同和・カースト・人種差別と障害を持った子供達

こんにちは理事の畠山です。先週あった国際比較教育学会(CIES)の事を書こうと思ったら、取ったメモが驚くほどスカスカで使い物になりませんでした、発表に集中していたのでしょう苦笑。一応この記事の末尾に置いときます。

9月から博士課程も最終学年なので、そろそろ進路の事を真面目に考える時期ですが、学会発表の準備中に、博士号取得後に何をやるんだと昔の自分に肩を掴まれたような感覚に陥った事がありました。ゆるふわ日記の趣旨は親しみを持ってもらう事なので、おっさんでも進路に悩むんだぞ、というのを今回は吐露していこうと思います。

「肉の町」

今回のCIESもオンラインだったので、大してやる気もでず、YouTubeを見ながら統計ソフトを走らせていた所、某有名芸人が私に縁のある町を訪れていて、私と縁のある人もその動画に出てきて大層驚きました。

ただ、それ以上に驚いたのが、その町が動画内で肉の町と表現されていた点です。「肉の町 差別」でググると、品川区港区東京中央卸売市場のサイトが出てくると思います。ヒットするのが東京のサイトばかりなので驚きましたが、同和問題は東日本では西日本ほど見られない問題なので「肉の町」という表現が使われたのかなと思いますが、被差別部落や同和差別の知識がある程度ある人であれば、「肉の町」がほぼイコールで同和地区を意味する事を知っているので、この表現を使う事にやや躊躇したかもしれません。

「肉の町」が私と縁のあるものになったのは、サッカー狂&同和教育に熱心な教師だった父親によります。父はその町で中学教師をしつつ、その町にあるサッカー少年団でコーチをしていました。そして、私もそこに入団し、車で往復一時間かけて送り迎えをしてもらうようになりました。

練習場の横には、全く同じ小さな家がたくさん並び、そこに外国人が沢山住んでいたのが印象的でした。これが同和住宅と呼ばれる施策で、良かれと思って行った政策が思わぬネガティブな結果を引き起こした典型例である事を学んだのは大学に行ってからです。「途上国に絵本を送ってはいけないシンプルな理由」のような記事を読むと、別に善意でやっているんだからいいじゃん、畠山厳しくね?と思う方もいるかもしれませんが、私が最初にちゃんと学んだ社会福祉政策がこの有様だったのが、私の政策に対する厳しい眼差しの根底にあるんだろうなと思います。

動画に出てきた私と縁のある人は、元コーチです。父親に対してはサッカーに対して厳しい人というのが主な思い出なのですが、事あるごとに「あのコーチ/子は、同じ人間だ、そうだろ?」と問いかけてきた事もよく覚えています。障害を持つ父の教え子に会った時や、サッカー関係で外国人の方に会った時も、同じ事を言ってきたのもよく覚えています。ただ、小学生に同和差別を理解するのは難しく、その意味を理解し始めるのは、もっと後の事です。

初めて強く同和差別を意識したのは、父親の教え子が外の町と「肉の町」の間で結婚することになったものの、当事者の親戚どころか父母迄も挙式に参加せず、私の父親と母親が両親の代わりとして挙式に参加した時です。不思議に思い、「僕が同和地区の人と結婚したら、お父さんとお母さんは嫌?、お爺ちゃんやお祖母ちゃんは結婚式に出てくれる?」と何度か聞いたのは覚えています。

教育学で博士課程まで来たという後知恵からすると、僅か車で30分の距離に住む私と同じ少年団の友達の間には、教育の中の希望・期待という断絶が存在していました。私は出自がやや特殊なので、父と母は普通の子供として育ててくれましたが、祖父は初孫が生まれた時に絵馬に「東大に入学しますように」と書いたように東京大学に行くのも殊更に特殊な家庭というわけではなかったですし、失敗をしてもレッテルを貼られたり米国のschool to prison pipelineにのるようなことは無く、学校の先生に「あなたは生まれてくる時代が違えば、この国の指導者だった(のでしっかりしなさい)」と言われるだけ&かばってもらった事が何度かあります。高2の時に父が教職を辞めてしまい、アルバイトをしながら東大一本で大学受験をしたので、平均的な東大生と比べれば厳しい環境ではありましたが、それでも少年団の友達と比べれば恵まれた甘くぬるい環境でした。

少年団の友人達はと言うと、確かに経済水準だけ見れば大きな差は無いのですが、勉強を頑張っても職業は決まっているのだから意味がない・勉強を頑張っても差別は乗り越えられない、何か問題を起こした時には同和地区の子だからというレッテルを貼られる、という学びに対する期待や希望が全然違う環境の中にいました。

上京する前に友人に、「お前は俺たちの希望だから、東京でも頑張れよ、もう喧嘩とかするなよ」と送り出されたのは今でも覚えています。

同和差別というのは私の根幹にある課題なのですが、日本を離れて13年経ちその記憶が薄れていく中で、「南アジア」の「障害児と教育」を「アメリカの大学」で研究し学会発表準備中に、Youtubeに当時の記憶を呼び起こされ、「お前、元々は同和差別に取り組みたかったのに、何をしているんだ?」と、昔の自分に問いかけられたような、不思議な感覚に陥りました。

輪廻転生

次に、なぜそのYoutubeを見ながら南アジアを研究していたのか話しましょう。

国内に留まっては同和を始めとする差別の問題を解消できるだけの知識も経験も付かないと思い、まずは国連職員として経験を積もうと、東京大学の国際関係学科を目指して文化三類に入学します。

ですが、友達の言葉が見事なフリとなり、クラスメイトと喧嘩して開始2週間で大学にまともに行かなくなりました。なので、大学生活最初の2年間で唯一印象に残っている授業は、インド哲学しかありません。人間の生死は昼夜と同じという輪廻転生が面白かったのもそうなのですが、(ITブームが起こる前の)現代インドではカーストによって結婚相手のみならず、居住区も決まり、さらには職も決まるので、低カーストの子供達にとって学ぶ意味が見いだせないという点に、同和差別と同じだ…と興味を惹かれました。

大学に行っていないので、必修の英語で不可、ドイツ語も可ばかりという有様で、国際関係学科には当然進学できず、文学部から国連職員にはなりづらいらしいという消去法で教育学部、その中で自分の持ち点で唯一進学できるのが教育史哲コース、というわけで大学生活後半の専攻が決まりました。

汐見稔幸先生の授業で、別のコースの1学年上の方が、ネパールの教育について話してくれて、ネパールという国の存在、そしてそこにもカースト差別があるというのを初めて認識しました。その先輩は、OECD諸国について扱った私の実に稚拙な発表にも建設的なアドバイスをくれて、優しいし、イケメンで、頭もよく、そしてそのお隣には少女漫画から飛び出てきたようなキャラクター(非の打ち所がない)の、ラオスの教育の研究をされている同級生の方がいて、この人は少年漫画の主人公のような人だなと思ったものですが、それから15年以上経った今では香港で仲良く暮らされて、サルタックというNGOの代表と理事をされているようです。

その後、開発コンサルタント会社でのインターンで偶然にもネパールの教育プロジェクトに関わり、日本ユニセフ協会さんのスタディツアーで大学を卒業した春休みに偶然にもネパールを訪れました。そして、進学した大学院にはネパール人の先輩がいました。勉強熱心で正義感が強く、頑固だけど面倒見も良い人で、私の修士論文も手伝ってもらいました。もちろん、日本に留学してくるような人なので、高カーストなのは間違いありません。なので、ネパールで調査をしている時に聞いてみた事があります。

「あなたは基礎教育の研究をしていますが、基礎教育が充実すると、低カーストや貧困層の人達が豊かになって、あなたの相対的な地位が下がることになりますが、あなたはバカなんですか?」、と。

そんなのは些細な事に過ぎないと笑い飛ばしたその姿に、この先輩が心変わりするまでは後ろをトコトコついて行ってみようと決意したのですが、その先輩はその後、今はその代表の座を離れましたがサルタックというNGOを設立し、引き続きユニセフの職員としてネパールの幼児教育の拡充のために今でも日夜奔走しているようです。特に心変わりの気配も無いので、私は今でもその後姿をトコトコと追いかけていますが、ダッシュで追いつくためにAmita Chudgar先生というインド出身の教育エコノミストの下で博士課程をやっています。

カースト差別と同和差別は全く異なるものだというのがひょっとすると学術的には正しいのかもしれませんが、少なくとも私の中では、カースト差別は同和差別と似たもので、そこから得られた知見をもっていつか同和差別に取り組むことができると考えています。

洗練された構造的差別

なぜ開発のメッカ英国でもなく、母国の日本でもない、米国の大学の寮で件のYoutubeを目にすることになったのか、お話します。

消去法で教育学部に進学したので、特に教育に興味があるわけではありませんでした。そして優秀な学生でもないので、議論になると自分でも何を言っているのかよく分からず、同じコースの一つ上の優秀な先輩がいつも、「君が言いたいことは、こういう事だよね」と通訳してくれていました。その先輩は、今ではサルタックというNGOの副代表をされているそうです。

そんな惨状でしたが、教育に興味を持つきっかけとなった授業がありました。それが一橋大学の中田康彦先生が東大で教えてくれた比較教育行財政です。その授業は、主にアメリカの教員給与制度を扱う授業だったのですが、授業を取っているのは私を入れて二人だけでした。疑問に思った事を都度質問し放題という環境であっただけでなく、中田先生は非常に教育熱心だったので、たかが学部生のレポートにもしっかり目を通してくれて、レポートの書き方や、このトピックであればこの論文を読むと良い、と懇切丁寧に手取り足取り教えてくれて、初めて勉強が面白いと思いました。米国の大学から考えると、国公立の授業料であんな教育を受けられるというのは、破格のディスカウントとして言いようがありません。いずれにせよ、今、私が現代ビジネスでアメリカの教育についてあれこれ書いているのは、トピック的にも日本語の書き方的にも中田先生のお陰なのですが、もちろん、何か不備があれば、それは全て私の至らなさによるものです。

こうして米国の教育に興味関心を持ったのですが、その中で気が付きました。米国の人種差別も、南アジアのカースト差別も、「肉の町」の同和差別も、似た性質を持つものの、やはり米国は世界一の大国だけあって、その差別の維持のされ方が非常に洗練されているという点に。

米国は国際教育協力への影響力も大きいので、ここはひとつ、アメリカの教育政策を学ぶことで、国際教育協力面でも、同和差別という面でも、示唆を得てみようか、というわけで米国の教育大学院へ進学しました。一連の記事を読んでもらえば、私がこれまでに国際教育協力・同和差別について米国の知見からどのような示唆を得ているのかその一端が見えるかなと思います。

障害が分からない

さて、なぜ私が件のYoutubeを見かけた時に障害児の教育を分析していたのか、です。

見るも無残な成績だったので、国際関係学科ではなく教育史哲コースへと進学することになったのは前述の通りです。中田先生や汐見先生の授業での学びは大きかったものの、依然としてここからどうやって国連職員として経験を積めるのかは分からないままでした。

転機となったのは、就活も佳境となった4年生前期の、早稲田大学の黒田一雄先生が東大で教えてくれた国際教育協力の授業です。この授業を受けて、国際教育協力という分野・教育分野から国連職員になる道がある・人的資本論という考え、を初めて学びました。ただ、それだけではなく、黒田先生は私がそれまで出会った大人の中で、イデオロギーや自分のためではなく、子供のために真剣になれる最初の大人だったので、カッコいいな、ああいう人間になりたいなとも思いました。

黒田先生にキャリアアドバイスを貰いたいなと思っていたのですが、それを切り出せずもじもじしていた所、同じ授業を取っていた同級生で今は上智大学で教鞭を執っている荻巣崇世先生が、黒田先生に一緒に話を聞きに行こうと誘ってくれて、大学前の喫茶店でランチをご一緒することが出来ました。

「あのー、僕も黒田先生のような人間になりたいのですが、どうすればよいですか?」

というふざけているとしか思えない質問にも、①博士号を取ると良い事、②一度は世界銀行を経験してみると良い事、③その後、ユニセフで活躍してみてはどうか、④神戸大学に元世界銀行職員の小川啓一先生がいるので、そこから世界銀行を目指してみるのはどうか、と黒田先生は懇切丁寧に助言をくれました。

荻巣先生を知っていて、ミシガン州立大学で博士号を取得されていることも知っている人であれば、東大⇒神戸大⇒世界銀行⇒ユニセフ⇒ミシガン州立大、という私のキャリアを見て、ひょっとして大学卒業からここまでのキャリアは、そのランチの時に…!?、と思ったかもしれませんが、鳥が生まれて最初に見たものを親だと思ってついて行くことを考えれば、まあ…。

世界銀行・ユニセフで働く中で感じたことは、障害を持った子供は最も教育から取り残されているグループの一つなのに、国際機関はこの子供達を見て見ぬふりをしているという点です。とは言え、自分も10年間の国際機関勤務でそれに加担したのでその理由は分かります。存在は知っていても、それに取り組むための知識が無いし、それに資金も付かないからです。これはアカデミアでも同じで、不就学児の1/3は何らかの障害を持っている、何らかの障害を持っている子供の割合は1%を大きく上回るのに対して、University of South FloridaのAlisha Braun先生の研究によると、国際比較教育学分野の論文の中で、障害児を分析したものは1%程度しかありません。しかもその大半は、障害を持った子供たちそのものを扱うというよりは、グローバルvsローカルという、なんともイギリスっぽい分析をしています。

この辺りに非常にモヤモヤしていた所、博士課程に進学して最初に参加したメキシコシティでのCIESで、黒田先生にバッタリお会いしました。というよりも、黒田先生が私を見つけて、わざわざ駆け寄ってきて頂いたという、10年以上前に学部で授業を取っただけの私に対して。お話を伺う中で、黒田先生が現在インクルーシブ教育を研究されていることを知りました。読者の中には、ひょっとして畠山が博士論文で低中所得国の障害児の教育を(以下同文)。

しかし、障害児の教育・インクルーシブ教育政策を研究し始めて気が付いたのが、これは同和・カースト・人種の差別とかなり異なる様相を持っているという点です。例えば、世銀のDeon Filmerの研究の「貧しい人が障害者となるのではなく、障害者が貧困に陥る」という点が正しい一方で、今の米国に見られるように「貧困の障害化」というのも政府の政策や社会の在り方いかんで簡単に起こります。これを、自身も障害者であったイギリスの学者Oliverが提唱したsocial model of disabilities(障害は障害者の障害によって引き起こされるのではなく、社会の在り方によって引き起こされるー例えば、点字の教科書があれば、視覚障害児にとって視覚障害が障害ではなくなる、みたいな。だから障がいではなく障害と書くのがベターだと私は思います)と照らし合わせて考えると…、よく分からん、ということは分かります苦笑。

更にトリッキーなのが、ユニセフの水野谷さんと学習院の山崎先生(GSICSの先輩)とMitra先生の研究が、一般的な貧困削減政策だけでは、どうも障害を持った子供達が教育から疎外されている状況を改善できないぞと示している点です。この点は、差別問題の解消と大きく異なるのですが、実は私の博士論文のこれまでの分析結果も同じライン上にあって、障害を持った子供達が低中所得国で教育から疎外されないためには、うーむ…よく分からん、という状況に陥っています苦笑。

おっさんでも悩む

博士論文をやっていて分かったのは、これまで同和・カースト・人種差別について色々やってきて、それなりに教育政策の専門家っぽくなったけれども、インクルーシブ教育はマジでよく分からん、という点です苦笑。これを突き詰めるのであれば、ケンブリッジ大のNidhi Singal教授のような、低中所得国でのインクルーシブ教育の専門家の所でポスドクをするなどして、もっと研鑽を積まないと、二進も三進もいかないという事だけは分かります。

ただ、これを突き詰めるのであれば、低中所得国のインクルーシブ教育とサルタックの間の往復はできても、サルタックから同和差別の間に戻る余裕はなさそうですし、同様の理由で人種差別の問題ともここでおさらばする事になりそうです。

また、前述のBraun先生は、私の指導教官が博論コミッティーの一人だった事もあり、ちょうど昨晩お話させてもらえたのですが、ユネスコのGlobal Education Monitoring Reportがインクルーシブ教育を扱ったので勢いはあるものの、まずインクルーシブ教育ではアカポスは無く、関連するアカポスも基本的にSpecial Edの教員経験があるか、自身が障害者であるかで無いと難しいよというアドバイスも貰いました。米国に残るのであれば(≒人種差別をもう少し深堀りしてみる)、低中所得国のインクルーシブ教育に手を出す余裕は無さそうです。

これらを総合すると、次のステップが研究者であろうと、国連職員であろうと、その他であろうと、別に職種自体は大した問題ではないのですが、①低中所得国のインクルーシブ教育―カースト差別(国際教育協力特化型)、②人種差別-同和差別orカースト差別(米国と日本or国際教育協力)、③カースト差別-同和差別(国際教育協力と日本)、のどれを人生の残された時間でメインに取り組むかは、そろそろ決断の時に来ている感じがしています。

ただ、まだこれは全く決めきれていません。新型コロナなどで就活市場がグチャグチャになっているので、①―③の全てに幅広く出して最初にオファーを貰った所に応じてどれにするかを決める、ということに落ち着きそうな気はしますが、おっさんでも進路に悩むことはあるんだぞ、況や若者をや、というお話を長々としてみました。GWの暇つぶしにでもなれば幸いです。ではまた次回。

おまけ:今回のCIESでメモしたこと箇条書き

• ユネスコのGlobal Education Monitoring Reportのチームが予想以上に経済学寄り&元世銀の人が多い。近年のGERレポートは教育の民営化・インクルーシブ教育と良いトピックを選び続けているなと思ったら、そういう事かという感想。ユネスコとしての分析力は格段に上がるだろうけど、世銀、最近のユニセフの立ち位置に寄っていて、これでええんかな?という感じもある

• 財団の資金力は既に日本の国際協力を超えている、まあそりゃそうか

• 教育分野では、マスターカード財団の規模が思ったよりデカい。アフリカ&ユースと地域もイシューも絞っているので、相当影響力があるのかも

• カレン・マンディのような超大物でも、いまだにGrant Proposalは昔の指導教官に目を通してもらうらしい、私もその手でいくか。あと、カナダも小国なので研究資金は強くないけど、他国の研究者と組んでその国の研究グラントを取りに行くという手を駆使しているという、天才か。他人のCVや論文に目を通して、research grantのソースについて勉強しているという

• Photovoiceの手法を子供に使うのは、やはり有力な手法っぽい感じがある

• Inclusive Educationの焦点からDisabilitiesがかなり薄くなった印象がある、これはマズい感じがする

• 東海岸時間の夜10時に始まるのは地獄、the誰得タイムスロット

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