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夏が終わった瞬間の僕といえば

 米津玄師が「季節の中で夏だけが終わる」と言っていた、とコメント欄か何かで見ました。春も秋も冬も、始まりはするけれど終わりはしません。夏だけが「終わる」という感覚がする、という話です。

 高校2年生の時の文化祭に後夜祭という部門がありました。中高一貫の学校だったので中学生と高校生が入り乱れた文化祭だったのですが、それぞれのクラスの展示が終了した後に、高校生だけが集まるのが後夜祭でした。

 校庭に集まり、出し物みたいなのが少しあった後に、簡単な花火をする流れ。僕は放送部に所属しており、スピーカーなどの準備に奔走していました。それはもうありとあらゆる事務作業をしつつ、設営をしつつ、イベントが順調に進行するように動き回っていました。

 いざ、花火が始まるという時間。音楽に合わせて花火をあげる予定だったのですが、少しタイミングをずらしてしまって、音が少しズレているまま、打ち上がり始めるという状況に陥ってしまいました。

 しかし、そんなことでは止められもしないので、しょうがなく音が校庭の端から端までちゃんと聞こえるかどうか、改めて走り始めることにしました。

 校庭に並ぶ後輩や先輩、同輩達がみんな同じ方向を向いていて、少しだけまだ暑くて、昼の展示の時に得た疲れがまだ身体に残っているけれど、花火を見るのに夢中な顔が並んでいました。花火自体はすごい規模が小さくて、期待外れな部分があるものだし、音ズレの影響もあって、「綺麗……」みたいな顔でもなくて、夢見心地と現実感の中間に位置したような表情をよく覚えています。

 ようやく校庭の端にたどり着いて、花火の音は聞こえるけれど、音は小さくて、「戻ったら音量少し上げなくちゃな」とか思って、パッと振り返った瞬間目の前に色んな人たちがいて、コスプレを着た人とか、いつもの制服な人とか、少しだけいつもより髪を可愛く結んでいる人とか、何故か上裸の人とか、みんな中間の顔で花火を見ていて、少しだけ汗がベタついて、まだ長袖は無理ぐらいは暑くて、それを見た時に「夏が終わったな」と思ったのを覚えています。

 4月1日は社会が1つ歳をとる日で、それと同時に強制的に「冬が終わった日」でも「春が始まった日」でもあるような気がします。でもここから2週間とかそこらですかね、その間に「本当に冬が終わった日」があるかもしれません。

 野比のび太の先生は目が前についている理由を、前へ前へと進むためだ、と述べていましたが、「季節が終わることに気づくため」という理由もあるかもしれませんね。



なんとYouTubeチャンネルの概要欄と全く同じくです

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