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ランドリー今日はガラ空きでラッキーデイ

高校時代から音楽活動に取り組み、ハチとしても米津玄師としても活躍する人生を歩んでいるのに、「ランドリー今日はガラ空きでラッキーデイ」なんて歌詞を書けるのは凄い。

とツイートしている人をネットで見かけたことがある。コインランドリーなんて使わなくてもいいような人生なのにも関わらず、「あ、今日誰もいないじゃん」という気持ちを知っているなんて、と驚く。

僕の一人暮らしの家に洗濯機は無くて、コインランドリーを利用しているのだけど、友達にその旨を伝えると毎回驚かれる。未だに何を驚かれているのか、正直なことを言えばわかっていない。別に洗濯なんて俺が出来るわけないじゃないか、近くにコインランドリーがあるんだからさ、そうしたら洗濯を回す必要も乾かす必要もないんだよ、と思う。一般常識としての洗濯が日常生活の中でどのような立ち位置を占めているのか分かっていないから僕の思いは関係ないのだけれど、別にいいじゃん、と驚かれるたびに思う。

昨日洗濯物が溜まってコインランドリーに行った。一人暮らしを始めたのは去年の六月あたりで、もうすぐ一年経つ。その頃から同じコインランドリーを使っている。使い始めた時は「これ……どういうルール何ですか……え……」とセルフにもほどがあるコインランドリーの秩序を乱さぬようにすることに必死だったけど、今ではもう慣れたもので、両替機に新500円玉を使えない事すら知っている。

近いは近いのだけれど、自動販売機ぐらいの距離感ではない。重めの洗濯物を抱えて歩いたら少し息が切れるぐらいの距離感の所にある。そこは一応通学路になっているから、毎回「友達に会いたくない……」とオドオドして、誰も使わないルートで遠回りをして向かっている。今の所誰にも会わないし、なるべく深夜に利用することにしているので、これからも会わないと信じている。

家を出る前にその日着た服とかパジャマとかタオルとか洗いたいものをとにかく放り込む。ビニールの手提げカバンみたいなものに入れる。今日着た外に出る時の服も入れてしまうので、改めて外に出る用の服を選ぶ。服の中でもこの服が最下位の服のような気がする。だってそれを洗う必要が無いと判断しているのだから。コインランドリーに行く用の服は次のターンまで着ないんだから。オードリーのオールナイトニッポンを聴きながら、よっこらせと一人暮らしの部屋という頭蓋骨の中で独り言を言いながらカバンを背負う。

ぶちっと何かが切れた。。カバンの手持ちの部分だ。ぶっちり切れた。あー切れちゃった、ともう一度独り言を言う。あっさりと、意外性もなく切れる。

その時に「あーもう一人暮らし初めて一年経つんだなー」と思った。コインランドリーに持って行く用のカバンを買い換えないといけない。あと二年間だからあと二回買い換えるのかもしれない。慎重に使えば一回で済むだろう。でもまあ重いからいつか切れるってことは知っていたし、元々運ぶときは抱えるように持っていたので支障はない。本と財布を入れて外に出る。

歩いてコインランドリーまでたどり着く。一人だけ客が居る。今日はラッキーデイではなかった。がばがばと洗濯機に自分が着た衣類を放り込む。こんなに服って着るんだと毎回思う。すると、チャリンと100円玉が落ちた。明らかに僕の衣類の中から出てきた。いつこんなのをポケットに入れておいたんだろう。母親が家で洗濯してお金が出てきたら溜めておくと話していて、ようやくその気持ちが分かった。これは取っておきたくなるなあと思って、財布の小銭入れとは別の所に入れておいた。困った時に使おうと決める。

ある程度入れて、洗濯機を回し始める。本だけカバンの中に入れて財布を持って外に出る、オールナイトニッポンが終わっていないから歩く。コンビニでレッドブルとチキンを食べる。チキンを頼むときに「ファミチキ下さい」と言うと思うのだけれど、その時に毎回僕はちっちゃい声で「な」と付ける。「ファミチキ下さいな」と言う。初めて気がついた。「何でも話せる友達が居たら話したいなと思う事」だなあと思って、せっかくだから自分の友達の中でも何でも話せる友達にLINEして伝えたら「ジブリ女子みたいだね」と言われた。

戻ると洗濯機が終わっていたから、衣類の山を乾燥機に移す。洗濯機よりも乾燥機の窓の方が大きいから見ているのが楽しい。ゴインゴインと回っている。それを見ながら、最近仲良くなった友達とSNS上で話す。noteを更新し続けたから出来た友達で、やり始めてよかったと思いながら色々と話した。他にもnoteをこっそり見ていてくれる人や面白いと声をかけてくれる人が居て、ずっと嬉しい。もっとみんなに読んで欲しい。

乾燥も終わって開けると、服の山の中から忍者飯のグミの袋が出てきた。ポケットに入れっぱなしだったんだ。幸い中身は無かったから特に汚れてはいなかった。目を凝らすと他にも紙っぽいのがちょっとだけ散らばっている。何かをポケットに入れっぱなしだった。過去の僕の存在証明だ。

洗濯物って生活の蓄積で、それが洗濯の時にちょっとだけ、あらわになる。家族と同じタイミングで洗濯されていた時は、たとえ何かゴミが散らばっていたりお金があったりしても、それは誰のものか分からなかった。でも一人暮らしでは全部僕のものだ。僕の蓄積しか無くて、「あーきちんと確認しておけばよかった」と思う。

そのまま必死になって洗濯物を抱えて家まで帰る。最近仲良くなった友達と話すのが楽しいから一々立ち止まってガードレールとかに洗濯物をおろして返信していたら、行きより時間がかかった。帰って、時間的にもお腹的にもご飯を食べたくなった。そのまま部屋に洗濯物を置いて食べに行こうとしたのだが、ふと何の気なく、たった今洗濯してきた洗濯物を全部ぶちまけておいた。ばーーーーーっと全部出して、ちょっと乾燥機で暖められた洗濯物の匂いがした。量が多かったので、一応がばっと飛び込んでおいた。初めてホテルの部屋に入った時にベットに飛び込むみたいに。暖かいけどむなしい気持ちになった。

外に出ている時も、「今洗濯物散らばってるんだよな~」とか思いながら歩くのは不思議な気分だった。もちろん全部畳まれてたらドン引きなんだけど、それはそうとして不思議な気分だった。すぐにお弁当を買って、家に帰って、洗濯物を背にご飯を食べた。

洗濯物を畳む、みたいな、いわゆる「家事」とされるものは慣れれば無心になれるから、生活に必要なんだと思う。家事をする時間を一日の内に取り込むことで、その時間は何も考えないで頭の中が整理される。家事をすれば精神が安定すると聞いたことがある。時々思いついたようにラジオを聴きながら部屋の掃除をするときほど、しがらみを忘れられる時間はない。友達が「気分落ち込んでるなら、めっちゃ凝った料理作りな」とアドバイスしてきてくれたのを思い出した。残念ながら料理が鬼のようにできないのでそれは丁重に断ったけれど、めっちゃ有効だろうな、とも思った。料理は出来ないけどね。

最近また掲げていた目標を忘れたように、兎にも角にも人に話しかけて喜んでいる。「人と話すの楽しい~」なんて気持ちみんな抱えてるんだろうか。でも楽しいもんは楽しいから今だけは後のことを忘れて楽しんでいる。今まで連絡もしてない人にDMを送ったり、ずっと連絡を取り合っている友達にLINEを送ったりした。たのし~、って声に出して言ってた気がする。noteを書いているから世界と繋がっているので、頑張れる。ただ、noteを更新し始めると明らかになにも見れなくて、やっとさっき本をちょっとだけ読みました。映画もアニメもドラマも一週間ぐらい何も見ていません。見たいな。でもまあいいか今は。

今日は下北沢に行って買いたい本を買って演劇を見て帰ります。ではな。

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