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好かれようとする人と、嫌われないようにする人の心理的な違いについて。

世の中には、

好かれようとして
嫌われる人と


反対に
嫌われないようにして
嫌われてしまう人がいる。


そして
好かれようとしてないのに
好かれてしまう人


嫌われてもいいやと思っていても
なぜか好かれてしまう人もいる。

好かれようとして
嫌われる人は

好かれようとして
いい人になろうとする。

好かれようとして
こうやったら好かれるんじゃないか

こうやったら
受け入れてもらえるんじゃないかと


本来の自分とは違う
「こうやったら
好かれるんじゃいないかな」という
謎の理想像を掲げて
好かれようとする

いい人になろうとして
自分とは別人を目指す。

好かれようとして
相手に迎合しようとする。


だから
好かれない。


せいぜい
いい人。で終わる。


そして
好かれようとして
謎の理想像の領域が
大きくなり
度を超すと


今度は
その
実際の自分と
理想の自分のギャップが
うさんくささを醸し出して
嫌われる。


そんなパターン。




一方
嫌われないようにして
嫌われる人は


嫌われないように
自分の個性を削って


相手に受け入れられるように
まるくなろうとする。

無難になろうとする。


嫌われないように
本来、いびつな自分…


長所や短所や
好き嫌いや
趣味嗜好

自分が思うこと
自分の特徴
自分のクセ
自分の性質


自分の個性を
どんどんどんどん削りとり


無味無臭の
存在が空気のような
トウメイニンゲン。を目指す。


攻撃されないように
自分のありとあらゆるものを
無くそうとする。


そして
いてもいなくても
どうでもいい人になる。


いてもいなくても
どうでもいい人になろうとして
それが度を越すと


無味無臭の
味気ない存在が
ロボットのような人


無機質さを醸し出して


そのニンゲンらしからぬ存在ゆえに
敬遠され
嫌われる。


好かれようとして
嫌われる人は
好かれようと
自分とは違う何かをプラスして
自分を盛って嫌われる
自分プラス型。


嫌われないようにして
嫌われてしまう人は
自分を削り取ってマイナスして
自分を無くして嫌われる
自分マイナス型。


どっちも
自分を加工するから
嫌われてしまう
遠ざけられてしまうのだ。




…で。



好かれようとしてないのに
好かれてしまう人


嫌われてもいいやと思っていても
なぜか好かれてしまう人は

好かれようとして
好かれるようなことはやらないし


嫌われないようにして
嫌われないようにしない


好かれようが好かれまいが
どっでもいい


嫌われても
別に構わない。


なぜなら
好かれようとして
好きになってくれる人は
少なからずいるし

好かれようと無理して
好かれた相手とつきあっても
自分が辛いだけだと知っているから。



嫌われてもいいやと思っていても

自分のことを嫌いになる人もいれば
嫌いにならない人もいることを
知っているから。




人から嫌われるって
決して
嬉しいことではないけれど

別にだからといって
嫌われないようにしても

それは相手の問題だから
自分側ではどうしようもないと
知っているから。



自分は自分。
人は人。



相手に好かれようと
好かれまいと

嫌われようと
嫌われまいと


自分は自分。



それ以上もそれ以下でもない。



自分は自分。
そう思えた時

自分であることを
受け入れている人は

自然に好かれる。


かりに
たとえ自分のことを
嫌いになる人がいても

自分は自分。
自分のことを受け入れているから
嫌われたって
自分の存在をおびやかされることもなければ
自分の存在が消えることもない。 

自分は自分。
自分軸で生きているから
人の好き嫌いに振り回されることもない。




自分は自分。 


それ以上でもそれ以下でもない自分。

ありのままの自分。


それだけ。



自分が自分を認め
ゆるし
受け入れ
まるごと愛して肯定していれば


好かれようが
嫌われようが


どっちだっていいし
どっちでも気にならなくなる。



だから
人に好かれよう
人に嫌われないようにと
自分を加工するんじゃなく


自分が自分を認め
ゆるし
受け入れ
まるごと愛して肯定しよう。

 

あなたはあなたであればいい。

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