冬の日の思い出

 

 冷蔵庫の中に鮭の切り身を見つける。今朝は水たまりに薄く氷が張っていた。とても寒い。夜には雪になりそうだ。暖かいご飯を作ろうと思う、鮭を使って。ちょうど牛乳とバターがあるから、クリームシチューにしよう。玉ねぎとじゃがいも、ニンジンをざくざく切る。全部鍋に放り込んで、じっと待つ。そしてこんな日は、思い出してしまう。父のことを。


 私は私のことが好きじゃなかった。いや、大嫌いだった。なぜなら、私はダメな人間だと思っていたから。そう、ダメな人間だと「思っていた」から。もっと正確に言うと実の父にダメな人間だと「思わされていた」から。

 私はおそらく中学生だった。その頃にはもう私には当然のように台所に立つ資格があって、ガスコンロなんかも使いこなしていた。父はゆうべのシチューを温めるよう私に言った。中学生は当たり前に火をつけたけれど、大きな鍋はなかなか温まらない。少し火を強めてみた。中火より少し弱いくらいに。しばらくして、シチューは温まったけれど、鍋の底が少し焦げてしまった。シチューはなんとなくきつね色になった。

 「この女は、シチューひとつろくに温められない、ダメな人間だ。」

 父は私にそう吐き捨てるように言った。他人にこのことを話すと「なんでお父さんはそんなことを言うの」と驚かれるかもしれないけれど、私はそういうことには慣れていた。私ができないことに対して、「お前はこんなこともできない、だからお前はダメな人間だ」とい父の言い回しは、もう定型化してしまった、使い古された言葉だったから。

「バレーボールのレシーブができない、ダメな人間だ。」

「魚がさばけない、ダメな人間だ」

「返事もできない、ダメな人間だ。」

「ダメな人間だ」

 きっと中学生の私もできることの方が多かったのだと、今は思う。けれど父は「できないこと」の方を殊更にあげつらって、「お前はダメな人間だ」と言うことに拘っていた。そして、人間は不思議なもので、毎日毎日「おまえはダメな人間だ」と言われ続けると、自分が本当にダメな人間に思えてきてしまうのだ。

 だから、ずっと私は私が大嫌いだった。

 

 家を出てから長い時間が経って、自分がダメな人間じゃなかったことに気が付いた(それはたくさんの人との出会いのおかげ)。今の自分は弱いところも含めて受け入れられるし、過去の、中学生の自分も、ダメな人間なんかじゃなかった。もしタイムリープできたなら、中学生の自分にそう言ってあげたい。

 けれど、今でも悲しいのは、父が弱い人間だったということだ。もしかすると、今も現在進行形で弱い人間なのかもしれない。弱い人間だから、自分じゃない誰かを「ダメな人間」にして、下に見ることでしか「俺は大丈夫」と思えない。そうすることでしか自分を保てない。そんな人間は悲しい。本当に。


 じゃがいもが柔らかくなって、牛乳を入れる。白濁の美しいシチューの色ができる。鮭がピンクなので、冷凍のブロッコリーを入れる。見るだけで優しくなれる色合いと、香り。今から家に帰ってくる家族のためのシチューはこんなにも愛おしい。父はこんな気持ちに包まれたことはなかったんだろうか。父には愛しい家族がいなかったのだろうか。

 とても寒い冬の日、食卓に誰かのためのシチューがある。こんな日には父のことを思う。


 

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