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実在?非実在?神さまのパラドックスを解き明かす!

第一巻第二話 主の物語の栄光

スータウグラシュラヴァスは語る。
聖仙ヴィヤーサは、息子シュカがまだ聖紐式(ウパナヤナ)を終えず、社会的、宗教的義務も果たしていないのに、世捨て人として生きようとする姿に動揺し、「息子よ!」と叫んだ。しかし、その呼びかけに応えたのは、シュカの存在に満たされた森の木々だった。宇宙の大霊(大いなる意識,ブラフマン)と一体となり、すべての心に宿る神のような聖仙シュカに拝礼します。
シュカは人々への慈悲心からこのプラーナを語り、私は心からヴィヤーサの息子に帰依します。

バーガヴァタを朗読しようとする時、神のような聖仙たち、ナーラーヤナとナラ(ヴィシュヌ神と理想的な人間の象徴)、最高者クリシュナ、女神サラスワティー(言葉の女神)、そして聖仙ヴィヤーサに礼を捧げます。
あなた達がクリシュナに関する質問をすることは、全人類の幸福に貢献し、人間としての最高の義務を果たします。質問によって揺るぎない信仰が生まれ、神を悟り、本来の目的を達成することができます。
バクティ(信愛)によってクリシュナに接すれば、直ちにヴァイラーギャ(離欲)が得られ、それがジュニヤーナ(知識)へとつながります。ダルマ(正しい生き方,義務)を行うことは財産を得るためではなく、罪の赦しや至福を得るために行うべきものです。

感官を満足させることはカーマ(欲望)の目的ではなく、魂と身体を調和させることが感覚的喜びの唯一の正しい使い方です。この調和は、敬虔な行為を通じて神理を探求するためにあり、決して天国に行くこと(欲望の満足)を目的としてはなりません。
神理を知る者は、知識(ジュニヤーナ)こそが実在であると知り、それは、ブラフマン(絶対的存在)、パラマートマ(至上の大霊)、バガヴァーン(神)などの名で呼ばれるものです。そしてこれらが、心の中のアートマン(真我,普遍の自己)と同じであると悟ります。
深く学んだ者は瞑想という剣で、強固なカルマ(因果)の結び目を断つことが出来ます。これを知っていて、主の物語を聞かない者がいるでしょうか?

クリシュナは正しい者には分け隔てなく友となり、物語を聞く者の心に住み、悪しき心を断ち切ってくれます。主の信者に仕え、毎日バーガヴァタを学び続けるなら、やがてクリシュナへの永遠のバクティが芽生えるでしょう。
すると、心からラジャスやタマスに根ざした欲望や貪欲が消え、サットヴァに確立し浄化されます。
バクティによってこの世への執着が除かれると、心は喜びに満たされ、その結果として神の言葉を悟るようになります。
人が自分の心に神を見るとき、無知の結び目は断ち切られ、すべての疑いが消え、カルマは完全に清算されます。

サットヴァ、ラジャス、タマスはプラクリティ(根本原質,物質原理)の三つの属性で、宇宙の維持、発生、破壊を司るために、最高者がそれぞれ身に帯びて、ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァという姿になります。人間における最高の善は、サットヴァ(純質)にて姿を成すヴィシュヌから得られます。ラジャス(激質)はタマス(暗質,無知の要素)よりも優れていますが、サットヴァはさらに優れており、人はこれによって神を悟ることができます。
かつて聖者たちは解脱を求め、サットヴァの化身であるヴィシュヌ神のみを崇拝しました。解放を願う者は優しい姿のナーラーヤナ(ヴィシュヌ)やその部分的な顕現を崇拝し、バイラヴァ(シヴァの恐ろしい側面)には関わらず、財産や権力、子孫を望む者はプラジャーパティ(創造主,ブラフマー)を崇めます。
ヴェーダは、すべてがヴァースデーヴァ(クリシュナ)を究極的な目的として論じています。供儀はヴァースデーヴァを得るための手段であり、ヨーガはヴァースデーヴァとの繋がりを築くために行われます。祭式はヴァースデーヴァに捧げるものであり、智慧は彼を最高の存在として理解するための道です。苦行はヴァースデーヴァを目標として行われ、ダルマは彼を悟るための教えです。そして全ての運命は、最終的にヴァースデーヴァに帰結するのです。
主はプラクリティとトリグナ(三つの属性)を超越しつつも、創造の始めにトリグナから生じたマーヤー(幻想)を用いて宇宙を創造しました。さらに、主は知覚できる実在であり、同時に知覚できない非実在でもあります。

主はマーヤーにより生じたトリグナ(サットヴァ,ラジャス,タマス)の中に入り、あたかもそれを所有しているように見えますが、実際には純粋な意識そのものです。
主は、トリグナから生まれ形を成した要素(微細な要素,感官,心など)で創られた多様な身体に、その魂として宿り、感官を通じて世界を享受します。
このように様々な世界を創って、様々な存在として降誕し、ご自身のサットヴァの力で全ての存在を保護しています。

※※※
ひとりの神様に何通りもの名前があって、思わず「もう覚えきれないよ!」ってため息が出るけど、実はその名前、神様のいろんな力を表現しているらしい。なるほどね、パワーが多すぎて名前が追いつかないってわけか。ヴィシュヌに至っては、千の名前があるらしいよ。
話がどんどん面白くなってきたところで、「魂」って単語が登場して、あれ?ちょっと混乱。なんだか深刻な感じになってきた?
この「魂」は、どうやらジーヴァートマン(個別の魂)って言うらしく、個々の身体に住み着いて、カルマっていう宇宙のルールを背負いながら、生まれ変わりを繰り返す自己(アートマン)らしい。
「ああ、なるほどね。輪廻するタフな魂ってことか」
一方、日本風の「魂」とくれば、もっと親しみやすい。命や精神の本質、古来の霊魂観、さらには武士道で語られる「魂」まで。自然のすべてに宿るアニミズム的な魂もあって、まさに「魂」のフルコース!

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