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自己紹介

1974年、北海道旭川市生まれのバリバリ昭和世代。
小学生時代から柔道に打ち込み、高校時代にはみっちり体育会系気質を叩き込まれる。
大学卒業後にカナダで語学勉強ののちロサンゼルスで旅行会社に勤務。
2002年に帰国し、その後は父親が経営する木製小物作りの会社に勤務。2011年から代表に就任。

というのが、私の簡単な略歴。

略歴だけみると華々しさがあるが、実は挫折の連続!

小学校のころから体は大きく、走るのが苦手だったにも関わらず、中学校ではサッカー部に所属して爽やかなサッカー少年になるはずが、現実は厳しくリフティングすらまともに出来ないまま卒業。

高校生活では柔道部に所属していたが、入学してすぐに先輩から「1年生は奴隷、2年生が人間、3年生が神様」という上下関係を叩き込まれ、先輩からの理不尽な要求にも「はい、か Yes」で返事をすることを強要され、忍耐力はかなり鍛えられた。

高校卒業後は、工業系の大学に進学を希望していたが、高校時代に柔道漬けで勉強などほとんどしていなかったので、推薦で受験するも見事に不合格!

当時は私立大学だった地元の大学にかろうじて拾ってもらい、浪人せずに大学生活を送ることが出来た。

ただ、大学を卒業する頃は就職難という時期で、就職活動をするもことごとく不採用となり、卒業するまでに就職先が決まらなかった。

そのまま、就職浪人するぐらいなら海外へ行ってみようということでカナダへ語学留学することになったが、最初にお世話になったホームステイ先では家主が出張でいないため、その息子(20代前半)がお世話してくれるはずが、友人と遊び歩いて食事も作ってくれず散々なスタート。

その後、ホームステイ先を変更して無事にカナダでの生活を送ることができた。 カナダでの生活も2年が経過する頃に何気なく受けた面接に合格してロサンゼルスの旅行会社に勤務となった。

旅行会社では繁忙期になると夜中まで仕事が続き、日付が変わってから帰ることも多かったが、それなりに楽しんでいたところ「911テロ」が勃発して心身ともに疲弊してしまい、2002年に帰国。

帰国後は父親が経営している木製小物の製造会社に入社し、雑務から営業などをこなす日々を送っていたところ、2007年の夏に急性心筋梗塞で入院・手術を経験。
幸い命に別状もなく、後遺症もほとんどない状態で無事に退院。

そして2011年、東日本大震災があった年の11月に父が急逝し、会社の代表に就任。
いつかは代表になるとは思っていたけど、こんな急になるとは思っていなく手探り状態の経営がスタート。
異業所交流会の経営指針勉強会に参加して、経営者としての覚悟などを学び、改めて自分が代表に就任したことを自覚した。

父親が残してくれたものを継承しながらも、それを発展させ会社を継続していく事に無我夢中で走ってきた10年が過ぎ、少しずつ自分のやりたいことを具現化しようと活動を始めた矢先に新型コロナが世界に広がり大きく世の中が変化。
それでも明るい未来を信じて会社のリブランディング事業に取り組み今に至る。

こんな感じで、いろいろと紆余曲折を経て今があります。
まだまだ人としても経営者としても未熟ではありますが、多くの人たちに支えられながらこの先も頑張っていきたいと思います。



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