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ただ、あるだけ。

先日、幼少期の写真を見返す機会があった。
ヘッダーにした不機嫌な園児の画像がそれ。

まだ少女だった頃、私は自分を構成するあらゆる要素に数え切れない程の劣等感を持っていた。
声が低い、内向的、運動神経が悪い、貧乏、人中(鼻の下にある溝みたいなやつ)が濃い等々、ここに書けることも書けないことも、色々。
誰かに相談するとよく言われたのが「コンプレックスを生かす」ということ。短所は裏を返せば長所になり得るという励ましの言葉だ。

それならば短所を極めていこう! と心がけてみた。でも、私より声が低い、内向的、運動神経が悪い、貧乏、人中(鼻の下にある溝)が濃い等の人は思った以上に多いので、極めるのも一苦労だ。
ていうか、人中の濃さを生かすってなんだ。深く刻まれた溝を利用してプラレールでも走らせるべき? その場合も、より深い溝を持つ人のほうがレールとして重宝されそうで競争率がえっこれ何の話?

ともかく、自らの持つマイナスをプラスにすべく、焦りと腐りを繰り返す青年期を過ごした。しかし、大人になった現在、意外にもそれらに苦しめられることは少なくなっている。

と、言うことは「コンプレックスを生かす」を達成出来たのかと思ったが、何か違うような。それらは生かした訳でも殺した訳でもなく、変わらず私の中にあり続けているからだ。
もしかしたら変わったのは私の方で、劣等感をバネにして生きる根性も、劣等感に殺される繊細さもなくなってしまったのかも知れない。

他人より劣った自覚も誰かを羨む気持ちも普通にある。ただ、あるだけ。これはある種の諦念に近い。
この変化が良いかどうかは疑問だが、気分は案外悪くなかった。


……ところで、この文章を書いている最中、人中が濃いことのメリットはないのか調べてみた。

この「人中=鼻下のくぼみ」は、もともとは口から鼻に水分を運んで嗅覚機能を活発にさせる役割を持っていたとされる。哺乳類全般に見られる構造である。ただし哺乳類の発達において人中の役割は徐々に失われつつあり、人間に至っては尾てい骨などと同様の「痕跡器官」となっている。

「《人中》の正しい読み方」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

メリットどころか、付いてる意味すら無さそうだ。

鏡を見てみる。
私は今も人中(ただ、あるだけの溝)が濃い。


今までのnoteはです・ます調で書いていましたが、なんとなく、今回はだ・である調にしてみました。
書きやすい文体を探り中です。

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