3年かけてUNDERTALEをプレイした

この記事の目的

3年前からUNDERTALEにめちゃめちゃにハマった人間が今年になってようやくGルートをクリアした結果、めちゃめちゃに最高のゲーム体験をしてしまったので、感想と考察をウェットに書いた。7000字ぐらいになった。

要約

  • UNDERTALEはいいぞ

  • ゲームは自分でプレイしろ

  • キャラのせいにするな。全部おまえのせいだ

※念の為書いておくが、これ以降はUNDERTALEの致命的なネタバレしかない。万が一まだプレイしていないなら今すぐ買ってプレイしてください。たぶんクリスマスセールとかやってる気がするし。



褒められたことではないが、元々Gルートの内容はプレイ動画で見ていた。

ま すくなくとも じぶんで やらずに みてるだけの ヤツらよりは マシさ…
どうなるのか しりたい クセに じぶんでは できない なさけない れんちゅう…
いまも きっと そんなヤツらが ボクたちを みてるんじゃ ないかな

フラウィ@ニューホーム

当初はGルートをプレイするつもりはなかったのだが、後続作であるdeltaluneをプレイするにつれ、この作品群を最大限楽しむに当たってはGルートの経験が必要なのではないかと思うようになった。
クリスの不審な行動はGルートエンディングとの類似点が指摘されているし、chapter1は虐殺ルートの実装はなかったもののchapter2ではSnowgraveルートが存在しており、どうも虐殺から逃れられない気配を感じる。

そもそもこれだけ完成度の高いゲームの作者が、仲間をブッ殺し回るだけの地獄みたいなルートをつくるだろうか?
Pルートもかなり遊び尽くしたことだし、ゲームを完全に楽しみきりたいなら、やれるようになっているならやらなければならないのでは?

いいか わるいか なんて かんけい ないんだよな?
「できる」 ってだけで やろうとするんだ
そう… 「できる」 って だけで…
…やらずには いられないんだ

サンズ@さいごのかいろう

Toby Fox氏の手のひらで踊らされるのは楽しい。


Gルートの道中

いせきに落ち、出会ったモンスターをとにかく全員殺していく。傷ついたモンスターがおびえたりなみだをこぼしたりするのを見るとさすがに愉快ではない(この時点では)
順調にフラグを立ててトリエルの最期のセリフが変わったのを見たとき、Gルートってこんな簡単にだれでも入れるルートだったんだな…と当たり前のことを思った。このROMにはGルートなんて実装されていないかのような錯覚を覚えていたので。世界の行方があまりにもプレイヤーに一任されているし、フラウィがプレイヤーを「最後にこの世界に残された脅威」と呼ぶのも頷ける。

さて、パピルスを殺せる気がしないな~とか言って始まった旅だったが最初の関門はもっと手前にいた。
レッサードッグだ。

出会うたびに絶対伸ばすことにしている

こいつはマジでかわいい。出会った瞬間からコマンド欄いっぱいにナデナデを要求しシッポをブチ切れんばかりに振ってくる。愛情を与えれば無限に首が伸びるし、その喜びを大量の雪像の残骸で伝えてくれる。
Gルートに入れば当然どんなかわいいイヌだろうと殺さなければならないのだが、このときは完全に失念していたので、レッサードッグに出くわしたときには半ベソになった。いくらゲームだろうと辛いものは辛い。

迷ったあげくに結局レッサードッグを殴り殺してしまった。殺される瞬間哀しげなイヌの鳴き声を聞いた気がする。もしかしたら幻聴かもしれないが確かめる術は今のところない。
スノーフルのイヌを全員殺したところで、「イヌを殺せたなら、もう誰でも殺せそうだな」と思った。
このとき、間違いなくLOVEが1つ上がったのを感じた。

LOVE (Level of Violence)

ふじみのアンダインは倒すのに3日かかった。GAME OVERになってやり直すたびにモンスターの子が話しかけてくるのが大変ウザかった。
パピルスをぶんせきして「おぼえておくかちはない」と出たとき、パピルスがプレイヤーの改心を信じたまま死んだときにはまだ感情の動いた心が、この段階ではもはや誰に対しても「「じゃまだ。」」と思うだけだった。Toby氏による見事な構成とレベルデザインによってそう誘導されているのだが、それを選択したのは間違いなくプレイヤーである。
アンダインに最後の一撃を与えたときには嬉しくて仕方なかった。かつてあんなに楽しく料理をした仲なのに。

その後もジェノサイドステップを踏んではエンカウント率の低さに悪態をついていた。「たたかう」を選択することはただの作業と化し、罪悪感は特に感じなかった。
LOVEはどんどん上がっていく。

ニューホームではフラウィの過去を知る。フラウィも最初はみんなと仲良くしていたこと、でもタマシイを失ったせいで「だれかをあいすること」がどうしてもできなかったこと、いろんな行動を試してみんなの反応を見てみたこと、最終的には「やりたくてやるわけじゃない、確かめるためにしかたなくやるんだ」と言いきかせてみんなを殺してみたこと、実際にはだれかを殺すと「スカっとしてきぶんがいい」こと…。

作者の立場でここまで的確にGルートプレイヤーの心境をトレースできるToby氏、SAVEの力でも持っていらっしゃる?マジで怖い……。

そしてさいごのかいろうに足を踏み入れる。

サンズ戦

言うまでもないがむっっちゃくちゃ苦労した。本当に勝てなかった。ここまで何十人も殺してきたのに未だに何もかも下手クソなのだ。2日かけてようやく新しいターンに辿り着くような進み具合だった。
あまりに勝てなさすぎて気晴らしにdeltaruneのSnowgraveルートをやったりした。

[[ベトベトスライム]]には荷が重い

サンズ戦に戻っては自分の[[$4.99]]の人生に悲しみを覚える日々。
解説記事でこうげきの順番と安置を覚えたり、
何回LOADしてもゲーム内タイムが変わらないことにエモさを感じたり、
死ぬたびに「あきらめるな!」と何度も声をかけてくるアズゴアを見てはこれから訪れる彼の悲惨な末路を思わずにいられなかったりした。
あと願掛けにバタースコッチシナモンパイを焼いて食べた。

ようやくその日が来たのは2ヶ月経ってからのことだった。

2ヶ月かかってるしな…

サンズのこうげきを避けきったことが確定したとき、「たたかう」に辿り着いたとき、戦いが終わって誰もいないさいごのかいろうを見たときの手の震えは忘れられない。
こんなにもゲーム内のキャラクターに共感したことはなかった。サンズのことではない。サンズに2撃目を与え致命傷を負わせたアイツのことだ。
2撃目の主はプレイヤーの行動を乗っ取り始めたキャラである、という解釈が多くされているが、実際にプレイしてみた実感としては多少異なる。あの2撃目は間違いなくプレイヤーの意思だったと思う。コイツまだ続けるつもりか、頼むからさっさと倒れてくれ、という意思だ。ここに至ってはもはやプレイヤーとキャラに境界はない。2撃目を与えたのはキャラであり、すなわちプレイヤーのケツイだ。

私たちは ともに敵をせん滅し 力をつけた。
HP…ATK…DEF… ゴールド…EXP…LV…
数字が大きくなるたびに お前が感じたもの…
それが私…
「キャラ」だ。

LOVEは最高値に達した。

サンズ戦以降はほとんどキャラに「乗っ取られ」て進む。
UNDERTALEにおいてゴーストは「かんじょうをかいほうする」と「にくたい」と融合することができる。LOVEの最大化は感情の開放に他ならない。ここに至ってキャラとプレイヤーは不可分の存在になった。

私たちは 永遠に 離れることはない。

Gルートを動画で見ていたときは無残に殺されるクソ花を見て多少なりとも溜飲が下がったり同情を覚えたりしたものだが、実際に出くわしてみると「そういえばこんなやついたな」という感じである。特に恨みがあるでもないが、なんか喋ってきてうるさいし除草しとくか、という感じで殺している。

そしてとうとうキャラ本人が登場する。

この時点でキャラはプレイヤー以上のSAVEの力を持ち、今度こそプレイヤーの意思を離れて動き出す。LOVEが最高値に達したことでキャラの「ケツイ」がプレイヤーのそれを上回ったためなのか、アズゴアを殺害したときに6つのタマシイを奪っていたためなのか…。
ともかくNルートでフラウィがやったように、しかし今度は塵一つ残らず世界は破壊されてしまう。


キャラとの取引

さて、次はPルートに行きたいので破壊された世界をもとに戻したい。そのためにはキャラと取引をし、「つけを払う」ためにキャラの求める「タマシイ」を渡すことになる。

しかし、キャラはタマシイをたった1つだけ手に入れて何をするつもりなのだろう?
ニンゲンのタマシイ1つではバリアも抜けられない。世界をもとに戻せばせっせと上げたLOVEも失われるし、6つのタマシイはアズゴアの隠し場所に戻り、世界を自由にするSAVEの力はプレイヤーに渡るだろう。

しかし、ニンゲンのタマシイはたった1つでもとある重大な変化を起こすことができるし、実際にそれを作中で成し遂げた人物もいる。
フラウィ/アズリエルだ。
彼は途方も無い時間を「あい」のないせかいで過ごし、誰にも心を動かされず、誰を殺すことにも躊躇がない。しかし、全てのモンスターのタマシイ=ニンゲンのタマシイ1つぶんに相当するエネルギーを得た結果、心が「タマシイ」で満たされることになった。そしてこのタマシイは彼をほとんど別人にしてしまう。最後にはフリスクのケツイに心を揺らし、モンスターたちがフリスクを想う心を理解し、涙をこぼすまでに至らせる。
タマシイは「からっぽ」の心を埋めることができるのだ。

キャラも状況としてはフラウィと似たようなものだ。キャラが今更だれかを愛する心を欲しがるとは考えづらいが、その興味を引きそうな人物はひとりいる。

おもしろい。
お前は 戻りたいというのか?
みずから破壊した世界に?

自分の手で何もかもブチ壊しておいて、全部無かったことにして再び戻りたがる自分勝手なヤツのことだ。キャラはプレイヤーの中にいて、その奇妙なケツイのありかたに興味を抱いている。

キャラはタマシイを得たその心で、プレイヤーの感情を理解しようとしたのではないか。
だから箱庭をもとに戻してやり、そいつの好きにさせてやることにしたのだ。

Soulless Pルート

再びいせきに落ちるが、今度はだれも傷つけないで進むおかげでみんな優しくしてくれる。フロギーはテキストを早送りしなかっただけで褒めてくれるし、トリエルに抱きしめられて大事に送り出されるし、フラウィはまあ相変わらず元気そうにしている。

サンズがフリスクと普通にあくしゅをしたのを見て、自分以外にあの虐殺を覚えているのが一人もいないことを痛感する。

嘘をつくな

ここからパピルスとの邂逅までの一連はかなり好きなシーンだ。Gルートのこのシーンでは主人公がサンズの指示を勝手に無視する。このように主人公が勝手に動くシーンはキャラの暴走と結び付けられがちだが、よく考えてみればNルートでだってフリスクが勝手に指示に従っているのである。
※他にはフォトショップフラウィ戦の直前で主人公が操作なしにフラウィに立ち向かっていったりする。
キャラの行動だろうがフリスクの行動だろうが結局は全てプレイヤーの行動が遠因なのだろう。
だからプレイヤーは何をしたにせよ自分の手で「つけを払う」必要がある。

なんと今回はイヌを殺さなくていい。いくらでもナデナデできる。殺さなくていいからだ。前回はこのイヌ夫婦を夫の方から順に殺したのに、それを忘れたフリをしてせっせとイヌと仲良くなる。

パピルスはめちゃくちゃイケてるヤツだ。一生懸命で優しいし、ロイヤル・ガードの夢と天秤にかけてでもニンゲンとトモダチになって旅を助けようとしてくれる。Gルートですら主人公を止めるためにトモダチになろうとしたが、そんなパピルスを殺したのは他でもない自分だ。

パピルスの話

アンダインはめちゃくちゃ乱暴だが心優しいパピルスが兵士の道を選ぶことをとても心配しているし、誰かに危機が迫れば命に代えても守ろうとするほんもののヒーローであることをプレイヤーはよく知っている。忘れられるわけがない。でもアンダインはフリスクとトモダチになり、おちゃを振る舞ったり電話でおしゃべりしてくれる。自分が殺されたことを覚えていないからだ。

サンズ戦では殺す以外に解決策のなかった「ずっと続く戦い」でも、今回はいせきで仲良くなったナプスタブルークが来てくれる。あの人見知りのゴーストは自分のユーモアで1回笑っただけのフリスクを「いいひと」と呼び、自宅に招いてくれさえする。

あんなに必死で世界の破壊を止めようとしたサンズでさえこの有様だ。トリエルとの約束を守ってニンゲンを見守ってきたサンズはパピルスのねがいを叶えてくれたフリスクに感謝さえし、どんな決断をしても応援していると告げて去っていく。

Pルートのモンスターたちはとにかくみんないいヤツなのだ。みんなフリスクのことをほとんど何も知らないのに、一度楽しくおしゃべりしただけのことをずっと覚えていて、心から好きでいてくれる。フリスクがフラウィに襲撃されたときもみんな揃って助けに来てくれて、そしてみんな犠牲になってしまう。

アズリエルに取り込まれて記憶を失った「まよえるタマシイ」、ひいてはアズリエル自身に”じぶん”を取り戻させるのは、フリスクとモンスターが築いてきた思い出の数々だ。それはそのままGルートで”じぶん”とタマシイを見失ってからっぽになったプレイヤーに跳ね返り、なにかを思い出すように訴えかけてくる。それはサンズのいう「ウマいメシとか くだらないギャグとか ともだちとか」であり、「ただしいことをのぞんだヤツのきおく」であり、同時に「せすじをつたうつみのかずかず」だ。
そしてプレイヤーの中にいるキャラもまた、タマシイを得た心でこれらに向き合わなければならない。

所詮これはゲームの出来事だから、Gルートのことはすっかり忘れてパピルスやアンダインとのデートを楽しんでも誰も文句言わないし、なんならその方が傷つかずにすむ。
でも自分は、ゲームとはいえ自分がトモダチを残酷に殺せるニンゲンであると認めること、そしてそのトモダチと再会したときに心が痛むニンゲンであるのを自覚できたことが、とても得難い経験だったんじゃないかと思った。

このフレーバーテキストはN/Pルートだとあまりピンと来なかったけど、Soulless Pルートで出会うと心をグサグサに突き刺してくる。何が起きたにせよ、フリスクもキャラもプレイヤーの一部で自分自身に他ならないのだ。

そいつも いちどは ぜんいんを ころしてるからな

そんな「じぶん」が迎えるべきエンディングはなんだろうか。

ニンゲンの身体でニコニコ笑うキャラは、あれだけのことをした「じぶん」に釘を差しに来たのだと思う。「じぶん」がしてきたことを忘れて何もなかったことにはできないし、もはやモンスターたちと一緒にいる資格はない。

このあとUNDERTALE世界がどうなってしまったのかは非常に不穏なわけだが、もしキャラが何もかも破壊してしまったんだったら、次にゲームを起動したときにフラウィがあんなのんきにプレイヤーに語りかけに来ないんじゃないかと思う。
モンスターは地上で新しい幸せな暮らしを始めたのだろう。アズリエルは地下に残って金色の花の世話をすることにした。それではじぶんはどうするべきか。
フラウィの言うとおり、キャラをつれて今すぐゲームの電源を切って「彼らをそっとしておく」べきなのだ。

SAVEの力が存在するかぎり地上の世界から脅威は消え去らない。
だからプレイヤーもフラウィももう二度とこの世界に関わってはいけないし、幸せな彼らの様子を見ることは許されないのだ。
(ちょっとMOTHER3っぽいな…)


THE END

UNDERTALEで本当に”1回も”だれも殺さなかったプレイヤーってほとんどいないはずだ。(自分の初見1周目はたしかメタトンエンドだった。)
でもその事実はPルートで上書きされて何もなかったことにされてしまい、プレイヤーは誰にも優しい最高のトモダチとしてゲームを終えることになる。
1度はトモダチを傷つけたことがあるという事実は、Gルートで「キャラ」という人格を与えられて初めて可視化されるのだ。そして再度Pルートを回ることでプレイヤーの中で消化されていく。
G/Soulless Pルートはゲームが不可逆に変化する懲罰的ルートなどではなく、これまでの道のりをプレイヤーが振り返るために用意された、本当の最後に迎えるべきエンディングなのだ。

だからもしまだGルートに行っていない人がGルートに行きたくなったら遠慮なくプレイしてみてほしいし、どんなプレイヤーにもその「資格」がある。
甘いものでも食べながらぜひ心をめちゃめちゃにされてみてほしい。

でも正直まだGルート2回めのエンディングも見たいし原語でGルートやりたいんだよな……

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