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「神はいるのかいないのか」「ものはただ存在するのか認識するから存在するのか」というのは哲学的には無意味な論争だ。ウィトゲンシュタイン、論理哲学論考。
今日もまた、「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」のことを考えたい。
事態を表す命題は有意味である ウィトゲンシュタインは、命題は事態をあらわすものであるとした。事態とは、「現実世界に(論理的に)あり得ること」を指す。
例えば、ある事態について語っている「青森県にはりんごの木が生えている」とか、「地球はいつか太陽に飲み込まれる」というのは命題だと言える。そしてこれらの命題は、(恐らく)
静かに生きる。前期ウィトゲンシュタインの世界観。
語り得ぬものについては沈黙しなければならない。なんとも劇的でロマンチックなこの一文で締められるのが「論理哲学論考」。
ここでいう「語り得ぬもの」には、どうもいくつかの種類があるように思えるが、要するに「無意味なこと」。言い換えると、「世界について何も語っていないこと」。例えば「今日も今日とて辛すぎる」と僕が言うのは、これは無意味なように見えるけど、有意味だ。これは「僕は辛い」という世界のこと