<さる>人生における「書く」こと。

「書く」ことに助けられてきた。
「助けられてきた」という書き方をすると、どうにも暗そうなイメージがあるかもしれないけれども、そうではなくて。

大学受験では、早々に理系科目を切り捨てて、歴史や古文にも手を付けず、「英語と現代文だけでいいや」と考えていたら、案外それで受けられる大学も多くない。倫理や政経の可能性を探りつつも、インターネットもない当時では心許なく、「とりあえず」で選んでみたのが、小論文。
とはいえ、偏差値的にどの程度なのかもわからないので、Z会の全国模試を受けてみると、全国で7位だか9位だかの結果が出て、半信半疑ながらも「それならこっちの勉強はしなくていいのかな」とひと安心できた。あれはたしかに「助かった」。

大学時代は、特別「書く」ような出来事はないながら(当時の就活のエントリーシートを見ると、ただただ恥ずかしいレベル)、なんとか140人の人材系企業に滑り込む。
営業として2年とちょっと、「中の下」レベルの社員として働きつつ、先輩や上司はかわいがってくれてるけれど、当時の新入社員の可能性を感じて、「自分よりも新入社員に労力を割いてもらったほうが会社は成長できるはず」と、退職することを決めて上司に報告する。
その一週間後に制作部署への異動が決まり、「書く」仕事がスタートすると、あれよあれよと言う間に評価を得ることができて、いつのまにか社内トップのライターになっていた。
あの転機がなかったら、いまの自分はありえない。(この話は、いつか別のタイミングで書きたい)

会社を辞めて猿基地をひらき、学生の就活の相談にのる日々を重ねる中で、「毎回同じ話をするよりも、文章でまとめたものを読んでもらった上で話せたほうが、彼らに有用な時間になる」と、ブログを始めて、当時はほぼ毎日更新していた。
それをまとめた電子書籍を出し、そのアイデアをおもしろがってくれた出版社があって、まさかの出版に至り、そこから企業からの執筆やセミナーや顧問の仕事が舞い込みつつ、今に至る。


世間の作家やブロガーの発信を見ていると、彼らの多くが「昔から書くのが好きで」と言っていたりするのだけれど、ぼくはそうではなくて、ときに必要に求められて、ときにたまたまタイミングが合って、「書く」ことが自分の人生の転機になり、武器になっていた、という結果があるだけの話。

改めて振り返ってみると、この17年は、ぼくが「書く」ものの先にはいつも読者がいて、その読者にとっての価値をどう生み出すかについて考えるのが当たり前で、「その人」に「伝わる」ことこそが第一義。「自分」を「伝える」なんて、ましてや「書くのが楽しい」という感覚はそれほどなく(書き始めたら書き始めたで、没頭はする)、求められるから、仕事だから、その先の人たちに何かしらの役に立つために、書いてきたのがこれまでのこと。

そんな中で、ちょいと「自分」のことも書こうか、というのがこのnote。
うま氏とワシ氏との往復書簡という緩いテーマを掲げつつ、「読者」を気にせず、それぞれが好きなことを書き、たまにはお互い絡みつつ、思い思いの自分を書く。
これを誰が楽しんでくれるか、なんてことを考えてしまう時点で、やっぱり17年間に染み付いた癖はそう簡単に抜けないのだと感じつつ、これから<さる>として適当なことを書いていく。


こうやって書き始めてしまえば、やはりどうにも長々と書いてしまうのだけれど、個人的な裏テーマとして、「文体を耕す」というイメージで書いていきたい。
ブログも本も、いただくお仕事も、読者に「伝わる」ことを目的とすると、そこはどうにも文体が固着化固定化していくので、あえてそこから離れて、慣れた文体を極力使わずに、新しい文体を目指して畑を耕していこう、と。
ま、そうは言いつつ、従来の文体で書いたりもするのだろうし、回によって違うので人格破綻者に見えることもあるかもしれないけれども。

読者のメリットも、アクセス数も、恥も外聞も気にせず、週一くらいで書いていきます。

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