ADHDと生きてきて(中学生編)

小学生編の続きになります。↓こちらからどうぞ↓今回は内容がうっっっすいです。




自分がADHDだと知ったキッカケ

 中学1年生のクリスマス。サンタさんからのプレゼントという体で親からPSPをもらった。当時の周りの空気感として、DSは子供向けで、PSPは大人向けなんて感じだったので、ちょっと大人な気になって嬉しかったのをよく覚えている。そして人生を左右したのがインターネットとの接点を持ったことだった。一通りゲームを満喫し、様々な機能に興奮し、恐る恐る飲んでいた薬の名前を検索してしまった。
なぜ好奇心に負けて調べてしまったのかを今でも後悔することがある。

検索結果の多くがADHDについてだった。
親が私から遠ざけたかったものの正体だった。
あぁ、そうか、自分は障害者なのか。私の今まで思うままに楽しく過ごしていたのは障害のせいだったんだ。私の意志じゃなく障害の意志で生きてきたんだ。
 思春期なら多くの人が陥るアイデンティティクライシスのもっともらしい理由付けには十分すぎる内容で、何より親に隠されていたという事実がどうしても受け入れられなかった。そこからの中学校での生活はほとんど覚えていない。

葛藤と混乱

 自身がADHDと知り、インターネットの記事を読み漁ると良いことも悪いことも色々と書いてあり酷く混乱した。混乱する中で、自分を納得させるために“ADHDの自分”と“本当の自分”がひとつの身体にあるんだ。と素っ頓狂な考えに落ち着いた。効き目の分からない薬を止めて「薬を飲んでいない本当の自分を見つけよう」と突発的にすることもあれば「これを飲まないと知らないうちに色んな人に迷惑をかけてるんじゃないか」とまた飲んでみたりと、酷かった。なので精神的に不安定で外にそれを発信できず、反抗期すらなく、不安や怒りを只々自分の内に閉じ込めてしまっていた。

中学校と居場所

 中学校の生活は、部活もしていたし友達も多くいたはずだがあんまり思い出せない(思い出したくない)。じゃあひたすらに暗い生活だったのかというとそうでもなかった。学校からの配布物、カバンの奥にくしゃくしゃになったチラシに興味を持ち、市のボランティア団体や地域の青少年活動をするようになった。そこではありのままの自分を受け入れられた事と、全く新しい環境で知り合いがいなかったのが功を奏してのびのびと活動ができた。ひたすらネガティブになってしまう自分が頑張れる、評価されて認めてもらえる場所ができたのが大きな救いになったのは確かだ。

進路と卒業

 「どんなに卑屈に過ごしても、どんなに成績が悪くても、卒業させられるのが中学校だ。」1ばかりの通知表を挟んで担任は呆れたような困ったような顔で言った。そう、あっという間に3年生の終盤。今時中卒で働くという選択肢はなく、通信制か定時制、専門系の学校に行くことを勧められた。
 父親が定時制出身なので、恐る恐る定時制に興味があると伝えると「お前には定時制に行く理由ないからダメだ」と一刀両断された。通信制も家という環境があまり好きじゃなかったので選択肢から消え、専門系の高校へ行くことを決めた。金ばかりかかる学校に進学させてくれたのは今思えばありがたいと思う。結果としてその学校へ行けてかなり自分は前向きに生活をすることができたし、生きていく上での軸になっている。

次回(高校生編)


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