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GIFT LV感想:ひとりであること

ショー発表の段階から

「ホーム開幕戦と被りそう」という懸念から、財布の事情もあるし(電気代…)ホーム開幕はさすがに外せない…日程発表後、チケットに余裕があるようだったら再考しよう…と思ってたけど、ドームなのにチケット取れないという想像外の事態に恐れをなし、よし今回はホーム開幕に集中しよ!!って参戦しなかったんすよね。まあnotte stellataも当たりましたし。ただそうまでして向かった試合がアレだったのはギャグに過ぎると思いました。笑えねえよ。

でまあライブビューイングの方は正しく当選し、土曜の試合の傷心を癒やすべくイオンシネマ江別へ。朝から時折猛吹雪で、これJR止まるのでは?隣町への遠征すら出来ないかもとか冬の北海道すぎない?実際新千歳は今季最大の欠航となったというから、遠征組は昨日のうちに行っててよかったね…。

果たしてJRは「乗ろうとした時間の列車が案の定運休」で暗雲立ち込めるも、遅れながら無事運行。遠征民でもないのにどうしてこんな不安を私は…

着いて間もなく開場に。映画館でもグッズ販売あるって聞いてたけどどこかな?と見回すと、「グッズ何もないんだけど…」と呟くお客さんの声。?と見てみると、確かにそこにはグッズが売られていたんだなと、過去の存在だけは確かめることのできたプライスカード。無慈悲。

いいですね!

1番シアターはこの館では二番目に大きい部屋。一席間引きで且つほぼ満席に近い感じでしたので、150人くらいはいたのかな。家族連れや男性客など客層も結構さまざま。席のわからない初老の女性にわかりやすく声をかける人が、(会場ボランティア経験のある)自分の他にも何人もいた。徳が高い。

ショーの情報は事前に一切なにもなかった。普段のショーは初日公演が配信/放送になることがほぼないから、初日を見に行った人たちの感想やニュースでショーの概要を予め知って、それから自分で見に行く…というのが普通なので、リアルタイムで見られる人達全員が全世界同時にショーの初見の驚きを共有することができる、というのは、普段初日に触れる機会の少ない私のような地方のファン、まして海外のファンにとっては本当に貴重な機会だったと思う。


ショー前半部

シアターの場内が暗転して映像が流れてはじめて、まずドームの全容を知る。なるほどこんな感じ。リンクが思いの外大きく感じた。それ以上にスタンドを埋め尽くしたファンの姿が圧倒的だった。ライブならわかる。でもこれはアスリートの、しかもたったひとりの選手のショーだ。スポーツで「たったひとりの選手を見るために」安からぬチケットを買って場内に集まる人間が3万5千人いるということ、長くスポーツを見ている私にとってもそれはとても驚異的な光景だった。こんなことできるんだって思った(羽生さんがサッカー選手だったらたぶんメッシ相当なんだろうなとも)。

内容については皆さん見ていることなので割愛しながら書きますが、オーケストラの火の鳥がかっこいいなあって聞き惚れている中で登場した火の鳥の羽生さん、令和の小林幸子か美空ひばりだった。気分が突然大晦日。映画館で思わず声が漏れるような、ものすごい格好良さだったけど内心ものすごい笑ってしまってすみません。いやでも本当に劇的でした。

映像は選手を近く遠く、時に背景を切り込み時にドームの全容を取り込み、場内の熱気と選手の演技や表情を本当に余すところなく伝えていたんじゃないかと思う。現地の人たちにしかわからないスケール感や空気感は絶対にあるけど、ちょっとした羽生さんの表情や衣装の細かさ美しさをリアタイでアップで見られるのはLVの良い点。2016年のNHK杯(真駒内)で、紫クレイジーさん登場の折の反応が現地とテレビ組とで相当な相違があったことなど思い出す。

音楽も映像演出もなにもかも規格外で圧倒されるんだけど、その中で一番圧倒的なのが選手本人の演技ってまあすごいよね。選手本人が一番輝くように演出されているとも思うんだけど、どちらも高次元のせめぎあいというのか。前半だけでLV料金追加で払わなくていいのかと思ったわ。

モノローグの前半で火の鳥以外に一番印象に残ったのはやはりロンカプでしょうか。あの流れで6分間練習が始まることは意外だったし、何をやるのかとも思ったけど、映像ではすぐに袖と首元の青が見えたから理解した。現地ではどのタイミングでそれと知ったのだろう。意味も意図も誰もがすぐ察知する。

北京2022。あの時跳べなかった4Sを、あの時出せなかった声援を。メダルのためでも点数のためでもない、ただ、己のプライドを賭けて挑む。試合ではないけれどそれはまごうことなき「戦い」だった。あの時間は、プロローグの時もそうだったけれど、勝ってほしいと純粋に願う時間だった。
そして1年後の完璧なSPは、今はもうつかない点数の代わりに、メダルの代わりに、花束の代わりに、会場3万5千の観客からの拍手と歓声を送られていた。


ショー後半部

後半はライブのような舞台のような。前半よりその印象が強くなった。
LMEYはコロナの時に声援なしで演じられたけど、あのプログラムはやっぱり声援があって完成するんだなって、客の声が演技の一部になるんだなってそこにものすごくぐっときた。サポーターの声がサッカーの一部であるのと同じようなのを、フィギュアスケートでも感じることができた。

ファンを煽りまくる羽生さん、試合や過去のEXでもここまでの爆発はなかったと思うような熱感で、そういうものを引き出せるのはやはり観客の力なんだという感覚も、会場外から俯瞰出来たからこそかな。

白い羽生さんと黒い羽生さんの内面の葛藤、マスカレイド、オペラ座への流れは秀逸というべきですよね。私自身は単独行動が苦にならない人間なので、そもそも「ひとりである」ことに強い寂しさやネガティブさを抱いていない。一人でいることは辛いことではない。だけど一人でいるのに心もとない時もある。だから孤独を感じることそのものを「可哀想」などとは全然思わなくて、ただ人を求めているのかいないのか迷うことへの共感のほうが強かった。

どんなに成功を遂げようと、どんなに人に囲まれようと、人はひとりだ。
そんな、「ひとりであること」を自覚し、尚向き合おうとする人間の揺れ動く弱さと強さ。自分のことを誰よりも知っているのは自分だけ、いや、自分ですら自分のことを知らない。他者からの目線で他者との対比で初めてわかることもある。ひとりである、と知るのは、ひとりではないから?

人間が好き、人間が嫌い。自分が好き、自分が嫌い。感情は正にも負にも依らず間で揺れる。その迷いと揺れこそが、私達を人間たらしめているのだろう、か。

…感想を書いていたら人間論みたいなことになってきた。こういうものを喚起させられるのもまた楽しくてね。
最後の最後のSEIMEIには参りました。あれはもう何も言えることがなかったですね。羽生さん見ても特に泣く系のファンではないんですけど、あれは本当にグッときました。SEIMEIって生命だよねえ。あまりにも平昌と同じ表情だった。

見てからほぼ一日経ってようやく情報が整理出来始めた。いつものことながら羽生さん情報量が多い。多くて処理するほうが大変だ。太陽とか月とか言ってたけど、発電所みたいな人だと長年ずっと思ってる。我々ファンは水力だったり風力だったり、だろうか、ファンの眼差しをエネルギーに変えて発光する。その眩しさにだいたいいつも目がやられる。一方で人間にはエネルギーがあるんだ、って教えられもする。

ここまで昨日のLV1回と僅かなニュース映像で蘇る記憶だけを頼りに書きました。もう一度通しで映像を見たらまた違う感想が浮かんでくるのかもしれないけどひとまず今日はここまで。
以下追記つづきます。

2月28日:プレイリスト作った

画像のこの言葉を追記します。かなり遠い昔にいただいたテレホンカード、捨てていなくてよかった。

Spotifyでプレイリストも作ったYO!

3月1日:プレイリスト曲追加した

曲追加したよ。6練のときに流れていた曲、これ既存の曲なのかな~ってShazamったら出てきた。

3月2日:配信見た

昨日はついに配信を見た。映画館での音響が頭に残っていたから、自宅のテレビから流れてきたその貧相な音には「ホームシアター!必要!!」ってなったのが最初の感想。イヤホンで聞けばすこしはいいかな。

改めて見ると、2時間半ほどある映像を、しかも一度見たのに初見と大幅に変わらない集中力で見られてしまうということは、それだけ画面の中に詰まっているものが大量ということなんだろう かな。徹頭徹尾「色」と「光」がきれいで飽きさせない。

語られている物語は、私小説とも「私小説に見せかけて普遍的な意味合いを問う」とも両方に解釈できるようなものだったと感じている。自省的な閉じた世界(特に後半)は、味付け次第で幾らでも陳腐なものになり得えただろうなと思うと、演出陣の技量が如何程のものだったかも思い知らされてる。重いテーマを扱っている割にはどこか乾いてる感覚。自分を見つめる自分の客観。

お金のかかった舞台ではあるけど、お金をかけたら誰にでも出来る舞台でもない。演者と演出側と周囲の技術者の、見せたいものと見せられるものがただしく融合する必要がある。…ということを映像を見ていて学ばされましたよね。「監修に筋が通ってる」、これかなあ。

3月2日:感想の大いなる脱線

言うて世界ジュニアも始まってて明日は佳生くんが出てくる。Jスポの四大陸録画してたのを紐解いた。GIFTでいっぱいになっていた頭で競技のフィギュアスケートに戻れるだろうかちょっと思ったけど、見てみたら特に問題なかった。男子のフリーはキーガンから佳生くんまでの流れがすごくよくって、リアタイで見てた時の楽しかった気持ちがなんの問題もなく蘇ってきた。競技フィギュアと羽生さんのフィギュアをただしく切り分けて楽しんでる。

平昌後の羽生さんは、極仕様のない刀剣乱舞のLV99なんだよなあって時々友達に話ししてた。どんなに本人が戦に出たがっても、LV99より上の仕様がないから戦に出てもなんの積み上げもない、そんなイメージを持ってた。

四大陸見ててふと、今まではフィギュアの頂点はワールドであり五輪であり、そこがゴールみたいに思っていたけど、GIFTはもっとその上というか外というか、とにかく今までとは違う世界が切り開かれたよなあ…仕様が増えたっていうか…って

「仕様がないなら修行に出る」
「修行から帰ってきたら極の姿になってた」
「今までなかった極の仕様作ったわね貴方」

道がなきゃ作りゃいい。
誰も行ったことのなかった道を拓いた。
同じ道に後に続く人がいてもいなくても多分それは構わない。
自分の道を拓いていく背中に憧れる人が現れて、その人自身が行きたい道を拓いていく、先導の灯にもしかしたらなりうるのかな。

誰かのために作ったとかそういう道じゃないと思うけど、野茂英雄がメジャーに挑戦したあとに拓かれた道とかそういう類のものを少し思い出してる。誰もが無理だと思うようなところに出来た道のこと。


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