ケトル、壊れる、我に返る。
実家から箱でもらったカップラーメンが入り口を占領している。
だいぶ食べ飽きてしまったせいか、ありがたみが薄れている。
カップラーメンはけっこう飽きる。
とはいえ、腹が減っては戦はできぬ。
いつものようにカップラーメンのふたを開けて熱々のお湯を注ぐ。
待っている間、
どうしてもその積み上げられた段ボールの箱が気になってしょうがない。
片付けよう。
そう思い立ち、立ったり、かがんだり、繰り返しているうちに、
パーンと何かがはじけ飛んだ。
そう、パーンだ。
ガッシャーン、ではなく、パーンだ。
それはなんだか、クラッカーのような軽やかな音で心地よかった。
が、しかし我に返れば、周りはずいぶん、ずぶぬれだ。
そう、片付けに夢中になって電子ケトルの線を、勢いよく思いっきり蹴り飛ばしたのだ。
そしてお湯は見事にはじけ飛んで、ケトルはその激しさを物語っているように破損してる。
でも、なんだか穏やかにその光景をまるで他人事のように眺めて、
フーンと口に出していた。
そう、フーンだ。
えぇー、マジかよ! ではなく、フーンだ。
思いっきり蹴り飛ばした後は、そんなもんだ。
*****
積みあがった書類が落ちてこないか心配で、気が気じゃない。
片付けよう、片付けようと思っていたのに、一向に片付かない書類の山。
片付けようと思ったときには、必ずといっていいほど、
やらなければならない違う仕事がやってくる。
だからまた後回し。
それがずーーーーーーーーーっと続いて今日に至る。
うまくできているなと思う。
ほんと人生ってやつは。
いつだってうまくできていて、うまくいかないようになっている。
今の会社に入社して今年で20年目。
思えばずいぶん遠くに来たもんだ、ではないが、
ずいぶん時がたったものだと思う。
こんなに長居する予定はなかったはずなのに。
自分が入社した時にいた人はだいぶ辞めていった。
そして、だいぶ見送った。
もう数えるのもめんどくさいくらいにみんな辞めていった。
でも、まだ自分はいる。残っている。知らんけど。
なんか知らんけど、なんか取り残されたような、おいて行かれたような、
そんな気持ちになったりもするし、どこか切なくもある。
いや、
変わらない自分が嫌になっているといった方が近い。
みんな変わっていくのに、変わらずにずっと残っていることが。
まるで、給食が食べきれなくて、昼休み時間になっても、いつまでも残って食べ続けているようだ。
早くみんなのもとに行きたいのに、食べ終わらなくて行けない。
そんな切なさと悔しさだ。
周りがどんどん変わっていくのに変わらない自分が不安でしょうがない。
変わらない自分が、
変われない自分が、
変わろうとしない自分が。
いや、
変わろうとはしていた。
いや、
変わる必要なんてあったのか?
いや、
そんなことはどうでもいいことだった。
どうしたいかがわからなかっただけだ。
どうしたいかがずっとわからなかっただけだ。
ただそれだけだったんだ。
それがわかれば、
あとは、
あとすることは、
目の前の積みあがった書類を蹴り飛ばすだけだから。
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