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第1話 ふわとろ親子丼を誂えた午後

みりん、料理酒、砂糖、醤油、それらを目分量で小鍋に入れる動作は最早無意識。
台所に立った時点で最早無意識。
そもそも意識とはなんぞや。
自我とはなんぞや。
脾臓林ゴン太君は沸々と煮え立つ鍋の中を凝視しながら、そのような思念に捉われ、宇宙に思いを馳せていた。
その時の彼は確かに宇宙意識と繋がっていたという。
俎には鶏肉と庖丁。
彼の脳では宇宙が膨張。
菜箸で解く鶏卵の揺らめきはあたかも彼自身の心象の如しであった。
その鶏卵と俎の上の鶏腿肉に血縁関係はないのであるが、血統血縁にこだわるなど前近代的な因習から解放されるべきであると常日頃から主張している脾臓林ゴン太君は叫ぶ。

「このニワトリとこのタマゴは親子だ。あゝ確かに血の繋がりはないさ。あゝ産地とてまるで別々さ。しかし彼らは我が家で出会い、共に同じ冷蔵庫に収納された時点で家族になったのだ。極めて進歩的な新しい家族の形さ。このように同じ鍋の中で調理されることで家族共同体の成員となる仕儀なのさ」

強く握りしめた拳で俎を叩く。

「断じて血に拘ることなかれ」

そうおめき、ドンブリを高々と掲げた顔は恍惚とし、瞳が濡れている。
僕は内心では呆れながら、供された親子丼に箸をつける。

ニワトリの屍肉の破片と孵化することが叶わなかった生命体の成れの果てが織り成す魅惑のハーモニーが僕の口の中に広がり、自然笑みがこぼれる。
しかし、昼間の肉谷ジャガ夫との電話でのやり取りを思い返すと、顔から笑みが消え、眉間に地割れの如き深い皺が刻まれ、匂い立つ胃酸が込み上げ、室内の空調の音が聞こえなくなるほどの耳鳴りに襲われる。
通話を終えたあと全身がわなわなと震えて暫く収まらず、僕はたまらず部屋の壁を殴りつけた。
それを黙って見ていた脾臓林ゴン太君がまるで思い立ったかのようにケージの中で飼育していたニワトリのピースケを調理場に連行し、まるで雑巾を絞るように首をひねり、こちらに向かって、「家族のように暮らしてきたピースケを共に召し上がろうぜ」と言った。

脾臓林ゴン太君が台所で卵を溶いている頃、僕を激怒させた肉谷ジャガ夫は小学校の校庭に一人立ち尽くしていた。
空が豚の鮮血のように真っ赤に染まった放課後、猿ゴリラチンパンジーとボギー大佐の替え歌を無邪気に口ずさんでいたあの頃に出会った彼女のことを思い返していた。
そんな彼女も今や白木の箱の中にいる。
これは追想か妄想か、亀虫色のランドセルを背負った彼女が振り返って、肉谷ジャガ夫に手招きしている。
まるで干し柿のようなあざ黒く節くれ立った肉谷ジャガ夫の右手が彼女に追いすがる。

彼女は肉谷ジャガ夫の右手を青竜刀で切り落とし、笑いながら語り始める。

心に余裕がある時とない時を比べると同じ作業をしていても処理スピードに圧倒的な差がつくことがあります。
冷静になれば何てこともない問題であるにも関わらず、まとまって一気に降りかかってくると、「アレもコレもやんなきゃ」と自分でプレッシャーをかけて自滅してしまうことがよくあります。
そのようなことを繰り返す内に心身が疲弊してしまい、自分が受け入れられる器自体小さいんだと思い込んで元気を失ってしまいがちです。
その思い込みが強くなると、正しく実体を把握することが難しくなります。
そのような状態に陥らない為には、「考えたこと、思ったことを記録する」のが良いのだそうです。
長文だと記録をつけること自体が面倒になり、書かなくなってしまうので、自分に負荷をかけない程度の一言二言で良いそうです。
その記録を読み返すことで、自分の行動を認識して修正してゆく手がかりになるようです。
普段、自分がどこで躓いてしまっているのかを改めて考え直していこうと思います。

彼女はそう一気にまくし立て、右腕から鮮血をほとばしらせ蹲っている肉谷ジャガ夫の頭蓋を足蹴にし、校庭を笑いながら全力疾走で一周したかと思ったら、ポンっと音を立てて爆発した。
彼女の臓腑が真っ赤に染まった夕景に溶け込み、それはまるで攪拌された卵のように見えた。

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