困った母親

母はわたしを支配しようとしてたし実際に支配していた。幼児の頃は精神的にも肉体的にも。成長しても肉体的に実家を離れられたのは30近くになってからだった。精神的にはそれでもずっと支配されていた。母親は精神的にとても弱く肉低的にも多分弱い人間だったが、恐ろしく攻撃的で周囲のもの全てに敵意に溢れ、常に何かわからない怒りで満ち満ちており、かといってその怒りを実際の周囲(父親や近所のおばさんとか、父親の親族とか)には向けられない小心者のため、こどもの私にすべてをぶつけてくる人だった。我慢ができない、そう我慢ができない人だった。何か嫌だと思う→相手には言えない→幼児の私に怒りをぶつける、このサイクルが覚えているだけでも2、3歳のころには確率していた。私はことばを覚えるのが早く、それで余計にターゲットになってしまったのだろうか、記憶の中の母親はいつも怒っている。そしてひとしきり怒りをぶつけると、自慢が始まる。お母さんはね、という出だしで始まる自分勝手なストーリーをどれだけ聞かされただろう。振り返っても辛いのは閉ざされた家の中で母親しか話し相手がいなくて、一方的に聞かされるストーリーを私がすべて正しい真実だと信じていたこと。おかあさんはね、こんなところにいる人間じゃないの。本当に頭が良くて、なのにおじいちゃんが女は大学に行くなって言っていかせてくれなかったから仕方なく商業高校へ行ったの(母親は自分の学歴へのこだわりが強く、人生の失敗は常に人のせいだった)でも中学の先生がこの子は本当に頭がいいから普通高校に行かせてあげてって家まで頭を下げにきたのよ!!彼女の頭の中では何十年も前のそんな思い出が目の前の家族や子育てよりずーっと大切なことなのだ。本当はいつだって自分はそんな立派な賢い人間でその自分を賢く立派な人間だと尊重して欲しいと世界中に叫びたいんだろうと思う。実際賢くも立派でもないのだけど。それより母親になって欲しかった。現状に満足してから子供を産んで欲しかった。そして恨みつらみを効かせるのでなく、子供がなにが好きなのか、何が楽しいのか、何がしたいのか、そういうことに興味を持って欲しかった、不満足をいいたてるのでなく、一緒に楽しんで欲しかった。

母の不満は学歴に止まらない。まず、父親がいや。繰り返しになるが両親はコミュ障で多分発達障害とか自閉症とか人格障害も抱えてる。なので出会いはお察しの紹介である。結婚どころか友達もいない、父親に父の兄(同じ親から生まれたと思えない、コミュ力もあり世間的な地位もしっかり確立し子供も私とは比べられなく立派に育てている叔父である)が、紹介したのが母だった。気の強いようでいて自分の意思のない母は、勧められるままに結婚。ただし学歴のことと一緒で心の中にはものすごく傲慢な考え方を持っていた。このお母さんとね、結婚させてくださいって向こうの家族が申し込んできたわけだから、本当だったら新築の家を用意してね、お願いするのが当然なのに挨拶にいったらあそこの母親は(父の父はすでに亡くなっていなかった)あんたたち二人で好きなところに家を建てたらいいって言ったのよ!!お母さんはね、賢い賢いお母さんは(本当にこういったのだ、母の言葉は当時のありのままの話し言葉そのままです)あぁこの人たちは、わたしに家を用意する気がないんだなってわかったのよ!!と言っていた。母の頭の中では特別賢くて立派な自分に結婚というからには当然それなりの給料があって、それなりの用意があって申し込んできて当たり前だったということなのだ。だから結婚するまで数回しか二人であわず、将来のことも話し合わず相手の給料も聞かず。。。なんかこの人違うかもと思いながら、でも相手がしっかり準備してるのが当たり前なんだからと思って結婚したということらしい。蓋をあけてみたら、新居は父の社宅(昭和の当時で築数十年のボロボロの建物)、もちろん婚前にふしだら(失笑)なことはできないので様子を見にも行ってなかった。結婚式を終わって社宅を訪ねた瞬間、こんな汚いところに住めないと泣いて実家へ帰ったらしい。父は最低限片付けはしていたのだろうけど、母親の心の中にあるこんな賢くて立派な自分を迎えるために当然なされているべきである準備、なんて何もしてなかった。そして母の最大の問題は、じゃあ実際何がしてほしいかというとそれが多分わかってないこと、具体的なものがあれば家くらい見に行ってたと思うし、相手に要求することも話し合うこともできだのに、なんとなく(そこが不思議なんだけど)相手が自分の具体的でもない漠然とした思いを汲んで自分の思う通りの用意をしてくれると本気で無邪気に思っていたようなのだ。とりあえず自分の基準には達してないのでショックを受けて母は出て行き、父は相手の気持ちをおもいやったり、問題解決のために行動することが全くできない人間なので自分では何もできない。とりあえず兄(さっきとは別の長男)を呼び、その長男が仲裁に入り、とりあえず畳を新品にかえ、襖を張り替えるということでその場を納めたらしい。このことでもわかるように、母は大きな問題を抱えているが、売れ残って母に押し付けられるだけあって父もすごい。彼も兄たちが自分に用意したことだから流れに乗っていればいい、というそれだけの気持ちで、実際の相手を思いやったり、将来の希望をはなしたり、この人に自分はあってるのだろうか、相手の希望を叶えられるか、自分は楽しく暮らせるかそういうことをかけらも考えず結婚しているのである。そして自尊心だけは母と釣り合うくらい高い。だから、自分の社宅が人から見たらみすぼらしくないか、給与は二人が暮らすに十分か、など何も心配しないのである。とりあえず新居はそんな感じで始まったが、今度は給与が大問題である。なんと高卒ながらそこそこ都会でOLをしていた母の給与より低かった。ちなみに父は母より年上である。母はずーっとそのことを怒ってた。給料のことなんて自分から言うべき。私は給与明細を初めて見たときショックで倒れるかと思った。そこから始まってウチは貧乏、だからあんた(私)も人並みのこと(服だったり、習い事だったり、おもちゃだったりとにかく全て)が与えらると思ったら大間違いと言われていた。なにより、独身時代は父より多かった(らしい)お給料を全部自分のために使っておしゃれも楽しんでいた私が今こんなにみすぼらしい不幸な毎日を送っているそのことが一番可哀想と繰り返し繰り返し母親いうのである。そして田舎ぐらしが辛い。この町は自分の実家のあるところに比べて気候が悪いだけでなく、人間も悪い。こんな愚鈍で、洗練されてなくて、考え方も行動も言葉も嫌らしい人たちに囲まれて、自分が毎日毎日どんなに辛いか、とエンドレスで愚痴り続けた。私は本当に母が、そんな立派で賢くて都会で活き活きと暮らしていた母が田舎に押し込められていやらしい人に囲まれて(純粋で上品:失笑:な母はただ傷つくだけ)心の通わない父と苦しく貧しい暮らしを過ごしている、本当に可哀想心から真剣に思っていた。そして母を苦しめている(と母が言う)周囲の人や父の親族や、父のことを心から軽蔑したり、憎むようになった。

長くなってきたので、続く。

この母への同情は長く私を蝕んでいたのだけど、ある時母が本当に弱くて哀しい人間で私を無意識に利用していただけだったこと。母は自立した(してないけど)大人の人間であって今の生活は彼女の選択の結果であること、不本意なことがあっても責任の一部は彼女自身にあって、解決せずに子供に愚痴を垂れ流して本当の被害者は私だったことに気付いた時は無茶苦茶ショックだった。悲しい、母に同調して同情して純粋に自分のために何一つならない周囲への憎しみや軽蔑の感情で世界を見て、子供時代を母の精神的なはけ口人形のように過ごしてしまった。可哀想なお母さん周囲が全部敵で守ってげなきゃならないお母さんが実はわたしの一番の敵で認知の歪みの原因で不幸の原因だった。悲しい。返して欲しい私の子供時代。

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