国際協力の草の根の実践に携わるためには、大学で理論を学ぶ必要はあるのか。

                              山田哲也

先日twitter上で「国際関係学を勉強しても草の根の現場では役に立たない」というツイートが話題を呼び、現在の日本人国連職員最高位の中満さんも巻き込むいわゆる「炎上」状態になりました。個人的には、(問題提起の方法に工夫はあったにせよ)同じ草の根の現場で働く者として、NGOの現場を知ってもらう良い機会であったと感じると同時に、NYの国連職員の人にはあまり途上国の草の根の実情が理解されてないんだなと少し残念にも思いました。一方で、この炎上により、国際協力の実践で働くには大学で勉強する必要はないと、短絡的に理解してしまう方もいるかもしれず、今後国際協力の実践に携わる方のためには、大学での学問の現場での業務への応用の可能性と、草の根の現場の理想と現実についてしっかりとお伝えしておく必要があるなと強く感じました。

今回のブログでは、「国際協力の草の根の現場で働くために、国際関係学を学ぶ必要があるか否か」という問いを「国際協力の草の根の現場で働くために、大学で理論を学ぶ必要はあるのか」という問いに再設定して、その問いの答えを模索しようと思います。なぜなら国際関係学に限らず、大学で国際協力に関連する、開発学、経済学、教育学などの学問を学ぶということは、まずその学問の「理論」を習得することに他ならないからです。さらに、その理論的な知識をベースにして、物事を理解し分析する訓練を受けます。
それでは国際協力の草の根の実践で働くためには、大学で理論を学ぶ必要はあるのでしょうか。私の簡潔な答えは「必要。ただ現状は生かしづらい」です。下記NGOの実際の活動の現状についてお伝えした後、大学での理論的な理解がどのように現場での活動に発展可能かその可能性を探りたいと思います。
*以下の私の話は欧米のビッグなNGOではなく、日本発のプロジェクト実施型NGOを想定しています。

1. 草の根の活動の現状

端的に言えば、日々の業務において、大学で学んだ理論を省みる時間はほとんどないです。活動の計画、予算・支出の管理、ドナーへの報告、省庁との調整など、調整やロジといったマネージメント業務が大半を占めます。なぜこういった状況なのでしょうか。それは国際協力NGOの資金状況が関係していると考えられます(詳しくはこちら)。NGOデータブック2016によると、国際協力協力NGOの年間収入額の平均値は1.4億円です。NGOの収入は結構あるな、と思われたあなた、平均値に騙されてはいけません。年間収入額の中央値は約2000万円です。調査の対象となった312団体の収入規模を横一列に並べ、ちょうど全体の中央に位置する団体の収入規模が2000万円ということです。大きなお金を集めることができる少数のNGOと多くの零細NGOの間に大きな収入格差があることが分かります。金額帯別で見ると、2000万円未満の収入規模の団体が全体の半数以上を占め、調査対象になっていない任意団体やフリーランスの個人を含めると、資金規模が小さい団体がメジャーであることが分かります。こういう団体や個人は、限られたヒト・モノ・カネで寄付金対応や助成金への説明責任を果たすので精一杯です。チャリティーをするだけでも精一杯なんです。
NGOの企業努力が足りないのではないかというご指摘には一理あります。地道に団体規模を大きくしている団体もありますし、最近ではクラウドファンディングやメディアを駆使して効果的に資金を集めている団体もあります。一方で社会の側にNGOを支える文化が根付いていないという問題もあります。日本の寄付市場は英米に比べて規模が小さく、寄付の税制控除制度の認知も改善傾向ではあるものの、まだまだ認知度は低いと言わざるを得ませんNGOはボランティアで活動するべきという言説がまだまだ強いようにも感じられ、寄付は運営費や職員の給与ではなく、活動に全額使ってほしいという声もあります。さらにSDGsが叫ばれる今日では、国外だけではなく、国内にも開発課題があると認識されてきています(それ自体は素晴らしいこと)。また社会起業家や財団など国際協力の実践に携わるアクターも多様化しています。そのような中で、国際協力を実施するNGOは、なぜ国外で活動する意義があるのか、なぜNGOでないといけないのか、その意義を明確に訴える必要性に駆られています。そのような状況の中で、必死にもがいているのがNGOの現状です。財団や企業が大きいお金をドカンとくれたり、補正予算で億単位のお金が入ってくる国際機関とは置かれている状況が全然違います。
さらに途上国の現場で普段接するスタッフや受益者は、国連やJICAのような機関の職員が接する人たちと比べて、教育レベルは低い傾向で、学術的な理論をベースにして話をする素地があまりありません。そのような人たちに対して、この活動は新植民地主義的だよね、という話をしたところで頭に???マークが浮かんでくるだけになります。かくいう私は、実は学部・修士と続けて国際協力を勉強し、現場での活動を始めた、頭から国際協力業界に入った人です。学術的な会話も理論の勉強も大好きでした。しかし、初めてインターンとして赴任したミャンマーで、事件がおきました。業務の合間にまとめたミャンマーの教育セクターの分析レポートをスタッフに共有したところ、あるミャンマー人の常勤スタッフがインターンの私に対してひどく劣等感を抱いてしまいました。途上国の現場では、どちらかというと理論や分析のスキルを使うことよりも、まず相手と同じ目線に立って「寄り添う」態度が大事だと感じた瞬間でした。


2. 理論とは何か

国際協力における「理論」とは国際協力の現象・潮流に対する視座(物事の見方)です。
例をあげます。私が現在ケニアで実施している活動は、住民を学校運営の意思決定に参画させ、自律的な学校運営を達成することによって教育の質の改善を目指しています。
この活動は、先進国のドナーや政府の意向に左右されず、住民が主体的に学校運営に参画することで活動の改善を図ろうという「参加型開発」的なアプローチに影響を受けています。

参加型開発とは・・・国際協力の計画から実施の段階に村人が主体的に携わることで、開発プロジェクトを実施していくアプローチ。従来のモノやカネを渡す開発プロジェクトは自立を生まないという反省から、現地の人が計画から実施に参画することで、現地の人が必要とする開発プロジェクトを作り上げること。サセックス大学のロバートチェンバースがこの分野では有名。

一見すると住民が主役となり、より住民のニーズにあった民主的な活動をしていて素晴らしい活動です。一方で大きな潮流をとらえると、住民を教育に巻き込まざるを得なくなった理由は、政府の教育予算がどんどん減り、教育の受益者である住民に教育の負担を強いる必要があるからです。政府の役割が縮小し、利用者負担を強いるという意味ではネオリベラリズムの潮流の中に私たちの活動を位置づけることができます。

ネオリベラリズム(新自由主義)とは・・・国家による福祉・公共サービスの縮小と大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想1980年代に途上国に財政緊縮や市場的な改革を条件に資金の貸し付けを行った、IMFや世界銀行の新自由主義的な構造調整政策は、教育支出が減り、公立学校においても学費を徴収するなど教育の質・公平性の両面において負の影響があったと言われる。実は参加型開発が声高に叫ばれた時期は、ネオリベラリズム的な改革が進んだ時期を同じくしている。

以上のように理論は国際協力で起こっている現象や潮流を「理解」し、まとめることには役立ちますが、具体的なアクションについては示唆はしても、課題を解決するスキルは与えてくれません。話はずれますが、私が進学したサセックス大学の修士課程は最初の学期に国際協力の理論をみっちり勉強させられます。クラスメイトの中には、修士課程に進んで国際協力の実践に役立つスキルを身に着けて、課程の修了後バリバリ実践で活動するぞと意気込んで入学する人が多くいました。そのクラスメイトが1学期の終了後に口をそろえて話すのが、「理論を勉強して結局何をすれば正しいのか分からなくなった」ということです。多くの人は国際協力が正しい、教育は正しいという強い思いを持って修士課程に入学してきますが、それが正しくないかもしれないという理論やアプローチ(例:新植民地主義、教育の格差の再生産理論)を学ぶことで、今まで強く信じていた自分の哲学が絶対的ではないことが分かり、どこの組織で何をすれば正解なのか分からなくなってしまったのです。

3. 結局、理論は役立つのか。

以上、草の根の日々の活動では理論を省みる機会はほとんどないと話しました。また大学において理論を学ぶこと=具体的な課題を解決することができる、というわけではないということもわかりました。
それではどのようなときに理論は役立つのでしょうか。

プロジェクトの計画・振り返り・終了時評価
プロジェクトの計画、振り返り、終了時評価の際は、自分たちは何を目指して活動している(いた)のかを否応なしに考えます。私たちの活動の例で言うと、住民が参加して主体性を発揮してもらうこと(参加型開発)で、教育の質を改善しようとします。一方でその活動がネオリベラル的な面もあるということを知っていれば、持続的に教育の質を改善するためには住民の力だけでは不十分(さらには貧富の差が地域にある場合は教育格差を広げてしまう)で、教育の質を改善するためには政府の役割も必要で、政府職員がモニタリングの役割を担うためにアドボカシーをするということも計画に入れ、軌道修正をする選択肢を思いつくことができるかもしれません。

プロポーザルの作成・アドボカシー
またドナーがどのようなポジションから援助を実施したいか、理論的な整理ができていれば、プロポーザルを書く際に活動計画を、どのような言葉で表現すればいいか、理解しやすいと思います。まだ日本のNGOは、プロジェクトのみを実施するNGOが多いですが、アドボカシー(政策提言)をする場合は、理論的な知識は役に立つと思います。私たちが現在実施中の住民参加型学校運営のプロジェクトは、参加型で民主的にやろうという理論的な位置付けもできますが、教育成果のアカウンタビリティー(説明責任)強化の面からも理解することができます。親を学校運営の意思決定に近づけることで、教育のサービス提供者である学校に対して、親がサービス改善の意見を伝え、サービスの改善を果たさせます。世銀などの援助機関はこのアカウンタビリティーの観点からも、途上国の学校運営の分権化や住民参加型学校運営プロジェクトを推進しています。このような位置づけから自分たちのプロジェクトを認識し、アカウンタビリティー強化の観点から成功事例とその成果をまとめることは、影響力の大きい援助機関を巻き込むことにもつながり、より政府に声が届きやすいです。
途上国・先進国の政府、援助機関がどのような前提をもとに政策的な意思決定をしているのか、自分たちの草の根の活動がそれとどうリンクするのかを把握することは、何をどのように提言していけば政策の意思決定者に声が届きやすいか、構想を練る時に役立ちます。

日々の活動は、何をするのか、どうすれば効率的・効果的に活動を遂行できるかを考えるのに精一杯です。しかし理論的な視座を持っていれば、少し落ち着いたときに、自分が持っている思い込みを疑い、無意識を意識化し、新しい視点から国際協力の現象や潮流を見つめ直すことができます。それが新しいアイディアを生み出すスタート地点になります。

4. 今後草の根の活動に期待すること

現在NGOへ就職するの人の修士号以上の学歴を取得している割合は高く、NGO職員のQualificationは高いです。修士課程までの専攻分野をNGOで仕事にする場合は、その分野における理論的な知識をある程度習得していると言えます。
こうした学歴インフレが起こり、教育や保健といった分野の専門性を持った人材を抱えてはいるものの、現段階でNGOの活動自体は専門性を生かせる職種は少ないです。多くの職員のステータスは調整員であり、プロジェクト運営・予算管理が主です。お金がないと活動ができず、プロジェクトを効率的に運営しないとプロジェクトの目標が達成できないことから、調整員としての仕事が必要なのは理解できます。ましてや上で述べたNGOを取り巻く現状を知ればなおさらです。
しかし学歴の要件だけ上がっているのに、学んだ専門分野を直接生かす場所が組織やプロジェクトに、なかなかないというのは少し皮肉に感じます。
アドボカシーに関して言えば、「プロジェクト型のNGOの経験が十分に理論化されておらず、それが効果的な提言活動に使われていないということでもある。またそうしたことを行う人材がNGOでは非常に限られていることも要因である」と指摘されています。しかし、私は国際協力のNGOに関しては、草の根での経験を理論化し、政策提言やプロジェクトの改善につなげることができる人材や人材の卵は増えてきていると感じています。
調整員のようなマネージメントの仕事が必要なのは言うまでもありません。事務、経理、情報発信のような「運営の専門家」の需要はさらに高まっていくと思う一方で、今後NGOの組織の内部でも、「分野の専門家」が必要であると認知されていく必要があります。現場での職員や受益者と寄り添う姿勢を大事にしつつも、専門性を発揮できる職員がプロジェクト改善のために働くことができる職務環境、業務内容、プロジェクト形成が組織側から進んでいくことを強く望みます。そうやってNGOの草の根での仕事が、組織内、さらには社会的にも「専門職」と認知されれば、これまでの経験や学びを思う存分発揮できる人材が集まり、プロジェクトの成果の質の向上にも繋がっていくと思います。

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