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メンタルの弱い人を狙い撃ちにするゴー宣界隈

小林よしのりのブロマガの記事について疑念を覚えた私は一つの仮説を立て、そのことをアメブロに書いた。
しかし、その記事は小林よしのりを名指しせず、いわゆる「特定個人の実名は避け、一般論として」触れただけのものである。
それさえ許されないというのならば、言論の試合は出来ないので、公論は不可能ということになってしまう。

「特定個人の実名は避け、一般論として触れても、自分に当て嵌まっていたら傷つくというのなら、道場の試合はできない。弱者集団には公論は不可能となってしまう。」

さて、私の立てた仮説とは以下の通りである。

「プロの物書きが、ネット記事を丸写しして最後にチロッと愚にもつかない自説を書いた文章で購読料を徴収するという浅ましい商売をしているのを最近よく目にします。ああいうことをやり始めたらもう作家としてはおしまいですよね。
せめて引用元を明記するなり、リンクを貼るなりしなくちゃいけないと思うのですが、それすらせずに語尾や接続詞を変え、元の記事を多少いじくっただけでは、そりゃほぼ記事の盗用だろうと思うのですが、私などとは倫理観が違うのでしょうか、恬として恥じず得意顔です。おそらくオオヤケに資するという大義があれば何をしても許されるとお思いなのでしょう。」


「公論おじさんったらば、スタッフをゴーストにしていることを読者が薄々気づき始めたことを察知したのか、先回りして、自分の連載をスタッフに代筆させることを公言しました。それをもって誠実な態度であると思うのは問題です。
その記事が通常の雑誌で連載しているのならば、買う買わないは読者に委ねられていますから問題はありません。しかし件の連載はメールマガジン(ブロマガ)で配信しているもので、会員になって定期購読していた場合、有無を言わさず月額購読料が引き落とされてしまうのです。
作家本人の作品が読みたくて定期購読したにも関わらず、海のものとも山のものとも分からない何も成し遂げたこともないどこの馬の骨とも分からないスットコドッコイに過ぎないスタッフの駄文が送信されてくる。作家の作品であるからこそ対価を払っている読者を愚弄していると言わざるを得ません。」

当時の幹部門弟の証言

この私のささやかな仮説について、小林よしのりはゴー宣道場幹部門弟に「かなり粘着質につきまとって批判している」と説明していた。
名もない一般人が個人ブログで推論を立てることのどこのあたりが「つきまとい」に該当するのか?

私のこの疑念が許せないと言うのならば、反論して撃破してみせれば良いだけだろう。
それこそ得意のエアリプでも良い。

「最近、ライジングのわしの連載について言いがかりをつけてくる者がいるらしい。
なんでもゴー宣の文章をトッキーが書いているなどと主張しているというのだ。
ふざけるな! わしが死に物狂いで考え抜いた作品をプロにもなれなかったアシスタント風情の根暗オタクが代筆しているなどありえない!
そんな侮辱があるだろうか?
ゴー宣はわしの作品であり、他の誰にも真似できるものではない。
あんな気持ちの悪い挙動不審なオタクごときと同列に扱われて大変に不快だ!」

こちらの疑念を否定するならば、このように反応するのもアリだったろうし、あっさりと認めてしまう手だってあった筈だろう。

「とんでもない世間知らずがいるらしい。
ライジングのわしの記事を時浦君が書いていることについて、殊更悪いことのように喧伝しているというのだ。そんなことは他の作家や学者もみんなやっていることである。
弟子の書いた論文を師匠がチェックして、師匠の名義で発表するなんてこの世界では当たり前の話である。
出版界の常識も知らない素人はこれだから困る。」

いっそこのように書いてしまえば、それで事足りることだった。その程度の些細なツッコミ(疑念)だったわけだが、小林よしのりは反論するでも認めてしまうでもなく、仕返しのつもりか、ネットの生放送でありもしないデマで誹謗中傷したのだ。

その配信は有料会員限定であったが、その内容の大筋は元門弟のコメント投稿などで私の知るところとなった。
私はその事実に驚かされたのと同時に、これまでの違和感がサッと晴れてゆくのを感じた。
すべてのパズルのピースが合ってゆくという感じか。
メーリングリストで迷走しているように見えたshinkimuさんが何故あそこまで思い悩んだ投稿を繰り返していたのかやっと理解出来たし、よしりん企画の仕事場に乗り込んできたという理由でメーリングリスト内で回状を回すように顔写真と個人情報が晒されていた元門弟の事案などへの違和感が解消された。
そして、小林よしのりとよしりん企画の悪質さに嫌悪感はいや増した。
私自身はその程度でさほどショックは受けなかったが、問題は私の妻である。
私の妻ついてゴー宣道場サイドはどのように認識していたのか、それについては先ほどの幹部門弟のLINEを見てみればよく分かる。

「精神的に弱い人だとわかっている」
「メンタル弱い人」
そのような人がネット配信でデマを流され中傷されたらどうなるのか、最悪のケースさえ想像するのは難しいことではないのではないか?
それを分かった上で、小林よしのりと泉美木蘭、そしてよしりん企画の連中は妻を狙い撃ちしたのだ。
「男の方は鋼のメンタルらしいから叩いたところで、それをネタにしてしまう恐れがある。だったら気弱な妻の方を狙えばいい」と、そう考えたわけである。
実際、その効果はてきめんであり、妻は激しく動揺し、唯一付き合いが続いている道場門弟にLINEを送って事実確認をしては深く落ち込み、実際に生放送でどのように話していたのかと狼狽し続け、次第に憔悴していった。
ある意味で小林よしのりの狙い通りだったわけだ。

しかし、これによって私が沈黙すると何故思ったのか。馬鹿なのか?
私はすぐに以下のブログをあげた。

「当ブログに書き連ねた批判や疑義に対する反論は一切なく、ただただ私への人格攻撃に終始していたそうです。
一応は著名な作家先生なのですから、さすがに何者でもない私個人を名指しして罵倒するなどありえない話です。ですから、私はにわかには信じられませんでしたが、提供された情報を精査した結果、どうやらマジらしいのです。
反対意見に対しては人格攻撃で応じるという情けない行動が常套手段となっていることに大笑いさせてもらいました。しかしまさか事実無根をでっち上げてまで批判者を叩くとは思いませんでした。
私はただ呆れて馬鹿笑いをあげていましたが、それを知った妻は言葉を失いました。
私は何を言われても平気な顔をしてヘラヘラ笑っていられますが、妻への中傷はやめていただきたい。そもそも妻は何一つ批判めいたことは言っていません。
まさか夫の罪は妻の罪、犯罪者の一族郎党はすべて同罪の村八分にすべきであると公論村の村長さんはお考えなのでしょうか?
同罪ゆえにありもしない醜聞を作り上げて生きていかれないようにしてやろうというのでしょうか。鬼畜、ここに極まれりです。」

ここから私は本腰を入れて小林よしのり及びゴー宣道場への批判を開始した。
そもそも私は小林よしのりのアンチではないし、もはや興味すら失っていた。
しかし妻をデマで中傷されて黙って泣き寝入りするわけにはいかないだろう。
私が今も批判ブログを続け、またゆっくり解説の動画を配信しているのも、ここに端を発している。
小林よしのりは未だにデマで中傷したことに対して謝罪どころか弁解もせずに姑息に逃げ回っている。
しまいにはシンパをけしかけ、こちらの口封じをしようと画策する始末である。
それゆえに私はこのようなことを続けざるを得ないのである。
いい加減に早く認めて、私をこの状況から解放して欲しいものである。切に願う。

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