創造記事の併置について(16)

2024年01月08日
 マックス・ウェーバーが、ヤㇵウェ史料とエロヒム史料の集成に言及していた。
 関根正雄が指摘していた、祭司資料、ヤㇵウェ資料に対応した記述がある。

創世記1章(捕囚祭司の構想)
混沌をはぐくんでいるヤㇵウェの霊が、ひとこと魔術的言葉を発すると光が発し、ヤㇵウェがひとこと命じただけで、日が日についで、物が物についで、無のなかから創造されていく。

創世記2章(ヤㇵウェ史料)
ヤㇵウェはそれまで荒凉として乾いた地上にまづ水を生ぜしめ、ついで土から人間をつくり、これにヤㇵウェの息をふきかけて生命をあたえ、それからはじめて植物と獣を生ぜしめる。

 ヤㇵウェとエロヒムには、対立項があるようだ。擬人は、偶像崇拝に通じるのだろうか。

ヤㇵウェ
南方、擬人的形式

エロヒム
カナン人、北方の定住イスラエル人、前八世紀、擬人的具体性がたえがたい、族長物語

 ヤㇵウェは南方のユダ王国の神、エロヒムは北方のイスラエル王国の神、と考える事ができるかもしれない。
 創世記冒頭の創造記事は、新しい祭司資料、古いヤㇵウェ資料の順に書かれているという。
 記紀も神代、天皇の代の順に書かれているが、前者が後に考えられたかもしれない。

ユダ王国は、紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在した王国。もともとあった統一イスラエル王国が北(イスラエル王国)と南に分裂して出来たもの。族長ヤコブの子であったユダの名前に由来している。しばしば分裂した北王国と対比して南王国と呼ばれることもある。首都はエルサレムであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E7%8E%8B%E5%9B%BD

イスラエル王国は、旧約聖書において、紀元前11世紀から紀元前8世紀まで古代イスラエルに存在したとされるユダヤ人の国家。「イスラエル」という国名は、ユダヤ民族の伝説的な始祖ヤコブが神に与えられた名前にちなんでいる。
当初はイスラエル・ユダ連合王国、あるいはヘブライ王国とも呼ばれる統一王国であったが、後にユダ王国 (南王国) が分離したため、分離後の「イスラエル王国」は北イスラエル王国あるいは北王国ともいわれる。イスラエル王国というとき、統一王国と分裂後の北王国の両方を指すため注意を要し、区別のために連合王国・北王国と呼び分けることも少なくない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%9B%BD

マックス・ウェーバー「古代ユダヤ教」(一九一七年、1962年、内田芳明訳、みすず書房)
ヤㇵウェの高度な擬人的特徴は、むしろ伝説のずっと古い部分、しかもことに南方に発している伝説の(いわゆる「ヤㇵウィスト」の)部分にあらわれたているが、しかしこの点ではヤㇵウェは古代ギリシアや他の軍事的諸民族の神々と共通である。

アマルナ土板においてハビルの神々が《ilani》とよばれているごとく、カナン人や北方の定住イスラエル人の神々はエローヒームElohimとよばれる。

形をそこねている古い巨人神話(創世記6章)のなかで「神(エローヒーム)の子ら」は人間の娘たちが気にいり、かれらと交わってネフィリームnephilim(民数記13の33)すなわち巨人(大きな星座の)を生む。
そしてもとの関連にしたがえば、天の神はノアの大洪水でかれら〔巨人たち〕を滅ぼしたのである。

 さてモーセ六書Hexateuchのなかの、のちに合体された、二つの大きな編纂を創造したところのかの精神的労作、すなわち使用されている神名の種類にしたがってこんにち「ヤㇵウィスト的」と「エロヒスト的」とに区別されるならわしとなっている(1)二つの宗教的文学者グループの所産、が主要な点においてこの第二の時期に属することは明らかである。これらの編集者および著述家は、士師記および列王紀の純歴史的諸伝説や諸宗教伝説の最初の編集者たちとならんで、まぎれもなくそれと独立に立っていた。というのはこれらの著作のなかにまでも二つの著述家仲間〔ヤㇵウィストとエロヒスト〕を分離することを徹底的に実施しようとするこころみは、すべて失敗におわったらしいからである。この二つの編集者もしくは編集者仲間の教養の水準は、かれらがもたらしている数多くの名称の語源的説明や原因説明的物語が決定的に精神の豊かさをしめしていて、たいていは決して民衆的起源のものでないがゆえに、非常に高いものと考えねばならない。エルサレムびとの申命記的仲間は最後の時期にぞくしている。先行せる諸時代に対する厳密の意味での祭司的補充と修正とは、その始まりが捕囚前の時代にまでさかのぼられるとしても、捕囚および部分的には捕囚後にぞくする。

(1)de Wetteの時代いらい、モーセ六書の史料をこの二つの集成や、のちの(申命記的、祭司的、その他の)書込みとして
 資料区分することは、半世紀以上の間多くの学者によって試みられてきた。個別的な点ではまだ多くの疑問点がのこされては
 いるが、基本的なところでは大多数の研究者の間に一致がみられる。大きな集成をさらにいくつかの層に分けようという試み
 だけが、すでに確定されている成果に挑戦するような見込みのないように思われる試みを反動として生み出したのにすぎない。

 ヤㇵウィスト〔ヤㇵウェ史料、ヤㇵウェ典〕ならびにエロヒスト〔エロヒム史料。エロヒム典〕(1)の集成は、国民的国家体制の没落によって提起されざるをえなかった困難な神義論の問題のもとにはいまだ立っていない。
これに反してこれら二つの集成――そのうちの前者はソロモン時代にまで、後者はすくなくとも八世紀までさかのぼる――は、王国がもたらした社会的問題提起によってえいきょうされている。
それは、全体としていえばエロヒストの編集はむしろ北方的に、ヤㇵウィストのそれはむしろ南方的にえいきょうされているのであるが、年代については、あるいは前者があるいは後者が、概して大づかみにいえばヤㇵウィストの集成の方が、他のエロヒストの集成よりも古いものと考えられるという仮説である。

(1)ヤㇵウィスト史料とエロヒスト史料との関係については、いまではプロクシュのみごとな研究がある。(Procksch : Die
 Elohimquelle(Uebersetzung und Erlauterung), Leipzig 1906. )プロクシュはエリヤのある種のえいきょうがこの集成に
 およんでいることを想定している。そして卓抜なしかたで、とくにエロヒム名の使用を(このことの価値の唯一独特なること
 を強調せんと意図して)この観点から解明しようとする。(p. 197.)この物語は、最初の状態ではリズムの特徴をもっていたか
 どうか、という、重要ではあるがわれわれ非専門家には決定しかねる問題については、Sieversの論文(Abhandlungen der
 Koniglich=Sachsischen Gesellschaft der Wissenschaften, ⅩⅩⅠ―ⅩⅩⅢ, 1901, 1904, 1906.所収の論文)をみよ。Pro-
 cksch, S. 210f.がこれを批判している。

 ヤㇵウィストとエロヒストが出生由来をことにしている、ということは神観念の取扱いのなかにもあらわれているようである。
ヤㇵウィストの解釈は、しばしば指摘されたように、ときとして非常に劇的に擬人的形式でヤㇵウェを叙述している。混沌(カオス)をはぐくんでいるヤㇵウェの霊が、ひとこと魔術的言葉を発すると光が発し、ヤㇵウェがひとこと命じただけで、日が日についで、物が物についで、無のなかから創造されていく、というような捕囚祭司の壮大なしかし抽象的な構想(創世記1章)は、ヤㇵウィストには問題にならない。ヤㇵウェはそれまで荒凉として乾いた地上にまづ水を生ぜしめ、ついで土から人間をつくり、これにヤㇵウェの息をふきかけて生命をあたえ、それからはじめて植物と獣を生ぜしめる(創世記2章)。
ヤㇵウェが人の肋骨から人がただちにじぶんの本質であるとみとめるような妻をつくるにいたるまでは、人間に気にいる仲間を人間にあたえるということは、ヤㇵウェにはどうしても成功しない。
 さて、エロヒストの神観は、すこぶる民衆的にひろがっていたにしても、にもかかわらずその神観の点では、むしろ北方にいちじるしく存在していた古い文化の影響のもとにたっているのであるが、このエロヒストの解釈にとって、右にのべたような擬人的具体性がたえがたいものであったことは明らかである。エロヒストの解釈にとってはイスラエルの神は地上で人間の間を逍遥するようなことをしない最高の天の神なのである。それはこんにちの編集においてこの天地創造物語をぜんぜん除外し、族長物語をもってはじめるのである。ただそのさい、このことが、エロヒスト史料の最初の状態からそうであったのかどうか、それとも、ひょっとするとのちにそれが史料として合体されるときに、エロヒストのこの部分がその時代の神観にもはや調和しないものと考えられて、意識して採用されなかったのかどうか、という点については不問にふさねばならない。
ところが、この民衆的要求にとっては、ある時は人間と親しくみずから談判したりする、ヤㇵウィストの編纂の肉体をもって現れる手ごたえのある神の方が、エロヒスト派の純化された解釈よりは、はるかに歓迎された。
その他の点ではかれらはエロヒストの解釈によってとくに強くえいきょうされていた、ということはまったく明瞭であるけれども。――これは、北イスラエルを舞台としてはじめて登場したえいきょうするところ強大な予言の活動の成果であった。であるから、ウェルハウゼンの先例にしたがって、こんにち多く「イェホウィスト史料」とよばれている編纂によって、古い集成集が合体されるときに、族長の誓約連合の古い神がまたもやすこぶるひんぱんに親しくあらわれるのである。

 《イスラエルよきけ、ヤㇵウェはわれらの神である、ヤㇵウェのみがわれらの神である》――これは、こんにちのユダヤ人の朝の祈禱のはじまりの文句であるが、説教の筆頭におかれている。




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