全日本フィギュア:雑感

去年の全日本は女子のFSを観戦に代々木に足を運んでいた。
年末の慌ただしい時期であり、更に天候による交通の乱れも予想されるから、道民として遠征で行くにはなかなかの高リスクである全日本フィギュア。そもそもチケットも入手困難ではあるけれども。それでもどうしても現地で見たいと思わせるのが全日本。

けれど今年に限っては最初から現地観戦を考えていなかった。考えられる状況ではなかった。チケット争奪戦以上に、たった一年で変わってしまった状況。個人的なお金と時間の都合はつけられても、「社会情勢」が別個にそして重くのしかかる。

ただでさえキャパの少ない長野の、その半数という希少価値のチケットを手にしながら「状況を見て現地観戦を諦める」とトレードに出した友人が複数いた。こんな形で観戦を諦める日を、一年前にいったい誰が想像していただろう。


今季初の試合となる選手も多くいた。
それからこの大会が最後の檜舞台になる選手も同じく多くいた。
はじめて大会への出場権を得た選手もいる。
他競技では直前に中止になった大会もある。
全日本は無事に開催できるのか、また選手達も全員演技を披露することができるのか。

これまで考えたこともなかった多くの不安を抱えて、しかし大会は、いつもの年と変わらぬ、いや時にそれ以上の輝きを放った。

無論完全に成功といえるのはあくまでも2週間経過してひとりの感染者も出さなかった、という結果を得られてからだと思ってはいるけど、それでもこの舞台で選手達が見せてくれたものは、少なくとも私の心には小さくなかった。

出場できる試合がなく、試合ではなくただ競技のために、ただ自分のために、各々を鍛錬するしかない日々。それは「心がつぶれそうになったこともあったけど」なんて一言で表せるようなものでは本当はなかっただろう。

どれだけ苦しい思いをしてきたか、けれどもそれにどうにか負けずに(時折負けてブン投げた日々が多少含まれたとしても)やるべきことを貫いてきただろう選手達の見せた演技は、どんなときでも出来ることはあると示すに十分なものだった。

徹底して磨かれたもの。その輝きの鮮烈さ。
今季初の演技となった選手達には特にそれを強く感じた。
個人的な好みの話をすると、羽生と宮原。ふたりとも競技の枠を超えた物語性を演じていた。演じるドラマのハイライトを凝縮しているようで、勝手にいろいろな背景が見えてくる。暗闇に浮かぶ琵琶奏者の手元だったり、深紅の緞帳だったり。

競技であるから技術的に高いものが、多回転高難度が勝つのは当然だと思う。難しいことを正しくこなしているのだから。けれど一方で、技術以上にその選手達が誘いたい世界を見たいという気持ちがある。
音楽に融合して、ドラマを見ている人の脳裏に描き出すような、思い起こせばカタリナ・ビットのカルメン、そんな世代の人間、三つ子の魂百までも。

本当に苦しい一年だっただろうけど、個は決して孤とイコールではないんだと彼等の演技から受け取ることが出来た。今年最初で最後の演技の機会で、そんな物語を描き出してくれた選手達には本当に感謝しかない。

もちろん他の選手達にも思いはある。「しょうま笑顔」「きひらさんマジ無双」「カオリックス最強」「まいちゃんまいちゃん」「ゆうまくんガチ強い」「佳生くんやっば」など一人ひとりに言い出せばきりがない。ダンスも全員本当に個々の色を出して楽しかった。ブロック大会から見ていた選手達の引退にも感じることがあった。初出場の選手にも。

そして出場選手が演技の最中に本当に楽しそうな表情で滑っていたこともまた印象的だった。予選から出場していた選手達は、ローカルのブロック大会、東西日本選手権を経てきているけど、そこはすべて無観客だった。
声は出せずとも「観客が見ている」ということを意識して演技できることが、彼等彼女らにとってどれだけ幸福なことなのかを思い知った。

大会が終わって世界選手権の代表も発表になった。
けれども昨今のご時世で世界選手権が開かれる可能性は、限りなく小さいと言わざるを得ないだろうことも分かっている。だけど見たい顔ぶれ。

東京五輪が出来ていないのに北京を語れないと羽生は言う。そのとおりだと私も思う。他方どんな形であれば開催することが出来るのだろう、と模索することも忘れたくない。
心が潰れそうになった一年を過ごしたのはフィギュア選手だけではなく、それこそ今年が本当は檜舞台だったアスリートみんなそうだったと思う。フィギュアの選手達の笑顔を見たあとで、他の競技にそれを「要らない」とは私には言えない。

来る一年も簡単に進む可能性は低いだろう。
それでも今年よりも一歩でもマシになればと願わずにいられない。
来年も個々でがんばりましょか。


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