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おやすみの朝ごはん【#2000字のドラマ】

「ただいま」
 カーテンのむこう側から、明るいオレンジ色の光が射していた。導かれるように、厚いカーテンの両サイドを引いた。とはいえこの後ねむるのは決まっているから、中央のみ。光が射しているのは一部だけだが、かえって夜勤明けの体に心地良い。カーテンを開けるたび、人は自然の明かりが必要なんだと思う。すーと深呼吸をしていたら、焼き立てのパンの香りが鼻をくすぐった。朝食にしよう。
 鏡を見ながら手洗いうがいをする。洗面所は窓が1つしかないから暗い。そのため自分の顔に影ができていた。うがいによって喉が洗われたから、少しすっきりした。
 部屋に戻り、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出す。ガラスコップに注ぐと、元気になれるビタミンカラーがお目見えする。1口飲むと、甘酸っぱい! 果汁100%には仕事後の舌もびっくりさせられる。ねむることを考えるとコーヒーは無理だから、健康的に選んだ結果こうなったのだ。そうだそうだと過去の結果に納得しながら、1人用のテーブルにパンを並べる。シンプルな塩パン、ボリューミーなバケットサンド、デザートのジャムパン。はー、どれもうまそうだ。スーパー内のパン屋で働く母くらいの年齢の笠松さんが、脳内に現れて「どれもおいしいんだよ」とつっこんできた。バーチャル自分がそうだよねと返す。
 腹がきゅるきゅるしてきた。さて、それでは。
「いただきます」
 言い終わるとすぐに塩パンにかぶりつく。きつね色の外側はサクッと音を立てる。名の通り塩味がきいているけれど、辛いとは思わない。もちもちの内側のバターがまろやかにしてくれているから。疲れた体にたいへん助かる塩分。うまい。でも、休日でも食べやすいパンである。ナイス! とサムズアップしたくなるちょうど良い塩梅だからだ。シンプルを超して無になっていない飽きのこない味の塩パンは、夜勤明けの前菜となっている。ああ、今日もうまかった。
 よし、次はメインだ。サンタクロースの衣装と同じカラーのトマトとカマンベールチーズ、サニーレタスはツリーで、飾りの淡いハムがのっかったバゲットサンド。心の中で勝手にサンタサンドって呼んでたら、店内で口にしてしまった。自身の息子さんに重ねられたのか、笠松さんに「八慧 やえくん、かわいいこと言うなぁ」と笑われてしまった。恥ずかしい、苦い記憶のあるパンだ。でも、これもうまいから選んでしまう。
 ピッツァが誕生して定着したように、トマトとチーズは安定感あって食べたくなる味。大手メーカーがパンにハムを挟むように、こちらも太鼓判を押されている。サニーレタスは、ほらサラダにある。バゲットにかぶりつくと、バリッと砕いて具にたどりつく。口を動かせる量にとどめて、もきゅもきゅと鳴らしながら食べる。ジュワっと新鮮な野菜の水分と、クリーミーなカマンベールチーズ、厚みはないがしょっぱくて肉をほのかに感じるハム。堪能しながらも、10分もかからずに胃へと消えた。
 ああもう最後か。ジャムパン。酸っぱすぎてしまうオレンジジュースを先に飲み干す。では。ジャムクッキーのように真ん中に苺ジャムが流し込まれている。パン屋が選んだだけあって、相性は最高。甘味が強すぎることも、酸味がききすぎていることもない。果肉も入っていてつぶつぶが食感のアクセントになっている。
 子どものころからよく食べていた苺ジャムは、家族の姿を思い出させる。すこし丸みのある母はジャムを多くぬってくれる。シャープな眼鏡をかけている父は、コーヒーを用意して通勤前のわずかな時間をたのしむ。弟といっしょにねむいままトーストをかじる。小学生時代の記憶。……実家から遠くなったぶん、朝パン屋を訪れるたび笠松さんが気にかけてくれるのがうれしい。気持ちとしては、友達の母親というか。一番は自分の子だが、ほどよく心配してくれたり応援してくれたり。暑苦しくない、あったかい気持ちになる。変なプレッシャーにもならず前をむける。だから通うんだろうな。パンがうまいという理由だけじゃなくて。
 人差し指でパンの端を押した。もごもご数回動かすと消えてしまった。「なくなっちゃった。ごちそうさま」
 しばらく手を合わせていたけれど、腹が満たされてねむたくなった。皿とコップをシンクに置く。次の飯食い終わってからまとめて洗えばいいか。レースカーテンを照らす光は、帰ってきた直後よりも強くなっていた。仕事開けのねむる時刻だ。まぶたが重くなってきて、誘われるがままにベッドへ。スマホの電源を切る。真っ黒な画面に反射した自分の顔は今すぐ寝たそうだったが、元気が出ているようだった。朝食の力は偉大だな、と頭の片隅に思いながらもいよいよ瞳を閉じる。
「おやすみ」