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外見を大切にする

「外見より中身だよ。」という言い方をされたことがあるだろう。最中なら、そういうことが言えるかもしれない。缶入アンコを詰めたような最中もあれば、手作りアンコを詰めた最中もあるから、その意味では、「外見より中身」と言える。

アナタは、爪の手入れをしているか。鼻毛は出ていないか。髪は梳ているか。歯を丁寧に磨いているか。洗いたてのシャツを着ているか。

こうした外見を軽視すると、やはり運気は上がらないだろう。


さて、ここで外見に対する考察を少しばかり加えておきたい。

「アナタは外見重視者なんですね。そういう人ってルッキズムに繋がりませんか。」

こう問われたことがある。

外見を大切にすること≒ルッキズムと捉えるのはお門違いである。

スキンケアは外見の外郭線のケアである。眉を揃えるのも、身体という本体の外郭線への配慮である。鼻毛をハサミで切るのはどうか。これも、身体の一部をハサミで切って揃えることである。

外見とは、外から見た見栄えの良さも指すが、そればかりではない。鏡を見て、自身の中の他者視点で美を意識する営みである。その意味では、中身の一部なのだ。

前述したように「外郭線」は、あくまでも中身の一部と言うことができる。

では、着ているシャツはどうか。肉体の一部ではないので、中身の一部とは言えない。では、中身から分離した外部かというと、そうとも言えない。中身に接した最中の皮のようなものかもしれない。

その最中の皮がボロボロでカビていたら、アナタはそれを食べる気がしないだろう。


つまり、中身の外郭線にまとったシャツは身体の一部のように、私たちは感じるのではないか。

筆者は、外に出る時、ハット帽子をかぶる。それは、日よけという側面もあるが、自己内他者を意識したお洒落という側面も否定できない。

外見とは何か。
①身体の延長線上にある外側
②その外側に接する親和物
③自己内の他者視点

結論

①中身の外郭線は中身そのものである。
②中身を包む最中の皮は中身に近いものである。
③中身も外見も大切にしてこそ、自尊感情は上がる。
④外見の意識がファションなどの文化を創造した。(最中は文化そのもの。)


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