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教室は間違うところだ的なあれですか?

小学生の頃の記憶が、楽しい記憶がまるでない。六年間あったにもかかわらず、本当に記憶がない。毎日誰と喋って時間を潰していたのか、給食の時に何を話していたのか、ペアを組んでくださいと言われたときに誰と組んでいたのか、どれも覚えていない。

大学の友達と何気なく喋っている時に、「幼馴染がさ」とか「地元の友達がさ」とか時々言われるとドキッとする。僕はてっきりそんな幼馴染とか地元の友達とかはフィクションの世界のものだとばかり思っていた。しかしどうやら、小さい時から付き合いのある友達がいる、というのは極めて普通の事であって、一人も居ない僕の方がちょっと変らしい。幼少のころから仲がいい友達が居て、その人と今でも付き合いがあったって、それは特段おかしいことはないのだ。

小学校の頃は本当に苦しかった。まだ何も分からないし、出来る事は何もないし、好きなことだって胸を張って言えるものが一つもなかった。よく考えたら、ひたすら陣内智則のコントを見ていたり、お父さんが借りてきたゴッドタンのDVDを見ていたり、お笑いが好きな子供だったんだろうと思うが、当時は「お笑いが好き」なんて言える程に自分の事が分かっていなかった。小さいころから絵本をたくさん黙って読んでいて、文章を読むのが好きな子供だったから、本が好きだったんだろうと思うが、「本が好き」と言えるほどに本に囚われているわけでもなかった。

運動もできないし、喋れもしないし、自分が目立っていいような人間だと思っていなかったし、何も考えないで遊ぶみたいなことが出来なくてずっと黙って考えていた。しかも、ずっと黙っておけばいいのに無駄に正義感が強いというか、「ダメなものはダメだ」という炎だけは抱えていて、時折爆発するようにクラスの上位カーストの人間に突っかかって、言葉で訴えようとしても伝わらなくて、わーーっと暴れてしまうような子供だった。

そういう子供だったから幼馴染とか地元の友達なんていない。当時の友達?が今の僕を見たらびっくりしちゃうと思う。イメージと変わっているだろうから。でもしばらくして「変わってねえな」とも思うだろう。今でも変なことに突っかかるのは変わらなくて、ただひたすらに言葉で訴え続けるようになっただけだ。やっていることは変わらない。

だから小学校の時は周りからちょっと距離を置かれていて、本当に「早くこれ終わらねえかな」とか思いながら毎日過ごしていた。「いじめられてる」とか親に言ってみたりしたけど、あれはいじめなんかじゃない。「変な奴扱い」だ。なんか鬱陶しい変な奴だったからしょうがない。とぼとぼ毎日一人で帰る日々だった。

ある日いつものように俯きながら歩いていたら目の前に同じ学年の男の集団が歩いていた。それとは離れたくて、ゆっくりと相も変わらずに下を向きながら歩いてたら、その様子を母親に見られた。母親は近寄ってきて僕に声をかけ「どうして一人で帰ってるの?みんなと一緒に帰ればいいじゃん」と言ってきた。母親に一人でいることを見られた恥ずかしさと、そんなことは出来ないという焦りでパニックになり、「みんなが嫌なんだ」とは言えず、「静かな方がさ、一人の方がさ、好きなんだよね、一人の方が」とよく分からないような言い訳をした。あの時から未だに変わっていない節がある。

そんな風に、よく分からないことを黙って考え続けているような僕だったから、無性に腹が立つようなことが多くあった。大半は時の流れで忘れてしまったけど、未だに覚えていることがある。

「教室は間違うところだ」という詩がある。これは同世代にとってどれくらい共通認識か分からないのだけど、僕は小学校の時にひたすら教えられた。この詩は、教室は間違うところであって兎にも角にも思ったことはどんどん言うと良いよ、みたいな内容だった。発言を怖がるのではなく、意見は等しく貴重なものだから、とりあえず手を挙げてみようよ、という促しだ。僕の小学校では本当に馬鹿みたいに、浴びるようにこれを教えられた。

確かに合っている。合ってはいるんだけど、僕はこの詩がものすごく嫌いだった。「教室は間違うところだよ?」みたいな感じが偽善たっぷりで、まるで話の通じない、俗らしさをひた隠しにするような感じが溢れていて、大嫌いだった。詩のリズムというか、そういうのがものすごく身体に合わなくて、聞くたびに不快感でいっぱいになった。擬音やら比喩表現がとにかく腹が立って、非常に嫌だった。極めつけで嫌だったのが、この詩の最後の部分。

「おらあ根性まげねえだ そんな教室作ろうやあ」

訛ってなかっただろお前さっきまで!!!!なんだよ!!!お前一人称「おらあ」だったのかよ!!!!!これを読むと今でも腹が立つ。もちろんこの詩の言いたいことっていうのは正しい。凄い正しい。先生が一方的にしゃべっているだけではダメだ、と教えることは大切だし、どんどん発言することも大切だ。でも本当に嫌だった。最初から最後まで偽善であるように思えて、嫌なのだ。

そんな嫌いな詩を僕の学校ではなぜか暗唱しなくてはいけないという課題があった。本当に嫌だった。僕の記憶の中に「なんでこんなこと……」と不快感でいっぱいになりながら繰り返し繰り返し口ずさんでいた覚えがある。響いてもいない詩を覚えなくてはいけないことほど億劫なことはない。でも理想の児童像から離れられない僕はどうしても真面目に取り組んでしまった。すっごい嫌だったのに、真面目に取り組んでしまった。

ある帰り道、一人で地面だけを見ながらとぼとぼと「教室は間違うところだ」とか言いながら歩いている時に、「俺の人生はこんなもんじゃない」と確かに思った。絶対にこんなクソみたいなことをしなくちゃいけないわけがない、と心の底から思った。その時にもうこの地元のコミュニティに居続けるのは嫌だと思って中学受験することを決めた。

そんな「教室は間違うところだ」だが、小学校の先生の中にこの「教室は間違うところだ」がめちゃくちゃ大好きな先生が居た。担任だった。本当に嫌いだった。子供ながらに「お前は何もわかっていない」と心の底からキレていた。いちいち引っかかる物言いで、一つぐらい響くことを言ってみろ、とキレていた。「教室は間違うところだ、はい大きな声で」じゃねえんだよ、と思っていた。

ある時外に出て植物について実際に見て勉強するみたいな時間の時に、その先生が説明をしようと、道端に生えていた花を指さした。「これ見える?」と声をかけたが人数が多く、後ろの子は見れていなかった。「困ったなあ」とか先生は言っていて、僕はどうするんだろうと思っていた。すると先生は「ごめんなさい、勉強の為です」と言いながら花に向かって手を合わせて礼をした。そしてその花を引っこ抜いて花の説明を始めた。

それを見た時に、「偽善だ」と思った。「命は大切に、花も命だから」みたいな思想から、手を合わせて礼をしたのだろうけど、この人は本当に「命は大切に」みたいなことは絶対に思っていないと確信できた。教育者だから、とか曖昧な理由で表面上だけで「ごめんなさい」と言っただけで、偽善極まりないと感じた。

その後の授業で再び「教室は間違うところだ」とその先生が言っていて、「先生はうそつきです」とか言ってやろうかと思った。でもそんな事言えない。やっぱり先生もこの詩も嘘つきだと思いながらも、そんな事声に出したら異常者だと思われると恐れてずっと黙っていた。結局黙ったまま卒業して、誰も友達が居ないまま地元のコミュニティから外れた。

小学校の時はつまらなかったし、嫌だったし、何も楽しいことが無かった。最後の最後まで全員と仲良くできなくて、全員から変な奴扱いされていた。女子からいきなり「お前のことだけは絶対に好きにならないってみんなが言ってる」と言われて、衝撃だった。未だにその言葉のせいで、時々目の前にいる女友達に裏で罰ゲーム扱いされている様子を思い浮かべて死にそうになる。そんな罰ゲームないですよね。

この時の劣等感のおかげで今の自分があるんだろうとは思う。けどそれにしたって嫌な事ばっかりで、出来るなら誰かあの時の俺を肯定してくれ、と思っていた。誰か一人ぐらい同じ思いの奴いるだろうと仲間を求めていた。小学校の時には、周りにはそんな人は見つからなかった。年月が経ち、一人それを思いっきり肯定してくれた人が居た。

「ちょっと待って、みんな違ってみんな良い的なあれですか?あれ俺fuckだと思うんだわ」

と客席に向かって声を荒げていた呂布カルマだ。僕の中で「みんな違ってみんな良い」が脳内で「教室は間違うところだ」に変換されて、衝撃を喰らった。そんなこと言っちゃダメなんじゃないか、と真面目ぶってきた小学生だった僕は消し飛ばされた。呂布カルマはそのまま「みんな違うのは当然、だけどやっぱり良い悪いあるよ、優劣はつけるべきだろ」と対戦相手に放っていた。呂布カルマが僕の沸々とした反骨心を肯定してくれた。

小学校の頃は嫌な思い出だし、同窓会にはいかなかったし、校門の前で成人式の日待ち合わせよう、という約束は覚えていたけど無視した。当時の「教室は間違うところだ大好き先生」の事を思い出すたびに僕は脳内で中指を立てて声を荒げている。

「教室は間違うところだ的なあれですか、あれ俺fuckだと思うんだわ」

脳内でぐらい、fuckって中指立てながら言ってもいいよな。

今じゃ肯定してくれる人に沢山出会ってます。サムネの人もね。

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