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挑み続ける、ということ

北京オリンピック、連日メダル獲得のニュースを見る。
その中でたとえば、二桁順位の日本人選手の名前を意識して見ることはあるだろうか。ましてその場にたどり着かなかった者たちの名を覚えておくことはできるだろうか。


鍵山正和。
アルベールビル五輪、13位。
リレハンメル五輪、12位。


小さい頃からスポーツを見るのが好きで、フィギュアスケートはオリンピックで見られる競技の中でもとりわけ好きな方だった。
私が子供の頃はテレビで見られるスポーツといえば野球と相撲、そして時々バレーボール。今とは比べ物にならないほど見られる選択肢がなくて、だから五輪はいっときにたくさんの競技が見られるとても楽しみな機会だった。

ロビン・カズンズの華やかな演技、ブライアン対決、カタリナ・ヴィットのカルメン、伊藤みどりのトリプルアクセル、デニス・ビールマン、スコット・ハミルトンの軽やかさ、アレクセイ・ヤグディンの仮面の男。それらはその時々の私の心を魅了していた。

日本の女子フィギュアは折々の機会に注目を浴びていたけれど、日本男子はそうではなかった。自分自身、生で競技を見る機会があっても男子は「ジャンプだけでつまんないなあ」とあまり力を入れて来なかった。まして日本人選手が活躍することなど、期待してすらいなかった。サッカーのW杯に日本が出るなど夢物語だと思っていたのと同じように。
それでもその時代にトップだった選手たちの名前は覚えていた。その中に鍵山正和の名前も当然あった。


それがいつしか、女子だけではなく男子も徐々に頭角を現すことになっていった。
2002年ソルトレイクシティで本田武史が4位入賞と奮闘し、2010年のバンクーバーでは髙橋大輔が日本人男子選手として初の表彰台。2014年ソチでは羽生結弦が遂に初の金メダル、2018年平昌での連覇と宇野昌磨とのダブル表彰台は誰もの記憶に新しいことだろう。

そして今、2022年北京、2大会連続の複数メダル獲得を果たす。
宇野昌磨、そして鍵山優真。
五輪で二桁順位だった正和の息子が銀メダルを獲得する。
私のような緩いファンが夢に見ることさえなかった世界を今手にしている。

出場はしてもメダルの華やかな結果こそ残せてはいない競技の扱いがどういうものか今体感することは可能だろう。今、あなたや私がその結果に心を寄せていない、ああ誰か出ているんだね、その程度の関心の世界のことだ。

そんな関心のない世界を。
先をゆく人も後に来る人も少ない、見る人もいない、まるで深い草むらの中を、けれども屈さず、弛まず踏み開く人達がいて、そして道が出来ていく。

正和さんの時代、さらにそのずっと前からこの競技を強くしようと夢見てきていた人々の足跡が、五輪の出場如何に関わらず競技に力を尽くしてきた人々の足跡が、綺麗な一本の大きな道へと拓かれていく。

そして今日の羽生選手の4回転アクセルへの挑戦もまた、次の、誰も行けないと思っている地平へのたしかな足跡になるんだろう。


失敗した。成功とまでは言えなかった。成し遂げることはできなかった。
でも挑んだ。挑み続けた。
挑戦の長い積み重ねが次の扉を叩いていく。
挑戦という名の1本の襷が如く、次の誰かに継がれていく。
そしてそれはやがて大きな光の元へと繋がっていく。


挑み続ける、ということ。
そのことのとてつもない大きさを、自分が五輪を通してこの競技を見てきた40年の時の重さと共にいま強く感じ考えさせられている。
競技を見ることを通して自分はどう生きるべきか、突きつけられるものがある限り私は観戦を続けていくのだろう。

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