」(伊藤氏が翻訳)にサインを貰った。
 同年、札幌の文化デザイン会議で梅原にサインを貰った(この会議には糸井重里、砂澤ビッキなども参加)。その頃、梅原の縄文・弥生論が一世を風靡していたと思う。梅原は「アイヌ人は、狩猟採集ではなく、交易をしている」と言っていた。梅原の影響で、広辞苑のアイヌの記述も変わったと思う。
 梅原と中上健次の「君は縄文人か、弥生人か」も出版された。僕は、栗本慎一郎や柄谷行人を読んでいた。
 86年、梅原は、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を作り、僕は、88年に新橋演舞場で見た。
 柄谷は、梅原を京都学派として批判していた。
 86年に、中曽根首相は「梅原猛さんの本を読むと、アイヌとか大陸から渡ってきた人々はそうとう融合しあっている。私も眉なんかも濃いし、ひげも濃い。アイヌの血はそうとう入っていると思う」と発言して問題になった。その頃、札幌で梅原の講演を見た時、「日本は単一民族ではない!」と叫び、横断幕を持ったグループが入ってきた。今まで、右翼かと思っていたが、アイヌ側の団体だったのだろうか。
 89年、東京の会社に就職。六本木の読書会で、栗本に「意味と生命」に、早稲田祭で、柄谷に「探究Ⅱ」にサインを貰った。柄谷は、講演後の質問に「小林よしのりの「東大一直線」が好きだ」と答えていた。小林が思想マンガ家になったには、その後だと思う。
 梅原は、有楽町・朝日ホールの日韓のイベントでも見た。
 2014年、岡和田氏の「北の想像力」が星雲賞候補になったという。
 2019年、札幌で、柴田望氏の詩のイベントに参加した後、小野寺まさる氏の講演を見た。小野寺氏は、86年頃、小樽商大を卒業したようなので、僕と同時期だったらしい。
 小野寺氏は「アイヌは、北米で定義されている先住民族には該当しない」と言っていた。

 さて、2021年。

岡和田晃「現代北海道文学研究」(一)
理論的な枠組みの提示、一九六八年前後の検証
「フラジャイル」第11号(2021年)


 スッキリのアイヌ問題、小林よしのりに言及がある。
 岡和田晃 https://twitter.com/orionaveugle
 『アイヌ民族否定論に抗する』bot https://twitter.com/AinuHateCounter
 岡和田氏は、「小林が、現在のアイヌ差別の雛形を作った」と言っている。

「現代北海道文学研究」(二)
小熊秀雄転向論への反駁から「惑星思考(プラネタリー)」へ
「フラジャイル」第12号(2021年)


 「小熊秀雄の漫画が戦意高揚であった」という小熊転向論を批判している。
 ハイデガー、ポール・ド・マンのナチ支持の問題、西田幾多郎、折口信夫、小林秀雄の戦争加担を思い出した。田河水泡の「のらくろ」やディズニーの戦中の作品も戦意高揚だったかもしれない。
 第3回で、吉本隆明に言及があった。

「現代北海道文学研究」(三)
二つの「亀井勝一郎論」に見る転形期の自我
「フラジャイル」第13号(2021年)

その際には当然、文学者の戦争責任を追求した吉本隆明の言説が参照されている。

 2022年。第4回で、ウクライナ侵攻に言及がある。
 引用された、次の資料が印象的だった。

北海道ウタリ協会「千島列島のアイヌ民族先住に関する資料」(一九八三年)
とくに先住者アイヌについては、一九五〇年の「決議」においてその盛況を見るに至ったのは決して昨今のことではない。もともとこれらの諸島は北海道本島と同様アイヌの居住地であり、我が国は数百年来これらアイヌと厚岸、霧多布、根室において平和な交易を継続し、親しみ合ってきたもので、やがて邦人自らの出稼永住を見るに至っても、よく先住民を撫育し、同化して来たのである」と述べたのである。

 だが、岡和田氏は「平和な交易は、事実に反する」と言う。

「現代北海道文学研究」(四)
「北方領土文学」をめぐるアポリア
「フラジャイル」第14号(2022年)

「平和な交易」は事実に反する。
 一八七五年の千島樺太交換条約以前も、千島列島に住むアイヌはロシヤ人、日本人のそれぞれによって課された重税と酷使に苦しみ、それは「反乱」という形で爆発をみることになった。

 梅原の「アイヌは交易をしている」という言葉も、適切ではなかったかもしれない。
 樺太アイヌは聞いた事があるが、千島についてはあまり聞かない。
 梅原は、アイヌ人・沖縄人=縄文人と言っていて、ある程度は正しいのだろうが、単純化し過ぎだったと思う。但し、後で、以前、縄文土器はアイヌ土器、屋久島の縄文杉は神代杉と呼ばれていた、と知った。
 アイヌ語の地名は、北海道、東北に残っている。梅原の「アイヌ語のカムイが、日本語のカミ(神)になった」は蓋然性があるかもしれないが、志摩(三重)・須磨(兵庫)=シュマ(アイヌ語の岩)という説には、否定的な意見があるようだ。

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